安齋しほこのブログにお立ち寄りくださりありがとうございます。
なにやら、タイトルに死ということばがありドキッとした方もいるかもしれません。
今日は、亡くなった父の誕生日。
生きていれば71歳。
父は、16年前にすい臓がんで亡くなりました。
54歳でした。
カメラや、フィルム関係の営業マンをして、仕事が好きだった父。
カラオケで歌うのがうまかった父。
競馬が好きだった父。
そんな父の姿を思い出します。
わたしは、遅い反抗期で、大学時代よく父と喧嘩していました。
思い出の片づけをした時、それはそれはたくさんの写真がありました。
フィルム関係の会社だったということもあり、もう、これでもかってくらい写真撮られまくり。
あまりの写真の量の多さに、母はわたしのアルバム作ってくれていませんでした。
アルバムに入ってなかったので、逆に片づけはしやすかったです(笑)
厳選して厳選した父との写真。
わたしと父とのお風呂ツーショット。
シャワーキャップが昭和(笑)
今の時代みたいにイクメンではなく、仕事仕事の父でしたが、一緒にお風呂入ってくれていたんだなぁ。
よく喧嘩した父ですが、写真見ると愛されていたんだなぁって実感できます。
父は、がんと宣告されたのに、亡くなる前に買い物しまくりました。
なんでこんなの買うのってモノも買ってました。
3LDKのマンションだったのですが、父の部屋は人1人寝るのがやっとくらいモノに埋まってました。
亡くなった後の遺品の片づけでは、タグ付きのままの洋服や、パッケージに入ったままの靴下もありました。
部屋には洋服が収まりきらず、ベランダにまで!
どうして、死が近いのに父はこんなに買い物するんだろう。
その当時のわたしには理解できませんでした。
父が亡くなった後、父の遺品に触れてわたしが感じたことは、
生きたかった。
父はもっともっと生きてやりたいことやりたかった。
ってことでした。
それから、わたしは死を意識するようになりました。
わたしだっていつ死ぬかわからない。
死ぬ時どんな状態で死にたいか。
「あーわたし、好きな人と一緒に過ごせて、やりたいことやって、行きたいところ行って悔いなし。」
って死にたい。
わたしの遺品を片づける家族には、
「ママ、本当好きなこと自由にやってたよね。楽しそうだったね。大往生だね。」
って笑いながら片づけてもらえたらいいなって。
父のおかげで死を意識したことで、どう生きたいかが見えてきて、仕事を辞めて自分のやりたいことやっていこう!と大きな決断も自分できたのだと思います。
これからもモノも全て後悔しないよう”ときめき”で選んで生きたいなと思います。
あの世にモノは持っていけないからこそ、
"今"何に囲まれて暮らしたいか。
暮らしかたは、生き方。
みなさんはどう生きたいですか?
今日もときめく時をお過ごしください