SHIHOの大腸がんブログ (腹膜播種、胸膜播種、多発性肝転移)

SHIHOの大腸がんブログ (腹膜播種、胸膜播種、多発性肝転移)

2014年、36歳で大腸がんステージ3aを告知され、半年後に卵巣、腹膜転移、2年後に肺転移、4年後に骨、肝転移をしました。抗がん剤治療は、4年ほど続けてます。同じような方の参考になるようなブログになればと思ってます。

Amebaでブログを始めよう!
志保の夫です。

志保さんからの投稿は妻の誕生日、兼、
結婚記念日の5/13で終わっていますので
その後の症状を私視点で並べます

また、5/10の妻の投稿で、誤って消して
しまった腹水穿刺とKMカートの記事を
復活予定とありましたので、下に5/9として
判る範囲で入れました。

本当はもっと早く書き上げるつもりでしたが、
思い出すと彼女の頑張りに泣き、たらればの
反省で泣き、時間がかかってしまいました。

---

5/9木
腹水を5/7に3L、5/8に3L抜き、KMカートの
ろ過後の自己蛋白溶液540mlに戻す。
体重82.9kg → 77.2kg(5/9朝時)
発熱無し。足の浮腫み、おなかの張りや
呼吸し難さも改善。
体のだるさと痛みはあり。


5/10金
志保さん投稿済み「5/10発熱」
補足すると、朝の回診では発熱無く良好の
判断。その後午前中に発熱して解熱に
点滴いれてます。
ご義両親と院内の店まで歩いてました
夜38.1度


5/11土
志保さん投稿済み「5/12肺炎」
7時で39.2度。10時のCTではボーっとして
言われたことが判らず聞き直してたそう。
10:30-14:00面会
発熱の説明が肺炎疑いに変わり、ロキソニン
から抗生剤に点滴が変わりました。
病院内の移動と会話に問題無し。
退院後に自宅療養とするために、ゴミ屋敷
状態の荷物をトランクルームに預けること
などを二人で相談。
腹水を3L抜く。


5/12日
7時で37.8度
12:10-12:50面会
アルブミン下がっているのもあって、
本人が食べたいものとしてハーゲンダッツを
試してみましたが、半分しか食べられず、
また、30分後に吐いてしまってました。
夕方友人のお見舞い 
←志保さん投稿済み「5/13
また頑張ろうと思わせてくれたもの」
腹水1.2L抜く。体にだるさ。


5/13月
朝37.6度、75.1kg
昼36.7度
明日病院に何もっていくかでラインしていたが
特におかしいところは無く


5/14火
朝37.0度 77.9kg
11:00-14:00年休とって面会
特におかしいところは無く
お義姉さんが15:00面会


5/15水
79.0kg
レントゲンで肺炎無く抗生剤点滴終了の判断。
お腹も落ち着いているので、KMカートは
来週にして、そろそろ退院の検討を
始めましょうとのこと。
11時床に転げて大変だったのメッセージ。
アルブミン数値が2を切り、病院食が何でも
良いので食べたいものとされ、麺類を選択
主治医との退院に向けての面談を5/18土の
11時に設定


5/16木
熱なのか肺炎点滴(抗生剤?)が再開される
昼38.9度
16:00ラインで「独り言しゃべってる」、
「熱が高いから(メッセージ)打てない」等
おかしいことの自己申告。
20時前に今日来るか明日来るのかの
メッセージが来たので
夕方のメッセージと合わせて、
上司に明日朝病院行くので出社遅くなること
お願いし了承入手。
電話すると軽い錯乱状態。
電話中に血液検査結果から低ナトリウム血症の
判断が出てナトリウム点滴開始、落ち着く。

上司には妻が治療していることを説明済み、
病院外で何かあったときのために目立たず
ラインを確認すること、急な年休をとる場合が
あることを容認して貰っていました。
H病院で昨年7月末に通院治験した際に自宅で
高熱発疹になり1ヶ月入院したので、
そのあたりで相談したような、
もう少し前からしたような。


5/17金
8:00-10:00面会
会話は問題なく出来る。
下肢に力入らずベットから立ちあがり難い。
17金か18土のどっちからだったか記憶が
曖昧なのですが、呼吸終わりにしゃっくり
みたいな音が付いてました。
17時のラインで、トイレが一人でいけず
看護師さん補助になって憂鬱とありました。


