私は離婚という人生の
転機から4年が経ちます。
転機から4年が経ちます。
この4年で私は自分の心に従った、
本質的な生き方に
近づいてきているので
近づいてきているので
日々、毎日幸せを感じます。
更にこの1年では
師匠との出会いもあり、
「こんな風に生きたい」
「理解してくれる人がいる」
という強さを手に入れました。
そんな中、ふと昔の写真を見返して、
我ながら表情が変わっていることに
感激しました





左は5年前カメラマンに撮ってもらった
サロンのプロフィール写真。
右は先日娘が適当に撮った
iPhoneの写真
年齢も重ねているし、
撮影環境が違うけど、
わかりますよね…??
この5年で変わったのは
“心”のことでした。
自分の心に向き合い、
人生に向き合いました。
「どう生きたいのか」
「それは自分の心に蓋をしていないか」
「自分の本音なのか」
自分でも鮮明に覚えているのが、
「母親ともっと過ごしたかった」
と泣いたことでした
心理学、カウンセリングでよく
「インナーチャイルドを癒そう」
と聞くことがあると思います。
まさにそれでした

ことの発端は、
日本バスケ女子がオリンピックで
金メダルを取ったこと。
私もバスケを一生懸命やっていて、
日本代表に。とスカウトを受けたことが
ありましたが、貧しい父子家庭のため
金銭的に不可能で諦めました。
楽しく応援していたはずが、
知っている選手たちが
金メダルを取った時、
胸がザワザワして、
「私もやりたかった」と
涙が溢れて、本音に気づきました。
気付いていなかった自分の感情が
溢れたことで
次から次へと感情が溢れて、
「もっと母親と過ごしたかった」
「家族でいろんなところに行きたかった」
「寂しかった」
それよりも小学生の頃に
祖父母に心配をかけないように
涙を封印した自分に、
ごめんね。と泣きました。
こういう悲しさや後悔、
辛かったことを思い出すのって、
どんどん不幸になっていきそうで
触れないようにずっと
蓋をしておくのが
防衛本能というか、
人間の習性なのかと思います。
でも、
この突然の自分の
やりたかった。
悔しかった。
悲しかった。
嫌だった。
羨ましかった。
辛かった。
寂しかった。
感情が溢れてしまったばっかりに
もう泣くという、“感情を味わう許可”をして
1人でわんわん泣いた夜のおかげで、
感情を出すこと
ができるようになりました。
嬉しい感情も、
幸せな感情も、
悲しい感情も、
一括りで感情です。
負のか感情を味わいたくないから、
私は感情に鈍感になっていました。
嬉しい〜〜
幸せ〜〜
感謝〜〜〜
大好き〜〜
とか、今思い返すと、
あまり表現ができていなかったと思います。
それに気づいてから
感情を敏感にキャッチできるようになって、
嬉しい時は嬉しい。
お会いできて嬉しいです。
ご縁を頂けて感謝です。
私は幸せ者です。
と表現ができるようになりました。
表情の変化は、その変化です。
昔は、好きって言われたら、
「私も好き」って答える恋愛で、
(本当は愛されたいから言われたいのに
THE めんどい女子)
今では、
相手が私のことを好きじゃないってわかっていても、
私的にも付き合いたいとか、そういう気持ちは全くなくても
「そういうところ、とても好き〜〜」って言えます。
※気をつけています。やばい人になるのでww
話が逸れていってしまうので割愛しますが、
発する言葉が変わると、
周りの人間関係も変わるし
自分が受け取る言葉も変わる。
だから、負の感情に蓋をしてはいけない。
大昔のことでも、
相手に伝える必要はないから、
自分に、
辛かったよね。
嫌だったよね。
羨ましかったよね。
って自分を癒してあげてください。
感情を味わう許可を⸜❤︎⸝