http://hinanohanasi.blogspot.jp/2012/06/521-610-jv-p-p-jv-jv-jv-jv-jv-jv-jv-jv.html?spref=tw
北九州市民は、市が主催する瓦礫受入れ検討会(自治体が独自に受入れ可否を決めるのに環境省の役人がメンバー)に異議を唱え、市民による「市民検討会」を立ち上げた。
6月10日、第二回市民検討会で「宮城県石巻市のがれきは本当にあるのか?」という重大な疑惑が浮上。
急きょ、調査団を結成し調査にあたってきた。
記者会見では、その驚きの調査結果を発表した。
<調査内容>
北九州に運ばれる予定のがれきは、宮城県石巻市の可燃性のがれき3万9,500トンである。しかし宮城県は、5月21日がれきの推定量の見直しを行い、約430万トン下方修正し、石巻市も約170万トン下方修正した。
そこで石巻市に持ってくるがれきが「現状で存在するのか?」について調査した。
その結果、石巻市のがれきは、現地処理の行方が決まっていたこと。もし行方が決まっているがれきを北九州市に持ってきたとき、現地処理を決めている契約に対して、違反となるだけでなく、がれきの処理費の2重払いになることが分かった。
<事実>
1)宮城県&石巻の状況
① 石巻のがれきは、民間企業に委託し県内処理が始まっている。
石巻市のがれきは、すでに宮城県によって県内処理の入札にかけられ、鹿島JVによって落札されている。鹿島JVに処理を依頼しているがれきの総量は、685,4万トンでその内訳は、以下の通り。
石巻市(581万トン)
東松山市(83、5万トン)
女川町(20、9万トン)
すでにこれは、鹿島JVが、1923億6000万円で落札している。(資料1:災害廃棄物処理業務<石巻地区>の概要)
②がれきの総量の見直しと、がれきの処理量の削減
がれきの総量の見直しによって、(資料2:沿岸市町村の災害廃棄物処理の進捗状況―環境省資料)
石巻市は、 616、3万トンから445,8万トンに
東松島市は、165,7万トンから83,8万トンに
女川町は、 44,4万トンから28,6万トンに
それぞれ下方修正された。
石巻市のがれきの総量が、445,8万トンになったが、鹿島JVに依頼していたのは、581万トンであり、145,2万トン足りない。
また3市町村のがれきの総量を合わせても、574万トンでしかなく、鹿島JVと契約した処理量685,4万トンに111,4万トン足りない。
この総量見直し資料が作成された時点で、宮城県が、鹿島JVとの契約を考えれば、石巻のがれきや女川、東松島市を加えた3市のがれきは、鹿島JVによる処理だけでも足りなくなる。
したがって、この時点で宮城県は、鹿島JVとの契約を処理量と契約金の下方修正を行う必要があった。そうしなければ、鹿島JVは、契約通りのがれきの処理をしないで、契約金を得ることになる。
(しかし6月19日現在、宮城県は契約変更を行っていない。)
ではそうした中でなぜ、北九州に石巻からがれきが運ばれる計画が進行しているのか?石巻から北九州に回すがれきは何処にあるのか?
③ 宮城県の発表の中から抜け落ちた鹿島JVとの契約
がれきの総量の見直しを受けて、宮城県は今年5月21日「災害廃棄物処理対象量の見直しについて」(県受託処理分)を記者発表している。(資料3~5)この資料には、
石巻ブロックの県受託処理分の見直し前と後の数量が、
見直し前685万トン
見直し後312万トン
と記載されている。(資料4:P5)
そしてこの見直し後の数値を基準にして、
「県受託量」-(「県内処理」+「県内拡大分」)=「広域処理量」
の計算式で広域処理量が算出されている。
石巻ブロックは、
再生利用12万トン、
焼却処理28万トン、
埋め立て処分33万トン、
合計74万トンと広域処理量が、記載されている。(資料5:P6~7)
しかし見直し前、宮城県は県が受託した685万トンを、そっくりそのまま鹿島JVに委託し、昨年の9月16日には、契約締結していたが、この点は、この報告書にはなんら触れられていない。
見直し前の685万トンですら、他の都道府県の広域化に頼ることなく、プロポーサル審査で、鹿島JVに委託していた。ところが、この報告書では、石巻ブロックのがれきから突然、広域処理するがれきが74万トンも作り出されるのである。これは一方で鹿島JVが処理予定している分を、他方で広域に回す分として2重カウントする状態になっている。
今回の場合、宮城県では、がれき量を大幅に下方修正しているため、鹿島JVとの契約を前提としても、鹿島JVが処理できる量は、下方修正される。そのため、契約変更が不可避である。そうしないと鹿島JVにそのまま予定の契約金1923億6000万円を支払うことになる。
ところが、今回は鹿島JVに委託していたがれきを二重にカウントして、その分を北九州他に持ってこようとしていたことが分かった。
鹿島JVは、契約処理量に満たない分は、処理することなく契約金が入ることになり、逆に県や国はその分およそ数百億円を損失するだけでなく、北九州他の自治体に運ぶ分の処理費も2重に使われることになる。
2)北九州の資料による石巻市のがれき
北九州市の資料は、この宮城県の資料に基づき作成されている。そのため、この資料でも石巻のがれきは、鹿島JVに委託されている点がまったく抜け落ちている。
たとえば、北九州市の「災害廃棄物の受入れの検討についてー資料1」 (平成24年5月1日)(資料6)によれば、
「2石巻市の災害廃棄物の処理の状況」として
災害廃棄物の量「推計616万トン」と記載し、
石巻ブロックで広域処理が必要な量は、294万トンと記載されている。
ここでも616万トンの大半(580万トン)は、鹿島JVが落札している点の記載がなく、広域化するという294万トンは、2重カウントされている。
またその後6月に発行した北九州市のパンフレット(資料7)によれば、石巻市の312万トンを宮城県が処理を受託し、
そのうち73万トンを広域処理に回そうとし、
さらにそのうち28万トンが、可燃物であり、
この28万トンが北九州の処理の検討対象になるとしている。
このパンフレットは、見直し後に作られたものであるが、宮城県の作成資料をそのまま点検なく作成し、すでに鹿島JVに処理委託しているがれきを北九州に運ぶ計画にしている。
<問題指摘>
1) 事実確認
*北九州市の資料には、広域処理を予定しているがれきは、現在(H24年6月)でも73万トンあり、その内可燃物は、28万トンあるとなっている。しかし宮城県では、石巻ブロックのがれきは、鹿島JVに落札され、しかもがれき処理量が大幅に下方修正されている中では、広域化に回す分は、計算上はない状態になっている。
2) 問題点
その上で、北九州に石巻市からがれきを持ってくるとすれば、次の問題がある。
① 鹿島JVに処理依頼する量に穴が空く。
② 北九州市に持ってくる分は、税の二重投資になる。
③ しかも北九州市は、処理費が高くなる。 以上。
資料1:災害廃棄物処理施設建設工事等を含む、災害廃棄物処理業務<石巻地区>の概要―宮城県環境生活部H23.9.16
資料2:沿岸市町村の災害廃棄物処理の進捗状況―環境省資料H24年4月23日&H24年5月21日
資料3~5:「災害廃棄物処理対象量の見直しについて」宮城県環境生活部震災廃棄物対策課―平成24年5月
資料6:「災害廃棄物の受入れの検討についてー資料1」(北九州市 平成24年5月1日)
資料7:被災地の復興のための災害廃棄物受け入れ検討―北九州市 平成24年6月

原発稼働の是非を問う住民投票条例案について、東京都議会は20日の本会議で反対多数で否決した。約32万人の署名を集め、直接請求した市民グループは「住民の権利が阻まれた」と批判した。3月の大阪市議会につぐ否決となったが、市民が直接請求をめざす動きは各地に広がっている。
採決では、自民党、公明党、民主党の一部議員など82人が反対。賛成は民主党の一部と共産党、生活者ネットワーク・みらいで41人だった。
採決前の討論では、知事与党の自民党が「稼働の是非は国が判断すべきだ」、公明党は「二者択一では多様な都民の意思を正しく反映するのは困難」と訴えた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
民主主義は どこにいくんだろうね。
ナチスの独裁政権とかわんねえ
これが国民に対する態度かね?