5/18土
10:00-14:30面会
会話出来る。
下肢に力入らずベットから立てない。
昨日私が帰ってから膝伸ばし運動やったのに、
と言って笑う。
簡易トイレが持ち込まれ試し、それでも
笑ってくれていました。
11:05-11:50時の主治医面談(主治医+
志保さん+私で、志保さん後ろに控え看護師)。
車椅子で面談室まで移動。
意識飛ぶ様子があり手を触って大丈夫か
確認すると、本人大丈夫との答え。
でも必死に話聞こうと頑張っていて、
メモも取っているが、メモ帳確認すると
読めないみみず状態でした。
その後一緒にご飯を食べ、
疲れて横になりたがっていたので横にして
話せるようになってから面談結果と
延命処置をもう一度確認して、
オイルマッサージして帰宅。
<三者面談内容>
-低ナトリウム血症の治療方針
がん由来なのでナトリウム点滴は不適切。
がんから出るホルモンの影響で体内に
水がたまり、相対的に血中のナトリウム濃度が
下がるので、脱水ぎりぎりに持っていくのが
適切な治療でそれを始める。
-5/21火の在宅療養検討のケアマネ+
医療スタッフの打合せで、治療方針や
データ引継ぎにN病院側から医療スタッフの
同席をお願いできないか →OK
-退院時にN病院が遠くなるので自宅近くの
基幹病院に医療データ引継ぎをお願い 
→退院時にデータと紹介状を渡すので、
志保さん抜きで良いので事前に受診手続き
開始しておくようにとの段取りの指示
-遺伝子パネル検査をしたいが意味があるか?
→ 4年前のS病院凍結保存分が使える
可能性があるが、その後抗がん剤を続けて
いるので体内では遺伝子変異している可能性が
高い。改めてがんの病理片をとるとしても、
固形がんのある肺か肝臓からで両方血管が
集中していて出血で問題となる可能性が高く
薦められない
→ 血液からの遺伝子検査は可能だが
パネル検査と違い多くても20種類の変異しか
判らないので意味がない
-丸山ワクチン含め医療エビデンスの
低い治療法の確認
-上の質問は私からで、最後に主治医より
蘇生(延命)措置をするかどうかをまた
来週中にでも決めておいてと言われたので、
措置内容と蘇生確率を確認。
がんの場合はまず戻ることが無く、また骨が
弱くなっているので志保さんの場合は肋骨
折れるだけで意味が無いとのことでした。
蘇生措置しないと回答。


5/19日
1:28にN病院から心肺停止の電話が入る。
(着信履歴からは1;23と1:26にもありました)
心臓マッサージや酸素吸入しているが
継続するか聞かれ、蘇生確率など認識が
当直医の方も同じか確認し、
上記で不要としていたので
措置終了を電話で回答。

タクシーで移動し2:30前後に病室に到着。
まだ温かく、苦しんだ後は無く全くもって
寝ているようでした。
ベット壁側の酸素バルブに酸素吸入器が、
その横にはたぶん吸引機が繋がっていて、
吸引機側には茶色の吐瀉物?がありました。
頬には吸入器のマスク跡がありました。

ご義両親への電話連絡は1:28の電話で
どっちからするか聞かれたので、
病院側からでお願いしていたのですが
来られないので3:09、3:29に義実家に
電話し、ご義両親到着後の5時前に
当直医と看護師から説明を受けました。
(病院から連絡が、私の記憶違いかも
知れないです)
-0:00巡回では問題無し、次の巡回で発見
-切開して検死すれば死因は特定出来る
可能性がある、判らない場合もある 
→蘇生出来ないので不要で回答
-推定死因は、吐瀉物が呼吸器につまり、
二酸化炭素があがっての死亡。その場合は
意識を失い苦しさは無い。
-18土の夕飯は?
→前日と同量食べていた
-昼以後の日常会話以外で何かあったか?
→無い
死亡診断書の当直医による死亡確認は5:17。


確か、14:00頃に葬斎場に到着して、
プラン説明、契約。
5/20月 10:00入棺
5/24金 通夜
5/25土 葬送告別式
              火葬と骨拾、初七日精進落し

火葬では、棺の中に歌手の宮田さんから
志保さん宛てのメッセージ入り
ジャケット部分(紙)と、
キーボード伴奏用の譜面(紙)も入れ、
志保さんへ届くようにしました。


5/21火、N病院にいくも主治医不在日で
ナースステーションのみ、担当看護師と会話。
上記以上の情報は無くお礼して医療麻薬の
処理方法確認があり終了。
主治医面談予約は午前来診、午後手術で
明日一日病院におられるはずなので
明日総合受付から繋いでもらうよう指示あり。

