息子に語る哲学

息子に語る哲学

愛する息子と暮らしていた頃、そして離れた後に、父はこんなことを考えていた。

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僕は父親と息子って二本のレールみたいなもんだと思うのね。

ずーっと接点はない。

でも、釧路湿原なんかで日本の線路が寄り添ってスーッと延びてるときれいじゃない。

あれが親子の理想型のような気がする。
(中嶋常幸/プロゴルファー)

 

でも、遥か彼方に目をやると、次第に距離が近づいていくようにも見える。

だから、これからも生きていく。

 

『ヒクソン・グレイシー自伝』より

親が自分の満たされない野心や不満や不安といった感情的な重荷を子に背負わせてはならない。

一貫して子どもを支えていく必要がある。

いちばん大事なのは、子どもが勝とうが負けようが引き分けようが、そこで判断せずに経験を積ませていくことだ。

マットに上がる直前、父は「ヒクソン、試合に負けたらプレゼントをふたつやろう。勝ったらひとつだ」と言った。

負けても怒られないのだと思うと、重圧が消えていった。

試合には負けたが、父が怒らなかったので、いやな思いはしなかった。

それどころか、年上の子たちに向かっていった私を父は誇りに思ってくれた。

に認められた ― 感じたのはそれだけだ。

子どもの行く末は親が制御できるものではないと心得、受け入れるしかない。

種をまき、精一杯育てはするが、ある時点で手放さなくてはならない。

どんなに知識や愛情、お金、助言をあたえても、自分の翼が強くなれば飛び立っていく。

自力で人生を切り開いていく。

こうなってほしいと思う姿があっても、父親は子のあるがままを受け入れるしかないのだ。

 

護道の完成」より:

 

(大阪の繁華街で喧嘩を売っている、工事現場の作業服の大柄な男と)しばらく睨み合っていると、男は「兄チャン、何か格闘技とかやってんのか?」と話しかけてきました。私は黙ったまま何も答えませんでしたが、男は急にフッと人なつっこい笑顔になり、「まあええ、ワシがおごるから、ちょっと飲みに行かへんか?」と言われ、私もなぜか「まあいいか」と思い、見ず知らずの男についていき、近くの飲み屋に入りました。

 

しばらく2人で黙って飲んでいると、さっきまで喧嘩しようとしていたことが、だんだん可笑しくなってきて、「ま、いろいろありますよね」と、今度は私から話しかけていました。それを聞いた作業服の男も「そうやな」と答え、それからはお互いのことについて話をしました。

 

この男性の仕事は建設現場の親方で、今度小学生になる娘さんが一人いるらしいのですが、離婚したため娘さんは奥さんが引き取ることになり、現在は一人暮らしをされているということでした。私もなぜか初対面の親方に友人にも話せなかった(自閉症の)息子の話などをしていました。そして話が少し途切れた時、親方は自身の持ち物であった紙袋の中から、綺麗に包装された箱を取り出しました。

 

「これな、色鉛筆のセットが入っとんねん。娘の入学祝いに買うたんや。絵が上手な子やからな。そやけど娘に会わせてもらえんのよ……」

 

そういうと、親方の目から涙が流れました。私には離婚の理由はわかりませんでしたが、一人娘の入学式にも出れず、入学祝いすら受け取ってもらえなかった悲しみが、その表情には溢れていました。どんな人でも個々の悩みがあり、人はその一面だけでは判断できないなと考えさせられました。

 

「大変申し訳ないけれど、お父さんとお母さんは離婚することになった。お父さんとお母さんのどちらと暮らすか、決めてほしい」
 

娘は「3人一緒はダメなの?」と両親の顔をうかがい、僕が首を横に振るのを見て、しばらく黙って涙を流してから顔を上げて「じゃあ、お父さんと暮らす」と言いました。

 

何年か後になって、「あのときどうしてお父さんを選んでくれたの?」と娘に尋ねてみたことがありました。

 

「お母さんと暮らしたら、お父さんとおもう会えなくなるかもしれない。でも、お父さんだったら、『お母さんに会いたい』と言えば、いつでも会わせてくれそうな気がしたから」

 

という答えでした。

賢い子だなと思いました。

 

「そのうちなんとかなるだろう」(内田樹/著)より