世界平和へのカギ

つい先日の出来事ですが、高速道路のトンネル付近でトラックと乗用車が衝突、炎上してしまい、子供も含めた何名かがなくなるという痛ましい事故が発生しました。

 

この事故では相変わらずマスコミはトラックドライバーをまるで凶悪犯罪者のように報道していましたが、私はこの報道の仕方にとても違和感を感じていました。

 

トラックの運転手が事故を起こしてしまったことに対しては、私は擁護するということはしませんが、その背景には人材不足と過密なスケジュールがあるということはこれまでに何度も報道やSNSでの現役のトラックドライバーの書き込みなどで知っていましたから、多分今回も極限の疲労での走行で集中力が切れてしまったのだろうなという見解を持っていました。

 

SNSにはトラックドライバーを非難する記事を掲載している人がいましたが、そのコメント欄には、同意するようなコメントも確かにみられるのですが、ほとんどがトラックドライバーに対する同情の声であふれていたのはとても印象的に思いました。

 

以前であれば、このような事故を起こしたドライバーに対しては

「なんてひどい奴だ、子供が死んだんだぞ、一生刑務所から出てくるな」

などといったトラックドライバーに対する辛辣な批判コメントであふれていたように思います。

 

ところが今回のある人の記事にはトラックドライバーを擁護するか、あるいはもっと冷静に起きたことに対する客観的な分析であふれており、以前とは逆の意味でコメント欄が炎上していました。

 

実はこれこそが以前私がブログで書いた「世界平和」という概念についてイメージとしては近いものがあります。

 

これはどういったことかというと、よくある「世界平和の概念」というのは、みんなで仲良く手をつないで穏やかに過ごしましょうというような、なんだかふわっとしていてお花畑のような雰囲気でしたが、これではいつまでたっても世界平和なんてものは成立するわけがありません。

 

具体的にどうするのかという私なりの考えですが、これもいたってシンプルだと思うのですが、

「相手の立場に立って考える」

たったこれだけです。

 

これだけと言われてもよくわからないかもしれないですが、具体的にはこの事故を起こしてしまったトラックドライバーがどのような立場に立っているかを考えるということです。

 

・もし自分がトラックドライバーだったら?

・もしトラックドライバーが減って物流が滞ってしまったら?

・このトラックドライバーにも養っている家族がいたら?

 

という感じで相手の立場を考えると何も言えなくなってしまうのではないでしょうか。

いやいやそれでも起こしたことは悪いことだよ、という人もいるかもしれませんが、そのようなことは自分の身に降りかからないと思っているのでしょうか。

 

世の中絶対ということはあり得ません、他人事では決してないのです。

 

このような他人の立場になって考える、という概念こそが世界平和を実現する最も早い道ですが、果たして今の世の中この概念で動いているでしょうか?