これが長だよ?
http://fukushima20110311.blog.fc2.com/
12日 1号機の爆発
3月11日の大津波と大地震、そして夜から原発がおかしくなったよね。
12日の早朝、福島県警の通信部隊が、牧場に入ってきたんだ。深い紺色のワゴン車3台が、赤ランプをつけて。
第一原発の様子をヘリで上空から撮影して、その動画を衛星を介して、県警本部に送るんだと。そのためにここを貸してくれと。「いいよ」ということで、彼らは始めたんだ。
彼らは、ヘリから、12日午後3時半の1号機の爆発をとらえた。そうしたら、「すぐに引き上げろ、撤退だ」と。彼らは、片づけてすぐに帰るんだけども、そのときに、「とうとう来るべきものが来てしまった。国は情報を隠している。もう逃げた方がいい。われわれは上の命令で撤退するけど、あんたたちもいない方がいい」。そう言って帰っちゃった。
僕は警察に、「牛が300頭もいるんだ。停電で餌も水も、俺がいなかったらだめなんだ。牛は逃げられないんだ」と、答えた。
放射能の降り注ぐ津島へ
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(浪江町の中心部。一時帰宅の車をたまに見かける以外、ひっそりとしている)
12日の朝からテレビを見てたけど、国や東電からは何の情報もないまま。浪江には2万人の町民がいた。12日の段階で、町の判断で「逃げろ」と、逃げる場所は浪江町の山間部の津島〔※〕となった。約半数の人たちが、津島に固まって逃げるんだね。いやー、みんな逃げたね、ダアーッと。
津島は、原発からだいたい25キロあるかな。1万人ぐらいの人が、そこで、夜通し焚き火なんかをしながら避難生活をしていた。
そこに、14日の3号機の爆発があり、そのあと、南の風が吹いたんだね。それが夜になって、急に冷えて、雨が雪になった。ものすごい放射能が津島に流れてくるわけだ。だけどそんなことは何の連絡もなかった。
でも、やっぱり警察や自衛隊の動きでわかるんだよ。それで、「もうここにいちゃだめだ」ってことになって、今度は、二本松の東和(とうわ)に、全部、ダアーって逃げるわけ。
〔※津島:浪江町津島地区。原発から北西に約25キロの山間部。この地域の上空を、南東の風に乗って、大量の放射性物質を含んだ雲が通過、この一帯でも、もっとも激しく汚染された。政府は、「緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)」の試算で津島地区への放射性物質飛散を予測していたが、避難の住民には一切、知らされなかった。因みに、日本テレビの人気番組のDASH村も津島にあった〕
牧場で爆発音も聞いた
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(この日は少し霞んでいたが、写真の中心部に写っているのが第一原発の3号機・4号機の集合排気塔。吉沢さん宅二階から)
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(吉沢さんは、原発が爆発したときも、このようにして自宅二階から双眼鏡で見ていた)
俺は、牧場の本社がある二本松と浪江農場の間を3~4回、行ったり来たりしていた。
途中で、検問のお巡りさんが線量計を持っていて、「線量が、通常の千倍ぐらいに上がってる。行っちゃだめだ」と、何遍も止められたけど。でも牛に餌をやりと水を飲ます必要があるからね。
だから、14日の昼11時の3号機の爆発音も、牧場にいたから直に聞いたよ。
それから、自衛隊のヘリコプターから、原子炉建屋に向かって放水を始めるということで、それを見たいと思ってね、自宅の二階で双眼鏡を構えていたら、突然、白い噴煙が排気塔の高さまで上がったんだよ。それも、この目で見てしまったね。
姉と甥が牧場で同居していたんだけど、15日の段階で、千葉の家の方に引き上げてもらった。
それで、僕は、牧場に一人で残って、300頭ほどの牛に水を飲ませるために発電機を回したり、餌をやったりしていたんだよね。
でも、もうこの牛は意味がなくなった。商品価値がなくなった。出荷先から断れた。300頭が、全部、経済的な意味はゼロになった。この農場は意味がなくなった・・・。
300頭の牛が全部、意味なくなったということで、俺は、ガクッと来るわけね。
それで、どうしようかと考えた。
自衛隊の放水に心を動かされる
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それで、「もう、これは、東京電力に直に抗議するしかないだろう」と考えたわけ。
軽自動車にスピーカーを乗っけて。東電本社の場所は、だいたいわかってたから。
だけどあのとき、ガソリンがなかったんだよね。もうどこに行ってもガソリンはないから。仕方なく、牧場にある廃車の燃料タンクをドライバーであけて、何とか1台分のガソリンができた。
そのとき、ちょうど、自衛隊と消防庁の放水活動が始まって、俺は、それにすごく心を動かされた。「たぶん、この作業で、自衛隊の人らは何人か死ぬだろう。彼らが、原発の食い止めるんだ」と。「だけど、東京電力は逃げようとしている」。撤退ということも出ていたから。「よし、俺が行って、抗議しないといけない」と。
17日の段階で、「よし、東京に行こう」となった。
浪江の線量が上がってきているということもわかってきて、もう戻って来れないと思って、あそこに「決死救命」とスプレーで書いたんだよ。赤い方はあとから書き加えたんだけど。 〔上掲写真〕
まあ遺言みたいな気持ちもあったりしてね。
俺は浪江のベコ屋だ
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17日の夜に出発して、6号線は通れないことはわかっていたから、4号線の方に行って。自衛隊や警察の車両と何百台とすれ違った。
たぶん、福島県で最初、一番乗りの抗議活動だろうね。
東電本社で、「浪江の牧場から来た。停電と放射能で、300頭の牛が死んでしまう。俺はそのことで来たんだ。通してくれ」。
お巡りに取り囲まれて、突然、俺は大泣きしてしまうわけね。それで、お巡りも困っちゃうわけ。そうしたら応接室まで通されちゃった。でも、私服警官3人が同席だね。何かあったらうまくないと。
そこで訴えたね。「300頭の弁償を求める。裁判やる。弁償しろ」と。
