北海道には数多くの廃線・未成線があり、それに属するように多くの廃隧道を抱えている。

しかしそれらの隧道の大半は熊などの野生動物の巣になることを防ぐため坑口がコンクリートで埋められている。

そのため、ほとんどの廃隧道が探索困難である。


しかし、そんな北海道にも探索可能な廃隧道が存在した。



隧道は国鉄戸井線という未成線上にある。


まず戸井線のプロフィールを軽く紹介する。

戸井線は五稜郭駅から戸井町(現在の函館市戸井)に至る29キロの鉄道だ。


戸井線が建設された経緯はかなり複雑なので割愛するが、要約すると津軽海峡における防衛力強化を図るべく軍事輸送を見込んで昭和10年(1935)頃に国が計画した路線である。


昭和11年(1936)頃に測量が始まったが、戦況悪化と資材不足により昭和17年(1942)に建設中止へ追い込まれた。





路盤工事は図中の弁才町(弁財)駅付近〜戸井駅のみ手付かずとなっており、他の区間はほぼ完成していた。


全線を通して隧道は2つ。どちらも汐首〜弁財駅間に立地している。



図は「汐首岬路線詳細図」というもの。


図中のトンネルA、トンネルBが今回探索した隧道だ。

残念ながら隧道名を突き止めることはできなかった。


五稜郭側のトンネルAが全長310メートル、

戸井側のトンネルBが全長10メートルとある。


竣工は昭和15年(1940)ごろと思われる。


以上3枚出典:汐首岬砲台と戸井線について



前置きが長くなってしまった。

ここからは現地の写真をお届けする。


現在地は函館市の瀬田来地区。

集落の頭上を通過するのは戸井線の瀬田来第1陸橋。陸橋上は地元民の津波避難場所として整備されているようで、外壁は小綺麗にされている。


なお、陸橋については出典元に詳しく解説があるので、そちらを読んで頂きたい。


津波避難場所、すなわち陸橋へ登る階段が整備されているので有難く活用させていただいた。

階段を登りきると、目の前にトンネルBが口を開けていた。


早速潜入する。


入ってすぐ、大きめの崩落が起きていた。


辺りは特別脆い土壌ではないが、土被りが浅いことと戦時中の質の悪いコンクリートが悪さして崩落したのだろう。


崩落現場の頂上から先を見下ろす。

先述の通り、このトンネルBは全長10メートル。

目と鼻の先にある出口が煌々と輝いている。

崩落を乗り越えた先から奥を見通す。

崩落は現状1箇所のみだが、亀裂はいくつも走っている。

竣工から84年。コンクリート隧道の耐用年数は長いとはいえ、保守管理なしで風雪に耐えられる年数はとっくにオーバーしているのだろう。


鉄道用の隧道にはお決まりの待避坑もちゃんとある。



出口は荒れ果てている。2月でこれだから、夏に来たら薮地獄だろう。



先にもう1本のトンネルが見える。トンネルAだ。


探索当時は近隣のトンネルは先程の1本のみだと思っていたから、2本目の登場でテンション爆上がりだった。


トンネルAとBの間の明かり区間は石垣に固められている。が、法面の一部は土砂崩れに巻き込まれてガレ場と化していた。

ガレ場通過中。

このまま潜入。


全長310メートルのトンネルA、長い。

この時は全長を知らなかったから本当にビビった。先が見通せない。

出口の光が見えないのはカーブしているからだろうか?

…歩き通したかったが、車は国道に路駐したまんまだし、時間がない。悔しいが無念の撤退。


以上、戸井線の隧道レポートでした。


…いつかリベンジしたいなあ。