渋柿のブログ

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 竜騎士07先生の作品、『うみねこの鳴く頃に』におけます、「Why done it?」(なぜ犯行に至ったのか)を中心に、自分なりに勝手な解釈を加えながら、二次創作を試みました。これは私が以前、Ep7プレイ直後に書いたものになります。内容的には稚拙なものですが、敢えて、この度わたしの個人的なブログにて公開させていただきます。

以下、『うみねこの鳴く頃に』を未プレイの方は、ネタバレにつながる内容がございますので、読まれる場合はくれぐれもご注意くださいますよう、お願いいたします。
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 ここに告白します。私は、1967年、そう今から19年前、右代宮夏妃によって、使用人もろとも崖から落とされた赤ん坊です。命だけは、今思えば不本意にも、助けられましたが、その時の大怪我が元で、後に重大な障害を抱えることとなってしまいました。そして、この未だ身体に残る障害のせいで、まるで生きる価値が無いような人生だと、今の私には思えてならないのです。

 それでも症状が落ち着いているときは、普通の生活ができておりました。だから、私は普通に恋もできるはずなのです。ですが、これを読んでいただいているあなたには、包み隠さず正直に申し上げいたしましょう。
私の中には、私以外の私、私では無い私が、確かにいたのです。私が私でないとき、私は全くの別の私です。私と別の私は、これまでの様々な出来事の中で生まれ、時には死んでいきました。私とは違う私自身は、他愛もないことで話し合える弟であったり、いたずら好きの魔女であったり、あろうことか私の父でさえもあったのです。

 「我思う、ゆえに我あり。」

 この宇宙で疑い得ない真理とは、たった今こう考える私が確かに存在することであると、昔どこかの偉い哲学者が言ったそうです。でもそんなのチャンチャラ可笑しいんです。だって、こう考えている私は、私自身の存在を、今まさに疑っているのですから。

 「我は、我ゆえに我らあり。」

 我は、唯一の我と自覚できるはずの我ですが、唯一の我が複数存在するがゆえに、我ら、なのだということを、ここで明確に述べておきましょう。どの私以外の私も私なのです。 私は私のはずなのに…

難しい医学書では、このような症状を次のようにいうそうです。「解離性同一性障害」と。でも、そんなことはどうでもいいのです。私は、ここにこうして確かにいるのですから。でも同時に私は、自分が自分でなくなる事が、一番怖くもあるのです。 どうしてかって? ではもし、私がだれかを愛してしまったら、その時、私は一体どうしたらよいのでしょうか。私は自分の中の真実を、本当に知ることができるのでしょうか。その愛は、果たして真実の愛といえるのでしょうか。
私は私のはずなのに、私は私のことが、常に信じられないのです。

 こんな私が恋をしてもいいのでしょうか。普通に人を愛することができるのでしょうか。いいえ、私は恋をしてはいけないのです。愛を知ってはいけないのです。このような身体の私には、自分の中の真実さえも、許されてはいないのですから。だって、そんな恋は絶対に破綻します。どうしたって、うまくいきっこない。それはもう十分に、私にはわかっているつもりなのです。

   でも、誰かが私の中の私を殺してくれるというのなら…
   お願いです、どうか私を助けてください。
   どうか私を殺してください。

たとえそれで、私の中の私が、誰一人としていなくなったとしても、この世で人を愛することが出来ない運命というのならば、いっそ全てが消えてしまったほうがまだましだと、きっとそう、あなたも思えるでしょう?だって、この世界は全てが愛でできているのですから。

 私は碑文の謎を解くことで、計らずも、私は私の出生の秘密を知ってしまいました。でも、それも、もう一人の私だっただけのことでした。私は本当にベアトリーチェになりたかったのです。しかし、皮肉にも、私は私の望みどおりに、本物のベアトリーチェだったのですね。