それから、もう一点は、「いま大事なことは、逃げるんじゃないんだ。自衛隊と消防庁が一所懸命、戦っているときに、なんでお前らが逃げるんだ。お前らがつくって、お前らが運転している原子炉をどうして止められないんだ。いま大事なことは死んでもいいから水をかけろ。俺だったら死んでもいいからホースを持っていって飛び込んでいくぞ」。
こいうことを30分ぐらいガンガン攻めたわけ。泣きながら訴えた。そうしたら、応対した東電の総務の人が、泣き出してしまった。
東電から官邸まで
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東電の次は、丸の内警察署にいった。
「俺はとにかくしゃべりたいんだ。宣伝カーの許可をくれ」と。
すると、「出せない」というんだよ。
後でわかったことだけど、16日に天皇のビデオメッセージがあったんだな。そういうときにさ、皇居の周りで、ベコ屋がガンガンしゃべるなんて許せないということだ。だけど彼らは「おまえはたいしたもんだ。えらい。お前の気持ちはわかる。でも許可は出せない。いま津波で人がいっぱい流されて大変なときだ。ちょっとまだ早いんじゃないか」というわけ。
仕方がなく、そのあと、農水省にいって、「牛を助けてくれ」と。
それから、原子力安全保安院に行って、「お前ら、いままで『原発は安全だ』と、何を宣伝してきたんだ。お前らのやっていることは“原子力危険保安院”だ。しかも3号機ではプルトニウムを突っ込んで運転しただろう。それが爆発して燃料がふっ飛んだだろう。プルトニウム汚染じゃないか」。
それから、首相官邸に行った。警備のお巡りさんに、「俺は、枝野さんに会いたいんだ。原発爆発事故のことを、事象といったけど、どういうことなんだ。俺の受けとめとしては、自らの責任がなく、評論家のみたいに言いうのが事象というんだろうと。国策の原子力発電、原発政策、それを国がやってきて、何を事象というのか。枝野に会わせろ」と。
お巡りさんは、「いや、いきなりアポなしで官邸に来ても困るから出直してこい」。
でも、「浪江から避難してきているんだ」っていったら、お巡りさんも意外と親切でね。
まあ、宣伝カーで1週間ぐらい抗議活動みたいなことをやっていたんだけど、なかなか埒が開かない。さあどうするか。ということで、エム牧場の社長らのいる二本松に帰ってきた。
警戒区域設定に従わない
牛は、社長が、18日に全部、放していた。牛舎に置いておいたら、やがて餓死するのは目に見えているから。放しておけば、なんとかその辺の水とかで生きながらえるだろうということでね。
俺は、3月23日に、二本松に帰ってきたんだけど、社長が、「浪江農場の牛を見捨てないようにしよう」と言うんだよね。社長は、「牛飼いとして、牛を見捨てられない」と。
事故当時の3月は牧草も刈れていて食べる物もほとんどなかった。それで、社長と一緒に、相馬のもやし工場から、袋に入ったもやしの搾りカスを、3日に一度、大型トラックで運んだね。放射能がきつかったから、とにかくここにおいて、サッと帰るということを、3日おきにやった。それからずっと餓死させないということで、餌を運んだんだよね。
でも、だんだん厳しくなってくるんだよね。4月22日の警戒区域設定で、ばっちりやられちゃう。そこら中、バリケードと警察の検問。許可証のない者は逮捕だということが始まってしまった。
われわれには許可証をくれないわけ。
でも、山の裏の方を通って、バリケードを壊して、バリケードをずらしてどんどん入っていった。
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(餌を運び込む途中の吉沢さんのトラック。今年2月南相馬市内)
それで、牛はなんとか生きられたんだけど、俺らが牛に餌を与えているということが、新聞報道ででっかくのっちゃうんだ。「河北新報」の記者がこっそり入ってきて書いたんだ。
それを枝野官房長官が見たんだね。それで国が出した方針は、警戒区域の家畜についての殺処分指示なんだ。農家に、「強制ではないけど、同意の殺処分を求める」と。「警戒区域に立ち入って、餌を与えている農家がいる。非常に危険で許せない」と。
われわれに許可証はない。でもなんとか入りたい。だから、そういうことを言われると、逆にスイッチが入るわけよ。
「牛に餌を与えて何が悪いんだ。犯罪でも何でもねえーだろう。おれは牛を生かすんだ。殺処分?絶対に受け入れられねえ」。
でも、許可証がないから、本当に困っちゃった。結局、お巡りに捕まっちゃうわけ。南相馬警察署で、始末書を書かされることになった。それは書くんだけど、始末書に「二度とこんなことはしません」なんて文句がある。それは受け入れられない。だって牛に餌を与えるわけだから、「二度としません」なんてわけにはいかない。で、「消してしまうかんね」と。そうしたらお巡りが怒ってさ。
でも、逮捕・勾留なんて、脅かしだってことはわかっているから。
とはいえ、どうしても許可証がほしかったのよ。南相馬に国会議員が来ていて、相馬野馬追〔※〕の馬とか、ペットの犬猫の救出をやっていた。その先生が南相馬市に掛け合ってくれて、正式に入れるようになった。
〔※相馬野馬追: そうまのまおい。相双地域に伝わる相馬藩ゆかりの伝統行事〕
餓死と殺処分の挫折感
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(スタンチョン〔金属製の枠〕に首を突っ込んだまま、餓死している牛たち。
写真家から提供を受けて、吉沢さんが街頭で訴える際に使っているパネル)
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(吉沢さんの牧場で、衰弱死した牛の遺骸)
爆発事故直後、酪農家・畜産農家は、牛を置いて逃げた。もう、周り中の牛舎で、どんどん餓死し始めるわけよ。俺らは、餌運びをしながら、余所の牛舎のそういう姿をずっと見ていたわけ。すごかった。あっちこっちの牛舎でほぼ全滅状態。水がない、餌がない、人もいない。立ち入っちゃなんない。
「こんなことは、自分ところではいやだ。絶対に生かそう」ということだったんだ。
それから、国が殺処分指示を出したあと、いろいろ説明会をやるわけよ。「なんとか同意してくれ。強制ではないけど。入れなくて、面倒みられないんだから、国の方針は殺処分だ」と。それで説明会は非常に紛糾するわけ。
