芝原里佳 in Malaysia

芝原里佳 in Malaysia

マレーシアの大学で日本語を教えています。

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お久しぶりです。
今日のテーマはいま取り組んでいること、ですね。

取り組んでいるテーマは、いろいろあって身動き取れなくなりそうでやばいなあと思っているのですが、その中で、今実践最中のプロジェクト「戦争の記憶」について書きたいと思います。

「戦争のことについて学生と話さなければ」という長年心の隅にあった希望を、このプロジェクトでほんの少しですが、実現しようとしています。

マレーシアは第二次世界大戦中日本の侵略を受けて、多くの人が拷問・虐殺されたという歴史があります。マレーシアの歴史教科書にはその詳しい記載がありますし、時々その時代をテーマにしたドラマが放映され、残虐な日本軍の姿が映し出されます。独立記念日には、当時の様子を再現するパフォーマンスも見られます。

私の大学の日本語学習者は、そのような環境で育ってきたのですが、日本人、日本語学習に対してどんな気持ちを持っているんだろう、と疑問に思っていました。

初級のコースでは、日本についてのスクラップブックを作るというのが、コースワークの一つになっているのですが、あまりにも、茶道やサムライ、芸者などのステレオタイプなテーマでネットから記事を拾ってくるのに我慢できなくなって、ネット以外のソースから記事を取ってくるように言いました。すると、当時、ライオン小泉首相の靖国神社参拝がよくこちらの新聞でも取り上げられていて、それを切り抜いてコメントを書いてくる学生が出てきました。それがもとで、授業中に、「先生はあの戦争についてどう思っていますか?」とある学生に聞かれました。うっと答えに詰まって、なんと答えようかと顔を上げた時、教室中の顔が、私を凝視しているのに気がつきました。そのとき、日本の代表にされてしまったような妙な気分と、そこからくる重苦しい緊張感で、「いろいろな意見の人がいると思うけど、私個人としては、まったく間違いだったと思います・・・」のようなことを言い、あとは何をいって終えたのか覚えていません。

あの経験で、そのような事しか言えない自分が情けないと思い、同時に、無邪気に日本語を勉強しているように見える学生でも、自分の知っている日本人が戦争についてどう思っているのかは大変関心のあることで、その答えによっては、もしかしたら、その学生の日本語学習の意義をゆるがすかもしれない、ということでした。大げさかもしれないけれど、私が、あの戦争についてどう考えるのかをしるまでは、学生にとって私はいつまでもブラックホールなのかもしれない、と思いました。

このプロジェクトは、去年ブリティッシュコロンビア大学の久保田先生にマレーシアにお越しいただいた縁で、先生が送って下さった当時未発表の論文から、多くのアイデアを頂きました。先生はContent-basedの授業の可能性として、戦争の記憶の日・米・カナダなどにおける違い・加害者/被害者関係の多重性をテーマとした内容を提案されていました。

今実践中のプロジェクト「戦争の記憶」は、久保田先生が論文で提示されていた素材、漫画「はだしのゲン」を読むこと、その中の加害者・被害者の関係の多重性について発見することを第一段階に、そしてマレーシア・ペナン島にある日本軍要塞跡でもあるPenang War Museumを訪れ、要塞跡の各所の紹介文とエッセーをウェブページに掲載する第二段階で構成しています。Museumは10年前にできたのですが、まだまだ展示方法にも改善の可能性が感じられることから、このウェブページ作成過程で、学習者と戦争の記録の仕方についても、話し合えたらと思っています。そしてこのウェブページによって、さらに多くの日本人訪問者がこのMuseumに来てくれたらと思います。

来週は、学生が書いてきたエッセーをクラスで読みます。あー学生たちはどんな文を書いてくるでしょうか。ドキドキです。