ブログの初記事からちょうど一年。
今度は長女、小学校の入学式だ!
なんか感慨深い…。





長ったらしく長女について振り返るよー。
1人語り鬱陶しい人は、スライド右で💕








妊娠時から大人の都合に振り回しっぱなしの長女。


妊娠発覚の割とすぐから、旦那の広島赴任1、2年と言われ、それなら私も仕事(未就職、不登校児の支援団体の事務実用係)あるし地元に残るよと、残ってみたらあれよあれよと5年間の単身赴任になったり。

妊娠中期に長男の一歳半検診にて、発達経過、要観察と発達グレーゾーンと判断されあわあわしたり。

妊娠後期は母親がある日突然起き上がれないとなり、2日後緊急入院し、生死をさまよったり。
(3ヶ月の入院リハビリ期間を経て、今は体調に波はあれど、ほぼ日常生活に大きな支障はなく過ごせるようになってます。走ったり、屈んだりは無理。)

よくよく思い出すとこの頃割とハードスケジュールで過ごしてるなw

朝、長男の支度、
保育園送り、
電車に乗って通勤9時出社、
5時退社、
6時ギリギリ頃に保育園お迎え、
夕飯(妹や父の勤務によっては実家に作りに行く)、お風呂子供の世話、その他家事、

ちなみに週4、5日で、臨月の2週間前まで働いてた。(今考えるとアホやわぁw)

上記のような状況下で、胎教やらなんやら赤ちゃんのためにできたことがほとんどない!戌の日参りとお腹冷やさないようにと納豆と葉酸タブレット食べてたくらい。(次女にはもっとできてないw)


で何より申し訳なかったなって当時思ったのが、自然分娩出来なかった事。
長男の時に緊急帝王切開だったけど、VBAC(いわゆる初産帝王切開、次産自然分娩)をできたらしたかった。妊娠時期や体調的な条件は大丈夫だったんだけど、2点ネックになった。

お世話になった産院がVBAC非推奨。転院が必要だったこと。VBACできる病院が自宅から割と遠方だった事。
旦那の単身赴任と母の入院が重なった事。

まぁ仕事しながらバタバタ過ごしてる時点で転院先を探す気力がないなー思ってたのと、リスク高いからVBAC反対と旦那くんが言ってくれたのと、妊娠後期に母の入院のおかげで諦めついたw

采配ってやつやね。


自然分娩だと赤ちゃん任せで、いつお産になるか分からない。まだ頑張り教で人に迷惑かけちゃいけないって考えだった私は、旦那くんに予定組んでもらって出産できる帝王切開を選んだわけです。

当時、私がお産した産科は帝王切開は基本10日間入院。実家は母の事で手一杯なので、長男の事は、家事育児さっぱりせずにいた旦那くんに!
入院前後の間、地元勤務に戻してもらい、乗り切ってくれましたわ…。(乗り切らざるを得ないしなw)

退院後、アパートによると部屋干し臭が凄かったのが今でも思い出せる…照れ


あっすっかり脱線語りしちゃったw


そんなこんなで帝王切開を選択されて
生まれた長女

3人兄妹で一番小さく生まれました。
産院の方針により妊娠37週に入りすぐのお産だったので、もっとお腹の中に居たかっただろうに、外に出されちゃいました。
おまけに術中麻酔の効きが悪くて、痛くて絶叫しちゃったから全身麻酔で産声も聞けず、当時は不安で仕方なかったのを忘れてません。

まぁ不安でいるからか、母乳もミルクもあまり飲めなくて、小さくてハラハラさせてくれました…3日ほどw
(3日もしたらガンガン飲めるようになったw)
2日目の夜に早く生まれたから気力少ない子なのかなって呟いた看護師さん!涙返してw


で、そんなこんな、一歳半くらいまでは規則正しいお腹の虫がなる時以外はご機嫌さんで、お世話しやすい子だったのが…

無自覚育児ノイローゼ母と
活発すぎる兄と
週末父ちゃんに揉まれ、
たくましく、ヒステリックで、泣き虫で、とても素直に成長しております(爆)


平和な幼児期を過ごさせてあげてはないけど、
たくましい子になりました。
不安定さあるけど、
この子が持って生まれた気質に
イラつく事もあるけど救われてます。


小学校、めいっぱい、いい事悪い事
経験たくさんするかな?
どんな経験も面白がっていけたらいーなと思う
今朝なのでした。


長文読んでくださった方お疲れ様でした✨



さて、ブラウスにアイロンかけて
箱からランドセル出そ🎒(爆)