さて、昨日は小学生ぐらいまで書いたんでしたね

福岡で小学生時代のほとんどを過ごしていたのですが、小学5年生から6年生に上がる時、私の人生の1度目の大きな転機が訪れます。

 

父の転勤で東京に引っ越すことになったのです。

 

福岡のド田舎から大都会東京(といっても23区内ではなく東京の端っこの方の多摩ですが)、ですから馬鹿にされたりナメられたりしたくなくて緊張していた記憶があります。

 

 

そんな気持ちでいましたから、転校して早々にひと騒動起こします。

 

九州に住んでる方は分かっていただけると思うんですが、九州は関東と比べると大きな地震が少ないんですよね。

 

最近は熊本とか数年前の福岡西方沖地震とかありましたけど、特に自分が小学生の頃は福岡で地震にあうってことがなかったんです。

で、東京に引っ越して半月ぐらいの時、震度4の地震があったんです。

 

震度4ですが、もう恐怖です。

 

恐ろしくて恐ろしくて、翌日学校に行ったときに、昨日の地震怖かった~って話してしまったんです。

 

その反応が同級生には新鮮で私のことをからかったら楽しそうと思ったんだったんでしょう。

 

その日の授業中、隣の席の同級生が私の机の脚を持ってガタガタガタっと揺らしたのです。

 

地震の恐怖を知ったばかりの私は授業中にも関わらず、「ぎゃー!地震!地震!」と大慌て。

 

クスクス笑う同級生、我に返った私は隣の子にいたずらされたとようやく気付きました。

 

で、当然ナメられる訳にはいかないと思っていたので、瞬間湯沸かし器のようにカーっとなり、顔面目掛けてグーパンチ。

 

相手の子の顔から鼻血がタラーっと垂れて取っ組み合いの大ゲンカ。

 

授業中だから先生もいたし、周りが止めに入って収まったのですが、転校して半月で親呼び出しですよ。

 

後で聞いた話ですが、その時母は担任の先生に「流血するようなケンカするなんてこんな乱暴な子は初めてです」と言われたそうです。

 

東京の小学生って大人しいんですね。

 

とまあ、この事件のインパクトが効いたのか、その後はナメられたりイジメられることもなく、友達もたくさん出来て楽しい1年を過ごすことが出来ました。

 

正直、東京の小学校の1年間は福岡の小学校5年間より濃い1年だったと思います。

 

 

と、あまり長くなってもアレなので今日はここまで。

コロナ禍でヒマなので、暇つぶしに毎日ちょっとずつ私の半生を書いていきたいと思います。

 

特に波乱万丈って訳でもない、何でもない人間の半生なんて興味がないって方はそっ閉じでおなしゃす。


私、現在は福岡に住んでいますが、出身地は…、、、

 

あれ?俺って出身地どこになるんだ?www

 

そもそも出身地の定義って…

 


ハイ!というわけで出身地の定義について調べて来ました!

 

国土交通省によると出身地とは「15歳ぐらいまで、最も長く住んだ場所」だそうです。


 

すみません、初っ端から脱線しました。

 

私が生まれた当時、父は大阪の会社に勤めてまして、両親と兄は大阪の枚方市に住んでました。

 

ただ、母は私を出産する時は実家の鹿児島に戻り、私が生まれてしばらくは鹿児島に滞在していたそうです。


そこから2年ほど大阪で過ごしますが、父が勤めていた会社を退職し、転職先を探すのに半年ほど鹿児島で過ごします。

 

そして、父の転職先が決まり今度は佐賀県の鳥栖市に引っ越しました。

 

その後、私が小学校に上がるちょっと前に父が福岡に購入した、当時は最先端だったマンション(まあ、ただの団地ですが)に住み始めました。

 

ここで5年間暮らすことになったので、私の出身地はこの後住むことになる東京と僅差で福岡県ということになりますね。

 

 

とまあこんな感じで、特に何も起こることなく平和に過ぎていった私の幼少期はこんな感じでした。

 

ちなみに私、物心付いた時からの虎党、根っからの阪神タイガースファンなのですが、物心なんて欠片もない大阪時代、近所に住んでいた母の学生時代からの親友の旦那さんに洗脳されたのがきっかけのようです。

 

どうでもいい話ですね、ええ。

 

 

というわけで、続きはまた明日。