和牛の繁殖農家の人は、結構、牛を放したりしている人がいる。「かわいそうだ」って。おっ放した牛が、やがて、野良牛問題になる。野良牛が秋口辺りから、家を荒らしたり、道路を汚したりして、一時帰宅の人の苦情の対象になる。それがみんな役場の方に行く。役場としては、「国は殺処分と言っている」と。だけど、農家は言うことをきかないし、同意書は出さない。
餓死させてしまった農家の人は、そこでガクッとひどい挫折感だ。「人の命が第一、家畜を構っている暇はなかった」。だけど、苦しむんだよ。「牛を置いてきてしまった」と。
殺処分に同意した人も、これまた挫折感を抱くわけ。放してご近所に迷惑をかけられないということで、泣く泣く殺処分の同意書にハンコをつくわけよ。
300軒の畜産農家、60~70軒の酪農家が、もう牛飼いなどできないくらいの精神的な挫折感の中にあるんだ。
国は、今日も、どっかで牛たちをとっ捕まえて、殺して、埋めて、という殺処分の作業をやっているよ。臭いものにフタをして、見えないようにする。証拠隠滅だよ。その一方で、原発を再稼働しようとしている。
厄介者の棄民
浪江、双葉、大熊、富岡というのはチェルノブイリと同じような状態。そこに帰る意味もないよね。そこでコメはつくれないだろうし、地震の被害もひどい、津波の破壊も半端でない。
浪江町は、原発立地ではない。福島でも発電所のないところ。そういうところが、今回、ひどい汚染をうけたわけ。
しかもスピーディの情報が隠されて、津島でみんな猛烈な被ばくをしている。原発立地町じゃない、直接には、恩恵をうけない浪江町が、今回一番、ひどい目に合っている。
その人たちが、迷惑な厄介者として、いずれ捨てられようとしている。避難した10万人の人も、捨てられようとしている。邪魔の者、厄介者、迷惑な土地、迷惑な人たち。棄民政策だよ。間違いない。
それで、浪江町でも、5人も自殺している人が出ているわけだよ。先日の商店主の自殺が5人目だ。商売もできない、コメも作れない、うちにも帰れない、帰る意味もないしね。
逃げてばかりでいいのか
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いま仮設住宅でも避難所でも、まだ多くの人が、模様眺めをしてる。気持ちが折れて、生きる意味を見出せない。そういう人が大勢いる。自殺する予備軍のような人は、そこここにいるわけよ。町のアンケートを見ると、「死にたい、生きている意味がない」という人がいっぱいいるんだよ。
それは、模様眺めしているから、そうなっちまうわけね。
たくさんの農家の人らが、牛をほうり投げて逃げたわけだけれども、それは、正しい選択なんだよ。全くね。あの当時、あの危機的な避難行動の中でさ、誰のとった行動だって非難なんかできないよ。逃げるための精いっぱいの行動だよ。みんな、逃げて、逃げて、逃げまくったんだよね。
だけど、今後も、逃げてばっかりいていいのか。
40年間にわたって福島県が、東京・関東の電力供給で協力してきた。水力・火力と全部、東京の方にいっているわけ。日本の経済の繁栄を福島県が支えながら、いま僕らは、絶望的な状況。福島のわれわれは犠牲を被った。これから差別も受けるわけ。「福島県はお断り」と。そこから逃げられないからね。そういう運命と、最終的にはたたかうしかないんだよね。俺はそう思う。
俺なんかは、余所に行って、畜産業なんてありえないし、自分の生涯の仕事としてやっている畜産業を潰されたわけ。だから、これは、もう残りの人生をかけて、償いを求めて、東電・国とたたかう。それしかないと思っているわけ。こういう原発事故が起きたっていうことでね、これを人生のテーマにして、原発のない日本を目指して考え行動するしかないと思うんだよね。
そして、もちろん放射能ともたたかう。農業でも、セシウム問題で、県内どころか、それを飛びこした全国の問題に広がっている。魚だって取れない。すべての環境、人生、財産が、みんな潰されたわけよ。汚染について、人間も土地も、よく調査をする必要がある。単に逃げるんじゃなくて、この現場で汚染状態を正確によく調べるということだよ。
行動なきところに結果などあり得ないし、「少しでもみんなで行動しよう」と言いたい。「東京に行って、みんなの気持ちを東京の人に、どんどん言って伝えようじゃないか」と。「原発事故というのはこういうことなんだよ。他人事ではなくて、子ども・孫の世代のことまで考えて、いま、再稼働をめぐってたたかうときが来ているよ」って。
東電とたたかう、国とたたかう、放射能とたたかう。そういうことを俺は言いたいのね。
ずっとこの1年間、大勢の人が生きる意味とか、哲学を考えてきた。行動までできる人はそう多くないし、でもそういう人を少しずつ作りながら進んでいると思うよ。
僕なんか、学生のとき、学生運動なんかやった方。やっぱりそういう経験をもっている人は、それを生かしながら、先頭に立つべきだと思う。
かつて70年代に見てきたようなね。俺は、千葉にいたんだけど、成田空港の反対運動だね。それにあのときの学生運動、労働運動。みんなそれこそ実力闘争でストライキでたたかったわけだから。
そういうものを、いま、このときに再現する。そういう力を背景にしたものが必要だよね。
「家も故郷も何もかも失った。最後に、みなさん、立ち上がって、いっしょにやろうよ。東京に行こうよ」。そういう力が、福島県に必要なのだと思う。福島県がそういう中心にいかなければと思う。やっぱり誰かがやってくれるだとか、金さえもらええればいいんだとか、そういうのもいるけど、そういうのは、心にも体にもよくないと思うよね。
浪江の人が、みんな立ちあがって、東電前や首相官邸前に座り込んでということができるようになるところまで、今年は持っていきたいなと。
そういうことに、残り20年の人生をかける値打ちがあるのだろうと思う。この被ばくした牛たちとともにね。
12日 1号機の爆発
3月11日の大津波と大地震、そして夜から原発がおかしくなったよね。
12日の早朝、福島県警の通信部隊が、牧場に入ってきたんだ。深い紺色のワゴン車3台が、赤ランプをつけて。
第一原発の様子をヘリで上空から撮影して、その動画を衛星を介して、県警本部に送るんだと。そのためにここを貸してくれと。「いいよ」ということで、彼らは始めたんだ。
彼らは、ヘリから、12日午後3時半の1号機の爆発をとらえた。そうしたら、「すぐに引き上げろ、撤退だ」と。彼らは、片づけてすぐに帰るんだけども、そのときに、「とうとう来るべきものが来てしまった。国は情報を隠している。もう逃げた方がいい。われわれは上の命令で撤退するけど、あんたたちもいない方がいい」。そう言って帰っちゃった。