 私がベアトリーチェであったことで、私は自分の存在がやっと認められたような気がしたものですが、同時に、この私の存在が否定されてしまったことを理解 したのです。何の矛盾もございません。私は文字通り、存在しない人間、存在してはいけない人間だったということです。私は、事故後、入念にかつ厳粛に身元 を隠された上で、孤児として育てられました。でも、むしろ本当の孤児であればよかったのです。こんな真実は知りたくはなかった!!世間一般に言うところの 普通の幸せでさえ、私にはあまりにも遠すぎたのです。私は本物のベアトリーチェとなり、右代宮家の真の当主として右代宮金蔵を受け継ぐ者とさえなりまし た。莫大な財産と大いなる名誉が与えられました。ですがその時、私が人として普通に生きるには、まさしく奇跡が必要なのだということを、瞬時に私は悟った のです。目も眩むほどの黄金が、私にとっては、私の未来に暗雲と垂れこめる呪いの象徴のようでした。

 この時、私はある男性に恋をしておりました。もちろん叶うものとは、思いもしない恋です。でも、ここに申し上げます、その恋は私にとって唯一の生きる希 望だったのです。

 私は信じたかったのです。あの人への思いは真実だと。だからこれは、その真実を試すために、神様が与えられた試練なのだと。だけれども、弱い私は、私と は違うもう一人の私である魔女に、その信じる心をそっくりと明け渡してしまいました。そうでもしないと、私はきっと壊れてしまいそうだったのです。耐えら れなかった、普通じゃいられなかったのです。私が私ごと、そこからいなくなりそうだったのです。
でも、そこまでして延命させた私の真実も、私の生まれを理解するとともに、今度こそ本当に無くなったのだと思えたのでした。これが1984年の出来事で す。

 同年、私達は新しい恋の芽生えを感じておりました。それは、また私達の中の新しい真実となって現れてきます。私達はこの恋を育むべきかどうか迷いまし た。そう、私達の中には、別の私も確かに"い"るのですから。もし、この私が本当の私であるならば、そして私が父と初代ベアトリーチェの娘との間に生まれ た、存在してはいけない、存在しないはずのベアトリーチェではなかったならば、迷うことはなかったかもしれません。でも、あなたを思うこの私は、本当に本 当の私なのでしょうか。ちょっとしたことで消えてしまう偽者の私なのではないのでしょうか。あなたを愛そうとする私が本当にいるのかどうかすら、もう私に は到底わからないのです。だから、私たちは殺されなくてはなりません。そうしないと、今この瞬間にも、私は私でいられなくなりそうなのです。

 来年の1986年、もう帰ってこないと諦めかけていた人…初めての恋、いいえ、生きる希望を与えてくれた人が六軒島に6年ぶりに帰ってくることを知りま した。どうして、今になって、帰ってくるのでしょうか。私の中の私たちがざわめきます。私は私に、そして私の運命にさえ、抗うことを決意しました。私自身 が生きるために、それを決意したのです。この呪われた運命と対決するために。あなたを愛した私はまだここに、確かにいるのだから。もし、それが叶うのなら ば、血の宿命からも逃れられるような、そんな場所がどこかに、万が一にでもあるのならば、この世界の果てのその先の、そんなこの世のどこでもないような幸 福な場所へ、どうか私を連れ去ってください。もはやこの世界においては祝福されない間柄だとはわかっているのです。あなたの目にお見せできるような、はっ きりとした証拠などは、ただの一つもございませんが、あなたと血の繋がるこの私は、それでも本当にあなたを愛しているからこそ、こうしてここにいられるの です。

信じられますか? とうてい、信じられませんよね?
いいえ、私は信じています。
信じたいのです。信じさせてほしいのです。 
この私は、ただ一人の私で、私はあなたを真実に、愛しているのだと。

そして、たとえ世界のすべてから呪われても、
あなただけからは愛されるのだと。
あなたを愛する私はいま、本当にここに存在していると、
ハッキリとあなたの口で、おっしゃってください。
これは、私にとっては避けられない試練なのです。
だからどうか、、私たちを上手に、きっと殺してくださいね。


そうでなければ、私も含めたこの世のすべてが終われ!
もう何も信じない。信じられない。
わたしも、もういなくていい。
わたしは黄金の魔女ベアトリーチェ、あなたに私が殺せるかしら!!
あはははははははははhahaha!

さぁ、今こそ、舞台の幕を開きましょう。
ようこそ六軒島へ。       愛するあなたへ   ただ一人の私より