広報支援隊で広報支援隊に転入してきた歌手ピに会う | RAIN(ピ)LOVE2 旧別館1

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yahooブログから引越ししてきました。2005年8月22日~2012年8月26日までの記事がアップされています。

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◎広報支援隊で広報支援隊に転入してきた歌手ピに会う

忠誠!!国防府 勤務支援団 広報支援隊一等兵チョンジフンです

Q;広報支援隊転入後、5日くらい経った現在の状況は?

A;転入前5師団で助教として服務した二つの期数まで教育をさせた後 勤務支援団 広報支援隊に転入した国軍丈兵達に何か力になれると考えるとどきどきしてくる

Q;野戦部隊で一等兵として進級した、特級戦士として選抜され進級が早くなったと聞いたのですが?

A;軍隊は、男なら誰も来なければならない義務である、私も適応が早かった、いろんな訓練を本当に頑張ってよく受けた
 そして、特級戦士になった理由は、他ではなく、休みをもらえるからだへへ
 私だけではなく、全ての兵士達も同じだったと思う、本当に歯を食いしばって、頑張った
 もともと、長時間走る事が苦手だったが、少しオーバーして過剰にいって全ての臓器を出しておいて走ったと言えるくらい本当に大変に走って特級戦士になった
 良かったのは射撃は有るくらい才能が有ったみたいで射撃点数も良くもらい(20発の中で19発)特級戦士になったし結構やりがいがあった

Q;誰でも入隊して訓練所で初めての日を迎えながらいろんな考えをすると言われる、本人はどんな考えをしたか?

A;いろいろ数多くの考えが交差した、もう一般人では無く軍人の身分として軍の服務期間の間 徹底的に国の為、忠誠しなければならないという考えを数多くした
 そして、適応するまで多くの問題は無かった

Q;訓練所で一番記憶に残る訓練はなんだったのか?

A;全ての訓練が全部記憶に残る、それでも何個か話すと同期たちとの濃い愛情と友情、戦友愛を判ることが出来た行軍である
 1新教隊、2新教隊合わせて約100キロ超える行軍をしたが大変な時にお互いを助け合う共同心を習った
 戦役後にも、良い思いでになりそう

Q;広報支援隊転入前、5師団新兵教育隊助教として、服務した助教はどうやって選抜できて助教をしながら感じたことがあったら何か?

A;助教は支援も出来るし、面接を受けて可能な人を差出することである、助教として、服務しながらいっぱい感じたのは、最初は、他の人を教える事だから、どう考えるとちょっとやりやすいかな、と考えたが他の補職も大変だと思うが、助教もやはり、大変な補職だと自負する
 助教になると訓練兵達も教えなければならないので多くの知識と教範を習得しなければならない
 こういうところの為に助教として転入して2~3ヶ月くらいは助教の研究講義という、制度が有る
 研究講義をパスしたら助教の徽章をもらえて、徽章をもらってからずっと研究してまた勉強しなければならない
 他の人達より1時間2時間遅く寝なければならないし、他の人たちより1時間もっと早く起きなければならないし訓練兵にも模範にならなければならないため実際にいろいろ難しい事も多かった

Q;入隊前と入隊後本人は何が変わると思うか?

A;愛国心が強くなる、国を守ることはいっぺんに考えると義務と言う考えよりは自発的に愛国心があるべきだという考えが出来て、やりがいがある事だという考えもでた
 すばらしいことをしているという考えで胸がいっぱいに成った

Q;広報支援隊員として特に担当したい国軍放送の番組が有ったら?

A;入隊前、社会で、芸能人という職業をもってから演技と歌の方に偏っていたが軍の服務をしながら、国軍放送ラジオの番組を担当し、ラジオの進行をしてみることもいい経験に成ると思う
 広報支援隊員として日程が多く、忙しいと思うが国軍放送のラジオ番組を
進行してみたい

Q;インタビューを終わらせて

A;今後国防府勤務支援団広報援隊員として多くの方々に軍人がどうやって服務して
どのくらいやりがいがあることかをたくさん広報して皆さんの力になれる1等兵チョンジフンになれるように頑張ります、
 ありがとうございます


ジフニのインタビューこちらにも貼っておきますね。^^