私は難病だと告知される頃から、歩行するのにびっこをひくようになっていたのも気付かなくて、病名が中々判明しなくて、何件の病院を渡り歩いたことだろうか?。

 

 

 

最初のころからも今も悩みの種でもある突然の噎せに襲われていて、だから、吐き気止めの

点滴をずーとしっぱなしになってて、先生という特別な存在には患者は逆らえなくて。

 

 

 

半年の間にそんな訳で寝たきりになり、挙句の果てに、不明だからとて、精神科に入れられていた。ただ、天井を眺めてる過酷な入院生活を送っていたから、結果的に尚更、悪化を辿り。

 

 

 

そんな経路があったからか、私は気付かないまんまで、振り返ると、人生の大事なときに足

ぶみ状態の無駄な期間を費やしてて、介護してくれる身内は日々やり通すのが精一杯で。

 

 

 

今頃になって振り返ってみると取り返しのつかない身体になっていて、何もしないで寝たきり状態の時に、患者にとっては先生という存在には従うものなので。

 

 

 

今になってはそんなときが悔やんでも悔やみきれないで地団太を踏む思いもあって、こんな

期間は私の人生で取り返しの付かない重い汚点が宿っていることに何も出来ない自分自身に

 

 

 

 

振り返ると、私は患者だから判断の選択の善し悪しも付かない状態で、なすがままは悔いが

残るけど、過去は元には戻れないのがこれが私に定められた運命ということになる。

 

 

 

そんな、経緯があって、正解の病名は何?の怒涛の暗中模索してた時に、ふとした知り合い

の先生に病院を紹介してと依頼したら、すぐ側で運命の神様の先生に出会って、初めまして

 

 

 

の出会いの時に私が入室するのを目ざとくビビット瞬間をみとっていて、その時の私のいま

では自然とびっこが染みついているのをその先生は見逃さなかった。

 

 

 

も少し、診察室を余分に歩いてごらんと言われて、歩いてみると、素早い判断で難病ですと

閃いて、特定疾患の手続きを早くにしましょうでバタバタと正解の病名を告知出来る名医と

の出会いが。

 

 

 

それが、今の主治医さんなのです。対応からして、神がかっていて、主治医さんと会話する

だけで心に覇気が湧くのは、遠回りしたけれどあのまんまだったら、今、この世にいないと

 

 

 

だから、私が部屋の中を移動するのにも自ずとびっこを引かないと歩けない体制にしかできなくなってる私。

 

 

 

これは命果てるまでびっことつきあっていかないとならない状態の私なんですが、私が私のことを説明するのにびっこを引くと言ってるのに、ある健常者の方でそれは差別用語だという方がいて、中々、人も色々で難しい。

 

 

 

私は私のことを言ってるのだから、びっこで押し通します。