今、行きたい場所があります。

それは『石川啄木記念館』

 

 

 

伝説の天才歌人 石川啄木!

 

石川啄木のゲスい生き方が逆にファンになりました。

 

その①

石川啄木は中学(現在でいう高校)の時にカンニングがバレて退学になっている。しかも2回やってる。

 

その②

「たはむれに  母を背負ひて そのあまり  軽きに泣きて 三歩 歩まず」という短歌があるが・・・。

⇒妹の三浦光子によれば、実際の啄木は「夜中に寝ている母を起こして、饅頭を作らせたものの、出来上がると、もういらないと投げつけた」「母に迷惑ばかりかけていた兄が母をおんぶするなどありえない」とのこと。

 

その③

-朝日新聞の正社員であった啄木-

・怠け者で朝はいつもあったかい布団と葛藤する毎日
※仮病で5日休んだことも
・夜中にエロ本読んで眠れず、もちろん、次の日は寝坊
・通勤の電車賃がないといっては休み
・そのくせ、よその新聞に、内職で記事を書いてた。
・上司が見かねて苦情を言うと「まあまあ放っておいてくれたまえ」との答え。

 

 

その④

給料が出たら家族に仕送りもしないで女遊び、友達から借金して女遊び、給料を前借りして女遊び、仕事をサボって女遊び。
なんちゅう本能パワー。さらに女好き過ぎてこんな珍事件も

 

その⑤

子孫の方びっくり!「啄木日記」

通称:ローマ字日記「そして予は寝た。他の女と寝た」
※Hな日記を妻に読まれては困るため、ローマ字で書いていた。
 

 

 

「はたらけど はたらけど 猶わが生活 楽にならざり ぢっと手を見る」とあるが実は・・・。

啄木さん、いいとこのお坊ちゃんに生まれたボンボン!

 

さらに 啄木さん自身も中流以上の収入を得ていた当時の平均年収「461円」の時代に「662円」も稼いでた

 

しかし、とても金遣いが荒く、女郎屋につぎ込んでいた。

 

そのため周りの人に「金貸してー金貸してー」とタカリまくり!

金田一京助なんかは、出張先にまで「金貸してー」という手紙をもらったりしてます。

 

記念館にあるという米屋の駒井さんに宛てた手紙

 

⑦「一度でも我に頭を下げさせし 人みな死ねと いのりてしこと」という高慢な歌を書いた。

散々、周りに助けてもらっておきながら「一度でも俺に頭を下げさせたやつら全員死にますように」などと!?これぞ名言!

 

⑧しかし愛された啄木

啄木は肺結核を患い26歳で亡くなってしまいます。やっぱり貧乏で薬も買えないくらいだったみたいですね。

それまでのことを考えたら「自業自得だ」とか「ザマミロ」とか言われてもおかしくないのに、たくさんの人が見舞いに訪れたり見舞金を送ったりしていますから、よっぽど魅力的な人物だったのでしょう。

 

 

 

 

そんなサイテーな、だけど憎めない石川 啄木

集英社文庫から現代訳つきで「石川くん」という本が出てました。

イラストもあり読みやすそうです。