今回は、個人的に大好きな作家、原田マハの「奇跡の人」を読んだ感想です。
表題「奇跡の人」、聞いたことあるタイトルだなあと思い、読んでみると皆さんも想像した通り、ヘレンケラーとサリバン先生のお話をベースに舞台を明治維新まもない津軽地方に置き換えての原田マハ流のリメーク版というところでしょうか。
私自身、そもそもヘレンケラーのお話は小学生低学年のころ、絵入りの図書として読んだような・・・、なので、はっきりとした印象はなく、三重苦を乗り越えた立派な人とその先生という程度の記憶しか残っていませんでした。
したがって、今回、原田マハの創意と表現力によるリメーク版を読んで、実際に大変な困難を乗り越えさせた教育者のサリバン先生とその指導をしっかり受け止め、人並み以上の知識と能力を身につけていったヘレンケラーの努力は並大抵なものではなかったことが、手に取るように理解できて、率直にほんとうに良かったと思っています。
いつもながら、涙なしでは読めないくらい感動しましたが、この機会にヘレンケラーとアンサリヴァン先生の実際の物語も読んでみようと思った次第です。
さて、本作について、若干のネタバレになりますが、簡単なあらすじを述べますね。
時は明治20年、留学生として渡米し、最高の教育を受けて帰国した去場安(さりばあん)は、伊藤博文を介して、青森県弘前市の男爵家から「娘の教育係になってほしい」という依頼を受け、まだ鉄道も敷設されていない最果ての津軽に単身乗り込んでいく。
その娘、介良れん(けられん)は、三重苦で屋敷奥の土蔵に閉じ込められ、虐待に近い扱いを受け、獣のようにふるまう少女であった。
物語では、「あん」が獣となっている「れん」から傷つけられながらも、愛情と信念をもってひたむきに接するうちに潜在能力がある「れん」が心を開き、能力を向上させていくわけですが、その一方で「れん」の父は、世間向けに体裁だけ整えばよいと考え、母はかわいそうという気持ちが先行し、甘やかしてしまうことにより、また、伸びた能力が元に戻ってしまうという繰り返しが続きますし、理解のない周りからの様々な悪意と嫌がらせに直面していきます。
そのような状況下で、「れん」の教育環境を確保したいという「あん」の必死の願いがかない、しばらくの間、両親と離れた場所で二人で暮らせることになります。そして、ここで、「れん」は、「ボサマ」という門付け芸人の「キワ」という少し年上の盲目の少女に出会うのです。
生まれ育った境遇がかけ離れた「れん」と「キワ」が心を通わせ、ともに学ぶ姿は思い出しただけでも目頭が熱くなります。
実話にはない、この「キワ」との出会いと別れが本作で、原田マハがテーマとして伝えたいポイントにつながっていると思います。
本作は、二人の長い苦闘のほんの始まりの部分だけを描いており、この後のことも書いてほしかったなあと思う反面、読む側に十分に作者の思いを伝えてくれる秀作だと思います。
ぜひ、読んでほしいと思います。