http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2011090690070913.html
2日に退任した菅直人前首相が5日、本紙の単独インタビューに応じ、東京電力福島第一原発の事故発生当初に原子炉の状態が把握できず、水素爆発が相次ぐ中で「東京に人っ子一人いなくなるような事故に拡大するかもしれない」と、首都圏壊滅の危機感を持ったことを明らかにした。事故の体験から「日本の技術なら大丈夫」との考えが変わり、7月の「脱原発依存」宣言につながった。
菅前首相は、事故四日後の三月十五日に東電本店に乗り込んだ理由を「午前三時ごろ、海江田万里経済産業相(当時)から『東電が第一原発から撤退の意向を示している』と言われた」ためと明言。「(第一と第二で)十基の原発と十一個の核燃料プールを放置したら、何時間か何十時間の間に原子炉とプールの水は空になり、どんどんメルトダウン(炉心溶融)する」との危機感から、本店に政府と東電の対策統合本部を設けたと述べた。
その上で「撤退したら今ごろ、東京に人っ子一人いなくなっていたかもしれない。まさに日本が国家として成り立つかどうかの瀬戸際だった。(旧ソ連)チェルノブイリ事故の何倍、何十倍の放射性物質が出ていたかもしれない」と説明。こうした体験から「日本の技術なら大丈夫」との考えを改め、原発に依存しない社会を目指そうと思ったという。
五月六日に中部電力浜岡原発(静岡県御前崎市)の運転停止を要請した理由は「東海地震が発生する確率が非常に高いとの研究結果があり、事故が起きたら完全に東京と大阪の間が遮断されて、日本の経済、社会に極めて大きな影響を及ぼすから」と話した。
九州電力玄海原発(佐賀県玄海町)の再稼働目前に新たな安全検査の導入を決めた理由は「(経産省原子力安全・)保安院は、私の知らないところで、保安院だけで再稼働を判断する従来のやり方を取ろうとした。それでは国民の理解を得られないと言った」と述べ、経産省の対応を批判した。太陽光などの再生可能エネルギーについては「産業的にも可能性があるが、電力業界と経産省が三十年前から抑え込んできた。それをどう突破するか。私も頑張ってやろうと思う」と述べた。
高速増殖炉もんじゅ(福井県敦賀市)の運転再開や核燃料サイクルは「技術的に極めて難しい。根本的に再検討する時期にある」との見方を示した。
(東京新聞)
http://oshidori-ken.laff.jp/
よしもとの芸人のおしどりさんのブログです。
このおしどりさんは 東電の記者会見に出没することで有名なのです。
9月2日の記者会見の様子もみれます。
しかし・・・・・東電の記者会見ってまだやってたのか。
テレビでやんないからもうしてないのかと思ってた(汗)
油断できませぬ。
とゆうことで 是非 是非 このブログをブックマークに入れておきましょう。
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東日本大震災で被災した日本原子力発電の東海第二原発(茨城県)では、原子炉が安定的に停止している状態になるまでに3日半かかっていた。日本原電がまとめた資料でその作業の詳細が明らかになった。津波で非常用発電機の一部が停止し、炉内の水温や圧力を下げるため、綱渡りの作業が続いていた。
日本原電によると、東海第二原発は3月11日の地震直後に停電した。このため非常用発電機3台が動き始め、非常用炉心冷却システム(2系統)が起動した。しかし地震から約30分後に高さ5.4メートルの津波が襲い、その影響で命綱の発電機のうち1台が停止。非常用炉心冷却システムも1系統が使えなくなった。
こうした状況から冷却が十分進まず、地震から7時間後の時点で、原子炉内の水温は二百数十度、圧力は約67気圧。通常の運転時とほとんど変わらない状態だった。水温を下げるために注水すると水蒸気が発生して圧力が高まる。この圧力を下げるために水蒸気を格納容器内に逃がす弁の操作にも迫られた。
同様に被災した東北電力女川原発(宮城県)は12日午前1時ごろに安定的な停止状態になった。しかし、東海第二原発の炉内の圧力は午前2時前でも約58気圧と高い状態だった。さらに午前3時ごろには約60気圧に再上昇。注水と逃し弁の開閉の繰り返しで、燃料が露出するようなことはなかったものの炉内の水位も70センチほど変動した。
急激な温度変化は炉本体の損傷につながるような恐れもある。水温と圧力、水位の変動などを見極めながらの作業が続いた。14日午前に外部電源が復旧、深夜には止まっていた非常用炉心冷却システムもふたたび動き、炉内の水温が100度未満になる「冷温停止」の状態に至った。この間、通常の2倍以上の時間がかかったという。
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もうやる気まんまんやな。
日本原電によると、東海第二原発は3月11日の地震直後に停電した。このため非常用発電機3台が動き始め、非常用炉心冷却システム(2系統)が起動した。しかし地震から約30分後に高さ5.4メートルの津波が襲い、その影響で命綱の発電機のうち1台が停止。非常用炉心冷却システムも1系統が使えなくなった。
こうした状況から冷却が十分進まず、地震から7時間後の時点で、原子炉内の水温は二百数十度、圧力は約67気圧。通常の運転時とほとんど変わらない状態だった。水温を下げるために注水すると水蒸気が発生して圧力が高まる。この圧力を下げるために水蒸気を格納容器内に逃がす弁の操作にも迫られた。
同様に被災した東北電力女川原発(宮城県)は12日午前1時ごろに安定的な停止状態になった。しかし、東海第二原発の炉内の圧力は午前2時前でも約58気圧と高い状態だった。さらに午前3時ごろには約60気圧に再上昇。注水と逃し弁の開閉の繰り返しで、燃料が露出するようなことはなかったものの炉内の水位も70センチほど変動した。
急激な温度変化は炉本体の損傷につながるような恐れもある。水温と圧力、水位の変動などを見極めながらの作業が続いた。14日午前に外部電源が復旧、深夜には止まっていた非常用炉心冷却システムもふたたび動き、炉内の水温が100度未満になる「冷温停止」の状態に至った。この間、通常の2倍以上の時間がかかったという。
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