僕は警察に、「牛が300頭もいるんだ。停電で餌も水も、俺がいなかったらだめなんだ。牛は逃げられないんだ」と、答えた。
放射能の降り注ぐ津島へ
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(浪江町の中心部。一時帰宅の車をたまに見かける以外、ひっそりとしている)
12日の朝からテレビを見てたけど、国や東電からは何の情報もないまま。浪江には2万人の町民がいた。12日の段階で、町の判断で「逃げろ」と、逃げる場所は浪江町の山間部の津島〔※〕となった。約半数の人たちが、津島に固まって逃げるんだね。いやー、みんな逃げたね、ダアーッと。
津島は、原発からだいたい25キロあるかな。1万人ぐらいの人が、そこで、夜通し焚き火なんかをしながら避難生活をしていた。
そこに、14日の3号機の爆発があり、そのあと、南の風が吹いたんだね。それが夜になって、急に冷えて、雨が雪になった。ものすごい放射能が津島に流れてくるわけだ。だけどそんなことは何の連絡もなかった。
でも、やっぱり警察や自衛隊の動きでわかるんだよ。それで、「もうここにいちゃだめだ」ってことになって、今度は、二本松の東和(とうわ)に、全部、ダアーって逃げるわけ。
〔※津島:浪江町津島地区。原発から北西に約25キロの山間部。この地域の上空を、南東の風に乗って、大量の放射性物質を含んだ雲が通過、この一帯でも、もっとも激しく汚染された。政府は、「緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)」の試算で津島地区への放射性物質飛散を予測していたが、避難の住民には一切、知らされなかった。因みに、日本テレビの人気番組のDASH村も津島にあった〕
牧場で爆発音も聞いた
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(この日は少し霞んでいたが、写真の中心部に写っているのが第一原発の3号機・4号機の集合排気塔。吉沢さん宅二階から)
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(吉沢さんは、原発が爆発したときも、このようにして自宅二階から双眼鏡で見ていた)
俺は、牧場の本社がある二本松と浪江農場の間を3~4回、行ったり来たりしていた。
途中で、検問のお巡りさんが線量計を持っていて、「線量が、通常の千倍ぐらいに上がってる。行っちゃだめだ」と、何遍も止められたけど。でも牛に餌をやりと水を飲ます必要があるからね。
だから、14日の昼11時の3号機の爆発音も、牧場にいたから直に聞いたよ。
それから、自衛隊のヘリコプターから、原子炉建屋に向かって放水を始めるということで、それを見たいと思ってね、自宅の二階で双眼鏡を構えていたら、突然、白い噴煙が排気塔の高さまで上がったんだよ。それも、この目で見てしまったね。
姉と甥が牧場で同居していたんだけど、15日の段階で、千葉の家の方に引き上げてもらった。
それで、僕は、牧場に一人で残って、300頭ほどの牛に水を飲ませるために発電機を回したり、餌をやったりしていたんだよね。
でも、もうこの牛は意味がなくなった。商品価値がなくなった。出荷先から断れた。300頭が、全部、経済的な意味はゼロになった。この農場は意味がなくなった・・・。
300頭の牛が全部、意味なくなったということで、俺は、ガクッと来るわけね。
それで、どうしようかと考えた。
自衛隊の放水に心を動かされる
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それで、「もう、これは、東京電力に直に抗議するしかないだろう」と考えたわけ。
軽自動車にスピーカーを乗っけて。東電本社の場所は、だいたいわかってたから。
だけどあのとき、ガソリンがなかったんだよね。もうどこに行ってもガソリンはないから。仕方なく、牧場にある廃車の燃料タンクをドライバーであけて、何とか1台分のガソリンができた。
そのとき、ちょうど、自衛隊と消防庁の放水活動が始まって、俺は、それにすごく心を動かされた。「たぶん、この作業で、自衛隊の人らは何人か死ぬだろう。彼らが、原発の食い止めるんだ」と。「だけど、東京電力は逃げようとしている」。撤退ということも出ていたから。「よし、俺が行って、抗議しないといけない」と。
17日の段階で、「よし、東京に行こう」となった。
浪江の線量が上がってきているということもわかってきて、もう戻って来れないと思って、あそこに「決死救命」とスプレーで書いたんだよ。赤い方はあとから書き加えたんだけど。 〔上掲写真〕
まあ遺言みたいな気持ちもあったりしてね。
俺は浪江のベコ屋だ
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17日の夜に出発して、6号線は通れないことはわかっていたから、4号線の方に行って。自衛隊や警察の車両と何百台とすれ違った。
たぶん、福島県で最初、一番乗りの抗議活動だろうね。
東電本社で、「浪江の牧場から来た。停電と放射能で、300頭の牛が死んでしまう。俺はそのことで来たんだ。通してくれ」。
お巡りに取り囲まれて、突然、俺は大泣きしてしまうわけね。それで、お巡りも困っちゃうわけ。そうしたら応接室まで通されちゃった。でも、私服警官3人が同席だね。何かあったらうまくないと。
そこで訴えたね。「300頭の弁償を求める。裁判やる。弁償しろ」と。
それから、もう一点は、「いま大事なことは、逃げるんじゃないんだ。自衛隊と消防庁が一所懸命、戦っているときに、なんでお前らが逃げるんだ。お前らがつくって、お前らが運転している原子炉をどうして止められないんだ。いま大事なことは死んでもいいから水をかけろ。俺だったら死んでもいいからホースを持っていって飛び込んでいくぞ」。
こいうことを30分ぐらいガンガン攻めたわけ。泣きながら訴えた。そうしたら、応対した東電の総務の人が、泣き出してしまった。
東電から官邸まで
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東電の次は、丸の内警察署にいった。
「俺はとにかくしゃべりたいんだ。宣伝カーの許可をくれ」と。
すると、「出せない」というんだよ。
