お盆ですね。
今年の5月、実家の祖母が亡くなり、その初盆だけれど、例年通り私の実家への帰省はせず、
ダーリンの実家に帰る予定にしています。周囲も、夏休みモード突入ですね。
7月上旬、祖母の四十九日法要とあわせて、曽祖父母の五十回忌法要がありまして。
父がここ数年気にかけていた節目の法要ということで、ダーリンともども帰省したときのキロクを。
羽田空港。バードストライクによる機体整備で1時間遅れた・・・
1000円の商品券をもらったので、有効活用(ビールとおみやげ)。
予定より1時間遅れで福井着。駅でひとまずお昼ご飯。
名物はソースカツ丼なのだけど、ダーリンは譲らず卵とじカツ丼と、夏においしいおろし蕎麦。
自宅にて。お風呂で冷やすスイカという、昔なつかしい風景。おおぜいで食べるからあっという間になくなる!
お坊さんが自宅に来ての法要が無事終わり、近所の仕出し屋さんにて夕食。
このうちは同級生のうちで、妹さんが跡を継いでこれらの料理を作っているのです。
のんびりと3時間ほど食べたあと、私たちは駅前のホテルへ。
弟の家族と重なっての帰省、あと、ホテルつき航空券が格安だったので、今回はホテルステイ。
で、ダーリンが「秋吉行きたい」と言いだした・・。
仕出し屋さんでたくさん食べたけど・・・本場、福井の秋吉、私も行ったことがないのよね・・・。
駅前の秋吉。10時近かったと思うけど、大賑わいでした!おもち帰り用もどんどん出てたし。
やっぱりおいしいねえ・・・。仕出し屋さんのお刺身より、私、こっちのほうが好きだな(笑)
秋吉の焼き鳥つき、カラオケ歌い放題の福鉄ビア電っていうのがあるらしい・・・!
帰り道は福井城址のお濠端を歩いてホテルに戻りました。
朝ご飯は、駅ビルまで出掛けて、結局おいしそうなおにぎりを買ってかえりました。
福井名産のへしこ(鯖のぬか漬け)、梅、昆布などがあって、おかずセットも色とりどりで満足。
ホテルからすぐの福井城址跡、四半世紀ぶりくらいに歩いてみた。福井の名前の由来「福の井」
お濠の中の福井城址は石垣しか残っておらず、今は県庁と県警本部があります。
中央公園でみつけた銅像。ひとつは東京美術学校を創設した岡倉天心(福井藩主の子供)
ランチは、高校時代の同級生夫婦と一緒にお寿司を食べに駅前のアーケード街へ。
福井城主、柴田勝家の義理の娘(妻の前夫、浅井長政の娘)にあたる、「江姫」は現在大河ドラマの主人公。
というわけで、お寿司屋さんもブームにあやかって「お江巻き」。魚3種類を昆布で巻いてありました。
その後、柴田勝家を祀る柴田神社へ。お江三姉妹と、母で勝家の妻となった「お市」の銅像ができてた・・・。
そばには柴田勝家の像も。家紋がカワイイ。京都の本能寺でみた織田信長家の家紋と似ています。
織田家臣で豊臣家に目のカタキにされたほどだから、織田家の家紋を頂いたのかも。
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もう1人、仲良し同級生(男子)は、この土日は陸上部顧問で県大会会場にはりついてるらしい。
実は、その顧問をしている学校が私の母校(高校)。私も陸上部だったので部のOBです。
ランチに来た友達夫婦も陸上部・・・というわけで、そのなつかしい陸上競技場に行くことにしました!
(ちなみに、その夫婦の長女は同じ高校に入り、1,2年のときは同級生が担任だった!)
外観、陸上競技場内は全然変わってなくてびっくり!
メインスタンドの下から見る風景もなつかしい・・・。ただここには、アップグラウンドが新設されてました。
一応仕事をしてるらしい友達を呼び出して、5年ぶりに対面。記念撮影なんてしちゃった(笑)
ちょうど、母校の選手が女子800m決勝で優勝して表彰式をみることができました。
何もかもがなつかしい・・・。いや、ほんと楽しかった!(ダーリンにもしっかりつきあわせちゃった)
駅まで送り届けてもらって、喫茶店でコーヒー。URALAは地元情報誌。
「うらら」って、福井の方言で「私たち」という意味でもあるので、いいネーミングだと密かに思ってる(笑)
帰りは、妹が子供たちに飛行機を見せがてら、と小松空港まで車で送ってくれました。45分のドライブ。
でも、小松を離発着する便は少なく、飛び立つ飛行機見るのが大変・・・ようやく1機見送って私達も搭乗。
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慌しい帰省、しかも、この週末は早くも梅雨明け宣言が出たピッカピカの快晴で、気温35度越え!
東京とは日差しのまぶしさが違うように思えました・・・とにかく暑かった!
でも、父念願の祖父母の五十回忌と母の四十九日法要(それぞれ父にとって)を無事終えることができ、
ほっとした顔をみることができて、また、親族一同元気に揃ったのは、やっぱり楽しかった。
先祖のみなさんも、きっと喜んでくれたかな。
ほんとうは、実家に泊まれればいいのだけれど、散らかり放題で無理・・・
一時期9人が暮らした家は部屋数だけでいえば・・・10(6畳~10畳) 両親の手に追えない広さです。
両親も70代後半。彼らの暮らしを乱すことなく、快適な住空間にするには少しまとめて帰省しないと。
なんてことを、今回の帰省で思いました。
オマケ
福井市のマンホール蓋の柄、生まれて初めて確認しました(旅先では必ず気にするのに・・・)。
不死鳥です。市の大通りもフェニックス通り、市民会館もフェニックスホールというほどです。
福井は、昭和20年の戦災、昭和23年の大地震、その1月後の洪水で壊滅的被害を被りました。
父の弟もこのときの震災で家の下敷きになり亡くなり、子供の頃からよくその話を聞かされていました。
でも、昭和27年には一応の復興が成り、これを記念して福井復興博覧会が開催されました。
この博覧会のシンボルマークが不死鳥であったため、それ以降、福井市、市民のシンボルとされています。
今の、東北の、日本の置かれている状況に対する思いに重なります。
震災後5ヶ月の8月11日、被災地10箇所で打ち上げられた花火にも”不死鳥”と言う名の花火がありました。