今日は、東京駅で推しの彼と会ってから、ちょうど一年。
素敵だなと思う人と時間を合わせて会い、言葉を交わせることは、私にとって尊すぎる出来事で、この日のことは毎日、頭の片隅にあったように思う。
この一年、これを上書きする出来事が起こっていないからこそ、こんなにも最近のことのように感じるのだろうか。
会ったときに話した内容だけでなく、そのときに見えたものや、会う前後の出来事までも鮮明に覚えている。
会う前にお店でヘアメイクをしたこと。
夜勤明けで無理をして起きていたせいか、別れた後にあまりにも体調が悪くなり、理由もわからないまま途中の駅で降りて、ホームに座り込んでいたこと。
一年前のこの時間に何をしていたかも、ほとんど正確に思い出せる。
これって、この一年が刺激的でなかったからなのだろうか。
転勤もあったし、二週間ちょっとの短期留学にも行った。
自分なりに、意識的に日々を充実させようともしてきた。
それでも、「今この瞬間を刻みたい」と思うほどの出来事は、起こらなかったのかもしれない。
私にとって「特別な日」は、誰かと関わることで生まれるものだと思う。
交友関係を築くのが得意なほうではないけれど、人との関わりが自分にとって重要で、人生を左右するものであることは、ごまかせない事実だと感じる。
確かにこの一年、街コンやアプリで新しい人と会ってきたかといえば、たった三人だけだった。
それも、「今後付き合うことがふさわしい相手か」を見極めることが目的だったから、「楽しい」と感じるところまで至らなかったのだと思う。
彼に対しては、最初からそうではないと感じていたからこそ、じっくり向き合えたのかもしれない。
私にとっては最近のことのように思い出される彼との会話も、彼にとっては、半年以上、世界で常に誰かと交流している中うちに遠い記憶になっただろうと思う。
その温度差を思うと、連絡することをためらってしまうこともある。
それでも、ふとしたときに心配になる人がいること、そしてそれを本人に伝えることは、きっと温かいことだと信じて、時々連絡を取っている。
当時、夜勤明けで丸一日眠れていない状態で会いに行ったことは、本当に後悔している。
多分大丈夫だろうと軽く考えていたけれど、彼は簡単に会える相手ではないことを、もっと意識するべきだった。
会話もなかなか自然に引き出せず、彼の温度をしっかり感じ取ることもできなかった。
ただ、自分が倒れないように必死で意識を保っていた。
「楽しい」と心から思える状況ではなかったけれど、それでも、あの日彼に会えてよかったと思える理由があるとしたら、彼と話すことで、さらに彼を知れたこと。
そして、
「こんなに素敵な人が、この世にいる」
ということを知れたこと。
それが、私にとっての光になったと思う。
今よりほんのり明るい夕時に歩いた、イルミネーションが灯された丸の内仲通り、似たような光を、今は地元で見ながら記事を書いている。
自分の現在の近況や、彼と関わって変わったことなども書いていきたいけど、ひとまずは、彼と一年前に会っていたこの時間に投稿をしたかったので、一旦ここで締めくくることにする。