後でわかったことだけど、16日に天皇のビデオメッセージがあったんだな。そういうときにさ、皇居の周りで、ベコ屋がガンガンしゃべるなんて許せないということだ。だけど彼らは「おまえはたいしたもんだ。えらい。お前の気持ちはわかる。でも許可は出せない。いま津波で人がいっぱい流されて大変なときだ。ちょっとまだ早いんじゃないか」というわけ。
仕方がなく、そのあと、農水省にいって、「牛を助けてくれ」と。
それから、原子力安全保安院に行って、「お前ら、いままで『原発は安全だ』と、何を宣伝してきたんだ。お前らのやっていることは“原子力危険保安院”だ。しかも3号機ではプルトニウムを突っ込んで運転しただろう。それが爆発して燃料がふっ飛んだだろう。プルトニウム汚染じゃないか」。
それから、首相官邸に行った。警備のお巡りさんに、「俺は、枝野さんに会いたいんだ。原発爆発事故のことを、事象といったけど、どういうことなんだ。俺の受けとめとしては、自らの責任がなく、評論家のみたいに言いうのが事象というんだろうと。国策の原子力発電、原発政策、それを国がやってきて、何を事象というのか。枝野に会わせろ」と。
お巡りさんは、「いや、いきなりアポなしで官邸に来ても困るから出直してこい」。
でも、「浪江から避難してきているんだ」っていったら、お巡りさんも意外と親切でね。
まあ、宣伝カーで1週間ぐらい抗議活動みたいなことをやっていたんだけど、なかなか埒が開かない。さあどうするか。ということで、エム牧場の社長らのいる二本松に帰ってきた。
警戒区域設定に従わない
牛は、社長が、18日に全部、放していた。牛舎に置いておいたら、やがて餓死するのは目に見えているから。放しておけば、なんとかその辺の水とかで生きながらえるだろうということでね。
俺は、3月23日に、二本松に帰ってきたんだけど、社長が、「浪江農場の牛を見捨てないようにしよう」と言うんだよね。社長は、「牛飼いとして、牛を見捨てられない」と。
事故当時の3月は牧草も刈れていて食べる物もほとんどなかった。それで、社長と一緒に、相馬のもやし工場から、袋に入ったもやしの搾りカスを、3日に一度、大型トラックで運んだね。放射能がきつかったから、とにかくここにおいて、サッと帰るということを、3日おきにやった。それからずっと餓死させないということで、餌を運んだんだよね。
でも、だんだん厳しくなってくるんだよね。4月22日の警戒区域設定で、ばっちりやられちゃう。そこら中、バリケードと警察の検問。許可証のない者は逮捕だということが始まってしまった。
われわれには許可証をくれないわけ。
でも、山の裏の方を通って、バリケードを壊して、バリケードをずらしてどんどん入っていった。
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(餌を運び込む途中の吉沢さんのトラック。今年2月南相馬市内)
それで、牛はなんとか生きられたんだけど、俺らが牛に餌を与えているということが、新聞報道ででっかくのっちゃうんだ。「河北新報」の記者がこっそり入ってきて書いたんだ。
それを枝野官房長官が見たんだね。それで国が出した方針は、警戒区域の家畜についての殺処分指示なんだ。農家に、「強制ではないけど、同意の殺処分を求める」と。「警戒区域に立ち入って、餌を与えている農家がいる。非常に危険で許せない」と。
われわれに許可証はない。でもなんとか入りたい。だから、そういうことを言われると、逆にスイッチが入るわけよ。
「牛に餌を与えて何が悪いんだ。犯罪でも何でもねえーだろう。おれは牛を生かすんだ。殺処分?絶対に受け入れられねえ」。
でも、許可証がないから、本当に困っちゃった。結局、お巡りに捕まっちゃうわけ。南相馬警察署で、始末書を書かされることになった。それは書くんだけど、始末書に「二度とこんなことはしません」なんて文句がある。それは受け入れられない。だって牛に餌を与えるわけだから、「二度としません」なんてわけにはいかない。で、「消してしまうかんね」と。そうしたらお巡りが怒ってさ。
でも、逮捕・勾留なんて、脅かしだってことはわかっているから。
とはいえ、どうしても許可証がほしかったのよ。南相馬に国会議員が来ていて、相馬野馬追〔※〕の馬とか、ペットの犬猫の救出をやっていた。その先生が南相馬市に掛け合ってくれて、正式に入れるようになった。
〔※相馬野馬追: そうまのまおい。相双地域に伝わる相馬藩ゆかりの伝統行事〕
餓死と殺処分の挫折感
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(スタンチョン〔金属製の枠〕に首を突っ込んだまま、餓死している牛たち。
写真家から提供を受けて、吉沢さんが街頭で訴える際に使っているパネル)
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(吉沢さんの牧場で、衰弱死した牛の遺骸)
爆発事故直後、酪農家・畜産農家は、牛を置いて逃げた。もう、周り中の牛舎で、どんどん餓死し始めるわけよ。俺らは、餌運びをしながら、余所の牛舎のそういう姿をずっと見ていたわけ。すごかった。あっちこっちの牛舎でほぼ全滅状態。水がない、餌がない、人もいない。立ち入っちゃなんない。
「こんなことは、自分ところではいやだ。絶対に生かそう」ということだったんだ。
それから、国が殺処分指示を出したあと、いろいろ説明会をやるわけよ。「なんとか同意してくれ。強制ではないけど。入れなくて、面倒みられないんだから、国の方針は殺処分だ」と。それで説明会は非常に紛糾するわけ。
和牛の繁殖農家の人は、結構、牛を放したりしている人がいる。「かわいそうだ」って。おっ放した牛が、やがて、野良牛問題になる。野良牛が秋口辺りから、家を荒らしたり、道路を汚したりして、一時帰宅の人の苦情の対象になる。それがみんな役場の方に行く。役場としては、「国は殺処分と言っている」と。だけど、農家は言うことをきかないし、同意書は出さない。
餓死させてしまった農家の人は、そこでガクッとひどい挫折感だ。「人の命が第一、家畜を構っている暇はなかった」。だけど、苦しむんだよ。「牛を置いてきてしまった」と。
殺処分に同意した人も、これまた挫折感を抱くわけ。放してご近所に迷惑をかけられないということで、泣く泣く殺処分の同意書にハンコをつくわけよ。
300軒の畜産農家、60~70軒の酪農家が、もう牛飼いなどできないくらいの精神的な挫折感の中にあるんだ。
国は、今日も、どっかで牛たちをとっ捕まえて、殺して、埋めて、という殺処分の作業をやっているよ。臭いものにフタをして、見えないようにする。証拠隠滅だよ。その一方で、原発を再稼働しようとしている。
