私が一番素を出せていたのは中学の頃だ。


その頃は本当に自分全開で生きてきた。

今では考えられないくらい目立ちたがり屋で、

同性異性関係なく友だちがいた。

いわゆるスクールカーストの上の方ではないが、気の合う友達とつるむのはすごく楽しかった。


今でも一部の友達とは連絡を取り合うが

一方で、先輩や後輩からは嫌われていたと思う。


でも、気の合う友達は多かったのだ。

自分全開で生きてきたから楽しかったのだ。



教師になって、自分を出せたことなどない。

昔の私を知っている人からすると、私は「暗くなって、欝のように見える」らしい。


つい最近まで、「中学時代は楽しかったけど、嫌われることも多かった。あんな風に自分を出していたことは黒歴史にして、気を遣える人間になろう」と考えていた。


でも、社会人になって、楽しいと感じたことは一度もない。

教師になって良かったと思ったこともない。


ひょっとしたら、いい教師のフリをしようとすればするほど本来の自分から遠ざかっていってるのではないか。

そして周りが見えなくなり、自分を見失ってきたのではないか。


中学時代を思い返すと、六割の人に好かれて、四割の人に嫌われていたような気がする。


クラスの子どもの六割から好かれる教師を

いい教師と呼べるのだろうか?

教師なら、十割の子どもに好かれないといけないのではないか?

そんなことは絶対に無理だと分かっているが、六割の子どもに「先生好き」と思われたら、まあまあの教師ではないのか?


「いい先生」でなくてよい。

「まあまあの先生」を目指そう。


そう思うと、少し勇気が湧いてくる。