5/22水、N病院で主治医に繋いで貰うも、
多忙で手が離せず別な先生を送るので
その先生と面談して欲しいと言われて面談。
4/25に急な入院をN病院に受け入れて貰って、
そこからずっと担当して貰っていた
担当医の方でした。
当直医と同じ見解と、当日の夕方の回診も
担当医だったとのことで状況を聞きました。
確か、寝転んでいて会話と腹水の触診など
だったと思うのですが、診察で異常はなかった
とのことでした。
また、担当医から追加見解として、
多数のがん患者を診てきたが、
直前1週間での体調の悪化具合、
また午後から半日での悪化具合と
2つの時間軸でここまで悪いのは初めて。
吐くことは自己申告がないと予見は難しく、
仮に心肺モニターをつけていれば定期巡回
よりもう少し早く判った可能性はあるが、
その必要性は判断出来ず、つけていた場合も
救えたかは判らない。と、言われました。

前日の三者面談で主治医から蘇生措置有無を
聞かれたことが気になっている、退院し
自宅療養の方向で話していたが、
余命見立てが実は違っていたのか?
N病院固定電話から、担当医経由、手紙など、
主治医にこちらから直接連絡出来ない方法で
良いので教えて欲しいと担当医にお願いして
病院を出ました。
20時にお電話頂き、血液検査から
低ナトリウム血症と判断しているが、
面談時に首が据わらず意識がとんでいたので
せん妄の可能性が否定出来ず、
その場合に備えた確認とのことでした。

主治医の先生は、2年前10ヶ月効果があった
フォースラインの先生でその際と今回入院時の
治療相談で、余命の説明も受けていました。
個人差があり平均値しか言えないが、
一人で風呂に入れないなど体が動かせないと
3ヶ月、寝たきりで1ヶ月、せん妄で1週間、
短くなるほど個人差は減ってくる、
というものでしたので、
仮に三者面談の際の意識が飛ぶ状態が
せん妄だとしても早すぎる、
ということでした。
お礼を言い電話を終わりました。


抗がん剤リチャレンジが出来なくても
少なくとも3ヶ月、個人的な期待値半年、
リチャレンジして1年間持てば光免疫療法他の
次の治験にもチャレンジ。
医療スタッフは腹水穿刺対応出来る町医者を
N病院の患者サポートの方に選んで頂いて
いました(妻はS病院よりも親身で凄いと
感激していました)
自宅の3ヶ月でごみ屋敷の整理しながら終活も
始める、介護保険は限度額一杯でも必要なら
使う、上司には自宅になると定時1時間前に
退社とするかもしれない、寝たきりになると
年休に入るかも知れないと伝えていました。

まったくの想定外でした。





ここからは志保さんに関係ない私の語りも
入ります。

私自身の気持ちの整理と、彼女の凄さを
知って欲しくて書くのかな~と思います。

先に、私個人としてのお願いですが、
葬儀も出したので、読む方のうち一定数に
身ばれしてるのを承知の上で書いていますが、
志保さんが投稿したように私はシャイです。
からかわれると関係を切るか、転職して
知らない土地に引越しすることになるので、
勘弁して下さい。
また、志保さんの周りの方々は良い方々
ですので、からかった人には何らか報復が
行く可能性がありますのでご注意ください



優しさ、妬まずまっすぐ祝うところ、
人を笑顔にするところ、(お義母さんが
怒っていたらしいと妻から言われましたが)
天然なところも好きでした。
天然はダイバーシティ(多様性)と言い直せば
良い意味でOK、私の体臭が好きでしたので、
遺伝子も離れているのではと思っています。


妻の頑張り強さを尊敬していました。
羨ましがっていたので妬みがなかった訳では
無いのを知っているし、抗がん剤影響で
髪が傷み薄くなったり化粧出来ないことを
気にしていたのももちろん知っているし
(薄毛は柏にウィークリーマンション借り
通院していた時.バスで大学生にからかわれ
車中で顔を上げれなかったと珍しくこぼして
ました、多分この1回だけだったと思います)、
皮膚障害で肉割れしても頑張って抗がん剤を
続けて気がついたら指先から血が出て
かばんや服に血がついてホラー状態だったし、
杖や歩行器も席を譲って貰えるメリットも
あると笑っていました。
ガンの痛みは式で話した通りです。

癌に耐性がついて次の治療法を探しに
複数の病院を一緒に回り、先生方と面談し
疑問を確認して、どの先生の方針にするか
決定して、一緒にがんと戦ってきた
戦友でした。
私のサポートが凄いとお褒め頂くことが
ありますが、違います、分担協力して
同じ目標に進んでいた戦友です。
もし人生に二週目があり、
あって欲しくは無いですが障害があれば
また一緒に戦うと思います。
ジェットコースターです。

以上で終わりです。