また1か月が経ってしまいました。
なにがあったかな、、、。

思い出そうとしても、全く思い出せません。


Googleマップのタイムラインから、この1か月の私の行動履歴を振り返ってみると。

家から一歩も出ていない日も数日ありました。

その日の記憶は全くないものの。

【家から一歩も出ていない日】のではなく、

【家から一歩も出られなかった日】だったのだと思います。



忘れていたことを思い出す

再燃してからブログを書き始めましたので、その期間のことはブログを読み直せば思い出せるはずです。

でも、闘病が始める前の【当たり前のありふれた日常】のことはなにかのきっかけがないと、忘れていることのほうが多い気がします。


先日は娘の習い事の先生が、娘に会いに来てくださいました。

長らくお世話になっていましたが、病気がわかってからは辞めた習い事でした。ですので、先生にとっては、病気がわかる前の娘こそが、娘なのでしょう。


習い事が終わる時間に私が迎えに行くと、

「一人で帰れる!」

「一人で帰りたい!」

そう言い張る娘の話をしてくださって。

忘れていた娘の姿が一瞬にして蘇りました。


本当に意思の固い娘でした。

闘病中は何度も衝突することもありました。


娘のその人生のどこの瞬間を思い出しても。

「一人でできる」

「自分でできる」

「自分の思う通りにやりたい」


自分の意志がとにかく強い娘でした。


そんな娘が、一つずつ、少しずつ、当たり前にできていたことが奪われていく。

どんなに怖かったか。

どんなに辛かったか。


でも、弱音を吐かずに、最後まで自分の意志を貫き通した娘。


歩きたい

学校に行きたい

生きたい


なんとしてでも、娘の想いを叶えたかった。


なぜ、どうして。

結局、そこにたどり着きます。



DIPG

同じ病気で頑張っていた子どもたちがまた何人もお空に旅立ちました。


そして、新たに診断された子どもたちがいました。


診断と同時に余命宣告。

放射線【治療】という名の、【緩和ケア】


この病気に【治療】なんてありません。


昨日今日見つかった病気ではないはずなのに、

何十年前からなにも変わっていない。


なにもかもが、残酷すぎる理不尽しかありません。



娘がお空に行ったことは理解しています。

でも、私、やっぱり、娘の病気をなんとしても治してあげたいんです。


【娘を治す方法】を未だに探し続ける私は、頭がおかしいのかもしれませんし。

私の闘病は一生終わらないのかもしれません。


そして、それが正しいことなのかも、私にはわかりません。




お空にいる娘が、

こどもたちが、

好きなものを食べて、

学校に行って、

自由に走りまわって、

やりたかったことをして、

どうかどうか皆で仲良く幸せに暮らしていますように。



娘が放つもの

小さい頃から家に一番遊びに来てくれていたお友達のお母さんからの言葉。


「部屋がとにかく暗くてびっくりした」


娘の旅立ちのあと、初めて娘の部屋に入ったときに感じたことを教えてくれました。


電球も切れていないし、照明器具の照度が下がっているわけでもない。

娘がいた頃と何一つ変わっていないはずなのに。


お友達は、「部屋が暗くて、さみしいから行きたくない」と言っていたそうです。


物理的な明るさは何一つ変わっていないはずなのに。

娘がそこにいるだけで、光を放っていたんだな、と改めて感じました。


太陽のような、明るい明るい娘でした。

というか、娘は太陽でした。


岩戸隠れの神話のように。

我が家は暗闇に包まれた世界です。


楽しい踊りをすれば、岩戸から出てきてくれたらいいのにな。


月命日の日

学校のたくさんのお友達が娘に会いに来てくれました。

学校での出来事、娘のことをたくさんお話してをしてくれること

「○○ちゃんのお母さん!」と呼ばれること


素直に嬉しいです。


学校では、ある出来事があったそうです。

来るお友達、各々みんなが、開口一番にその話をしてくれました。

そんな子どもたちの話から、

娘は学校にちゃんと通えているんだな、

そう思えました。

嬉しかったです。

ありがとう。


クーラー

月命日の日も、とにかく蒸し暑い日でした。

クーラーで部屋をガンガン冷やしていたはずなのに、子どもたちが来てくれた瞬間から部屋の温度が上がり始めました。


子どもの発する熱って、こんなにすごかったのだな、と。


思い返せば、今年は我が家のクーラーがよく効いてると感じていましたが。

でも、クーラーが原因ではなく。

娘がいないから、室温が上がらないことに気が付きました。


汗をかきながら、暑い暑いと言って、元気に学校から帰宅してくる娘。

娘が帰宅した瞬間から涼しかったはずの室温が上がって。

クーラーの温度を下げても、やっぱり暑い室内。


暑い暑いと言いながらも、絶え間なく動き回り、眠る瞬間まで動き、おしゃべりし続ける娘。


よく冷えたはずの部屋なのに、大汗をかきながら眠る娘。


なにもかもが愛おしい。

会いたい。



太陽がなくなれば、世界が暗闇に包まれるだけでなく、冷え切ってしまうこともよくわかりました。


阪神タイガース

一応、今月も書いておきます。

(誰も興味ないと思いますが、、、)

週6日、3時間前後も、無料で楽しめる娯楽の存在に相変わらず助けられています。

オフシーズンになったら、どうして良いのか分かりません。7月の今からもう不安です。


先日は鳴尾浜に行ってきました。

平日の割と早い時間に向かいましたが、

目の前で整理券配布が終わってしまいました。

阪神ファンは本当に熱心やな、と毎度思います。

(我が家も含む)


来年から尼崎の新球場に移るので、最後に一回くらいは鳴尾浜に行けたらな、と思います。



鳴尾浜やタイガース関連含め、娘との思い出が極力無い場所、家族連れが少ない日時場所を選んで、出かけたりもしています。

そして、それなりに楽しいと思える時間も過ごしているつもりです。


でも、

娘と過ごしたあの幸せな幸せな世界には、

もうどうやっても戻ることはできません。


強制的に連れてこられた、太陽が存在しないこの世界で生きるしかもう道はありません。


この世界における幸せのハードルをとにかくとにかく低く低く設定して。


何事もなく、当たり前に流れるように過ぎる何もない今日という日であっても、

それが太陽が存在しないこの世界において最も幸せな日なんだと。



そう自分にそう言い聞かせて。

歯を食いしばる毎日です。


オカルトではありませんが、苦手な方はどうぞ読み飛ばしてください。


私は娘の部屋で、毎晩娘と寝ています。

ある夜中、目を覚ますと部屋が明るくて。


電気を消し忘れたのかと思っていたら、

娘がいる場所から光が放たれていて、

神々しく光っていました。


不思議なことは、本当に存在するのだな、と。



単に寝ぼけていただけかもしれませんし、

以前まで私が存在していた世界の方には誰にも話せません。(病んでると思われそうで、、、)

でも、どうしてもこのブログを読んでくださってる方には聞いてほしくて、ブログに記すことにしました。





上の方で、【娘は太陽でした】と書きましたが訂正します。

今、現在進行系で【娘は太陽です】



可愛い可愛い娘のことを想い、

可愛い可愛い娘の話ができる瞬間こそが

私にとっての一番幸せで、心があたたかくなれる時間でもあります。


お空の上からあたたかい光を私の心に差し込みながら、娘がいつも見てくれていると思うと。


なんとしてでも、この苦しい毎日を生きていかねばならないのだな、と痛感します。


一日一生。

1日1日を大切に。



長くなりましたが、

今月も読んでくださってありがとうございました。