厄介者の棄民
浪江、双葉、大熊、富岡というのはチェルノブイリと同じような状態。そこに帰る意味もないよね。そこでコメはつくれないだろうし、地震の被害もひどい、津波の破壊も半端でない。
浪江町は、原発立地ではない。福島でも発電所のないところ。そういうところが、今回、ひどい汚染をうけたわけ。
しかもスピーディの情報が隠されて、津島でみんな猛烈な被ばくをしている。原発立地町じゃない、直接には、恩恵をうけない浪江町が、今回一番、ひどい目に合っている。
その人たちが、迷惑な厄介者として、いずれ捨てられようとしている。避難した10万人の人も、捨てられようとしている。邪魔の者、厄介者、迷惑な土地、迷惑な人たち。棄民政策だよ。間違いない。
それで、浪江町でも、5人も自殺している人が出ているわけだよ。先日の商店主の自殺が5人目だ。商売もできない、コメも作れない、うちにも帰れない、帰る意味もないしね。
逃げてばかりでいいのか
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いま仮設住宅でも避難所でも、まだ多くの人が、模様眺めをしてる。気持ちが折れて、生きる意味を見出せない。そういう人が大勢いる。自殺する予備軍のような人は、そこここにいるわけよ。町のアンケートを見ると、「死にたい、生きている意味がない」という人がいっぱいいるんだよ。
それは、模様眺めしているから、そうなっちまうわけね。
たくさんの農家の人らが、牛をほうり投げて逃げたわけだけれども、それは、正しい選択なんだよ。全くね。あの当時、あの危機的な避難行動の中でさ、誰のとった行動だって非難なんかできないよ。逃げるための精いっぱいの行動だよ。みんな、逃げて、逃げて、逃げまくったんだよね。
だけど、今後も、逃げてばっかりいていいのか。
40年間にわたって福島県が、東京・関東の電力供給で協力してきた。水力・火力と全部、東京の方にいっているわけ。日本の経済の繁栄を福島県が支えながら、いま僕らは、絶望的な状況。福島のわれわれは犠牲を被った。これから差別も受けるわけ。「福島県はお断り」と。そこから逃げられないからね。そういう運命と、最終的にはたたかうしかないんだよね。俺はそう思う。
俺なんかは、余所に行って、畜産業なんてありえないし、自分の生涯の仕事としてやっている畜産業を潰されたわけ。だから、これは、もう残りの人生をかけて、償いを求めて、東電・国とたたかう。それしかないと思っているわけ。こういう原発事故が起きたっていうことでね、これを人生のテーマにして、原発のない日本を目指して考え行動するしかないと思うんだよね。
そして、もちろん放射能ともたたかう。農業でも、セシウム問題で、県内どころか、それを飛びこした全国の問題に広がっている。魚だって取れない。すべての環境、人生、財産が、みんな潰されたわけよ。汚染について、人間も土地も、よく調査をする必要がある。単に逃げるんじゃなくて、この現場で汚染状態を正確によく調べるということだよ。
行動なきところに結果などあり得ないし、「少しでもみんなで行動しよう」と言いたい。「東京に行って、みんなの気持ちを東京の人に、どんどん言って伝えようじゃないか」と。「原発事故というのはこういうことなんだよ。他人事ではなくて、子ども・孫の世代のことまで考えて、いま、再稼働をめぐってたたかうときが来ているよ」って。
東電とたたかう、国とたたかう、放射能とたたかう。そういうことを俺は言いたいのね。
ずっとこの1年間、大勢の人が生きる意味とか、哲学を考えてきた。行動までできる人はそう多くないし、でもそういう人を少しずつ作りながら進んでいると思うよ。
僕なんか、学生のとき、学生運動なんかやった方。やっぱりそういう経験をもっている人は、それを生かしながら、先頭に立つべきだと思う。
かつて70年代に見てきたようなね。俺は、千葉にいたんだけど、成田空港の反対運動だね。それにあのときの学生運動、労働運動。みんなそれこそ実力闘争でストライキでたたかったわけだから。
そういうものを、いま、このときに再現する。そういう力を背景にしたものが必要だよね。
「家も故郷も何もかも失った。最後に、みなさん、立ち上がって、いっしょにやろうよ。東京に行こうよ」。そういう力が、福島県に必要なのだと思う。福島県がそういう中心にいかなければと思う。やっぱり誰かがやってくれるだとか、金さえもらええればいいんだとか、そういうのもいるけど、そういうのは、心にも体にもよくないと思うよね。
浪江の人が、みんな立ちあがって、東電前や首相官邸前に座り込んでということができるようになるところまで、今年は持っていきたいなと。
そういうことに、残り20年の人生をかける値打ちがあるのだろうと思う。この被ばくした牛たちとともにね。
http://blog.goo.ne.jp/luca401
…1~3号機は、核燃料棒がメルトダウンして、圧力容器を突き破り、下に落ちています。その先がどうなっているのか誰にもわかりません。見に行くこともできないし、知るための測定器も配置されていないので、全くわかりません。
私は、溶け落ちた燃料が、建て屋のコンクリートも破って地下水と接触しているかもしれない、と思っています。もしそうなら、高レベル放射能が地下水に流れ出てしまうので、建て屋の外側に深い壁を作ることを昨年5月から提案し続けています。残念ながら、東電は何もやっていないという状態です。
4号機
防護壁のない核燃料がむき出しのまま、崩れかけた建て屋の中に存在しているということです。4号機のプールの中にある放射性物質は、広島原爆の約5000発分です。
毎日のように起きている余震によって、万が一この壁が崩れ落ちるようなことが起これば、人が近づくこともできなくなり、手の施しようがなくなります。福島原発事故による放射能のこれまでの放出は、。私は400発分くらいだと思っていますが、4号機のプールの中には、その10倍以上の放射性物質が、むき出しのまま存在しているのです。このプールがひっくり返れば、世界がどうなるのか、想像もできません。
東電は、次の地震がきても大丈夫だと言っていますが、その下の床も破壊されているので、燃料プールは上図の右半分だけで支えているだけなのです。
そもそもこの工事カ所は、かなり放射能に汚染されていて、ゆっくり作業できる環境ではありません。どれほど信頼できる工事なのか、私は疑問です。......これからの事故の進展という意味では、4号機が一番心配です。
──この1年で何が変わったのか?
小出…あれほどの惨事を経験しながら、原子力政策も推進勢力も何も変わらなかった、というのが率直な感想です。故郷を追われた住民が10万人と言われています。住み慣れた場所を離れ、隣人・友人と離ればなれとなり、人生設計の土台を奪われたという重みを、どう考えればいいのでしょうか? 戦争でもこんなことは起こりません。
核災害に対する政府の対応は、猛烈な汚染地域の人を避難させただけでした。その周辺の(私から見れば)これまた猛烈な汚染地域の人々は、その地に捨て置かれたのです。「逃げたい人は、自分で逃げろ」という姿勢です。
ごくごく一部の力のある人は、家族ごと逃げて新たな生活を始めました。さらにごく一部の人は、子どもと母親だけ逃がして、自分は仕事のために汚染地帯に残りました。この人々だって、家族がバラバラになって家庭崩壊のリスクを負っています。
そして大部分の人は、逃げることができず、汚染地帯で子どもを育てています。親は、「こんな所で育てて良いのか? 泥まみれで遊ばせていいのか? 」と心配しながら生きています。その重さをどう考えていいのか私にはわかりません。
ところが原子力村は、何も変わらなかった。ここまでの惨事を目にしながら、今でも「原子力をやめたら、経済が弱ってしまう」などと言っています。私には信じられないことですが、彼らが政治・経済の中枢を握り続けていて、影響力を行使し続けているのです。全くすごい国だと思います。
野田首相なんて、迷うことなく再稼働に邁進しているわけです。残念ながら、今の政治の状況を見ていると、多分再稼働になるでしょう。菅首相なら、ひょっとしたら少し変わっていたのかもしれませんが、事故を経ても変わろうとしない原子力村の完全復活です。
──反原発の気持ちはあるが、様々な理由で実際に抗議行動などができない人たちに対してコメントを。
小出…反原発運動なんて、やっていただかなくても結構です。私が原発に反対してきたのは、差別に抵抗しているからです。原発は、都市と過疎地の差別の上に建ち、下請け労働者への差別なしに成立しません。私の現場は原子力 ですから、原発の差別性に反対しているのですが、差別は労働現場にもこの世界にも、山ほどあります。
そうした「差別」に抵抗することは、誰にでもきっとできるし、それをやってくれるのなら、反原発にも、全ての問題にもつながります。原発なんて放っておいてください。私がやります。自分が「どうしてもこれだけは譲れない」という、そのことに関してだけやってもらえればいいのです。それですら大変なことですから、余力の無い人はそれでいいのです。自分を責める必要はありません。
私は、3・11以降に放射能汚染をとにかくしっかり調べて公表し、責任のある者から汚染食物を食べるべきだ、という発言をしてきました。私にとってもジレンマはあり、測定をしてきちっと知らせたら結局、金持ちがきれいな食べ物を買い、貧乏人が汚染された物を食わされる、ということになると、私でも容易に想像がつきます。
ですから責任に応じて引き受けるしかない、と言っているのですが、実際にはそうならない可能性が高い。でもそれで、貧乏人と金持ちの歴然とした差が、より明確になります。見えなければ立ち上がる力も沸かないので、可視化させるべきだと思います。
ただし、騙されないで欲しいことはあります。橋下市長などに対して、「今の酷い社会を変えてくれるかもしれない」と、期待をかける人がいますが、そんなことをしたら余計に悪くなるだけです。どんな社会を作りたいのか? を、1人ひとりがしっかり考えることなく、誰かに依存するなら、悪い方向へ行くと思います。
…1~3号機は、核燃料棒がメルトダウンして、圧力容器を突き破り、下に落ちています。その先がどうなっているのか誰にもわかりません。見に行くこともできないし、知るための測定器も配置されていないので、全くわかりません。
私は、溶け落ちた燃料が、建て屋のコンクリートも破って地下水と接触しているかもしれない、と思っています。もしそうなら、高レベル放射能が地下水に流れ出てしまうので、建て屋の外側に深い壁を作ることを昨年5月から提案し続けています。残念ながら、東電は何もやっていないという状態です。
4号機
防護壁のない核燃料がむき出しのまま、崩れかけた建て屋の中に存在しているということです。4号機のプールの中にある放射性物質は、広島原爆の約5000発分です。
毎日のように起きている余震によって、万が一この壁が崩れ落ちるようなことが起これば、人が近づくこともできなくなり、手の施しようがなくなります。福島原発事故による放射能のこれまでの放出は、。私は400発分くらいだと思っていますが、4号機のプールの中には、その10倍以上の放射性物質が、むき出しのまま存在しているのです。このプールがひっくり返れば、世界がどうなるのか、想像もできません。
東電は、次の地震がきても大丈夫だと言っていますが、その下の床も破壊されているので、燃料プールは上図の右半分だけで支えているだけなのです。
そもそもこの工事カ所は、かなり放射能に汚染されていて、ゆっくり作業できる環境ではありません。どれほど信頼できる工事なのか、私は疑問です。......これからの事故の進展という意味では、4号機が一番心配です。
──この1年で何が変わったのか?
小出…あれほどの惨事を経験しながら、原子力政策も推進勢力も何も変わらなかった、というのが率直な感想です。故郷を追われた住民が10万人と言われています。住み慣れた場所を離れ、隣人・友人と離ればなれとなり、人生設計の土台を奪われたという重みを、どう考えればいいのでしょうか? 戦争でもこんなことは起こりません。
核災害に対する政府の対応は、猛烈な汚染地域の人を避難させただけでした。その周辺の(私から見れば)これまた猛烈な汚染地域の人々は、その地に捨て置かれたのです。「逃げたい人は、自分で逃げろ」という姿勢です。
ごくごく一部の力のある人は、家族ごと逃げて新たな生活を始めました。さらにごく一部の人は、子どもと母親だけ逃がして、自分は仕事のために汚染地帯に残りました。この人々だって、家族がバラバラになって家庭崩壊のリスクを負っています。
そして大部分の人は、逃げることができず、汚染地帯で子どもを育てています。親は、「こんな所で育てて良いのか? 泥まみれで遊ばせていいのか? 」と心配しながら生きています。その重さをどう考えていいのか私にはわかりません。
ところが原子力村は、何も変わらなかった。ここまでの惨事を目にしながら、今でも「原子力をやめたら、経済が弱ってしまう」などと言っています。私には信じられないことですが、彼らが政治・経済の中枢を握り続けていて、影響力を行使し続けているのです。全くすごい国だと思います。
野田首相なんて、迷うことなく再稼働に邁進しているわけです。残念ながら、今の政治の状況を見ていると、多分再稼働になるでしょう。菅首相なら、ひょっとしたら少し変わっていたのかもしれませんが、事故を経ても変わろうとしない原子力村の完全復活です。
──反原発の気持ちはあるが、様々な理由で実際に抗議行動などができない人たちに対してコメントを。
小出…反原発運動なんて、やっていただかなくても結構です。私が原発に反対してきたのは、差別に抵抗しているからです。原発は、都市と過疎地の差別の上に建ち、下請け労働者への差別なしに成立しません。私の現場は原子力 ですから、原発の差別性に反対しているのですが、差別は労働現場にもこの世界にも、山ほどあります。
そうした「差別」に抵抗することは、誰にでもきっとできるし、それをやってくれるのなら、反原発にも、全ての問題にもつながります。原発なんて放っておいてください。私がやります。自分が「どうしてもこれだけは譲れない」という、そのことに関してだけやってもらえればいいのです。それですら大変なことですから、余力の無い人はそれでいいのです。自分を責める必要はありません。
私は、3・11以降に放射能汚染をとにかくしっかり調べて公表し、責任のある者から汚染食物を食べるべきだ、という発言をしてきました。私にとってもジレンマはあり、測定をしてきちっと知らせたら結局、金持ちがきれいな食べ物を買い、貧乏人が汚染された物を食わされる、ということになると、私でも容易に想像がつきます。
ですから責任に応じて引き受けるしかない、と言っているのですが、実際にはそうならない可能性が高い。でもそれで、貧乏人と金持ちの歴然とした差が、より明確になります。見えなければ立ち上がる力も沸かないので、可視化させるべきだと思います。
ただし、騙されないで欲しいことはあります。橋下市長などに対して、「今の酷い社会を変えてくれるかもしれない」と、期待をかける人がいますが、そんなことをしたら余計に悪くなるだけです。どんな社会を作りたいのか? を、1人ひとりがしっかり考えることなく、誰かに依存するなら、悪い方向へ行くと思います。