●昔の日本の島の名前
http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2010/11/20101122-b835.html
◆アシ(葦、ヨシとも)、昔の日本は豊葦原の瑞穂国(国譲り神話、出雲、島根)、犀川(石川)土手下の湿地、吉野川(德島)第十堰の水辺と湿地に群生するアシ(葦)の風景(2010.11.22)
  昔の日本には、河川や湖沼が多く、そこには必ずと言っていいほど、アシ(葦、別名 ヨシ)が繁っていました。湿地に群生する姿は緑色です。昔はこれを青之(あおし)といい、青之がアシになったという。後世になって、アシは「悪し」に通じるので、ヨシ「良し」とも呼ばれるようになりました。
 日本は、神話の世界では、大八州(おおやしま、多くの島からなる意)、豊葦原(とよあしはら)中つ国(なかつくに)、あるいは、瑞穂国(みずほのくに)と呼ばれていました。古事記では、本州・九州・四国・淡路・壱岐・ 対馬・隠岐・佐渡などの「八つの島」の総称とされています。古事記(こじき)は、奈良時代(710~794)、太安万侶(おおのやすまろ、?~723)編纂(へんさん)、現存する日本最古の歴史書ですが、神話、伝説、多数の歌謡を含み、天皇を中心とする日本の統一の由来を物語っています。
 
◆大八島豊葦原瑞穂国
(読み)おおやしまとよあしはらのみずほのくに
 おおやしま とよあしはらのみずほのくに
精選版 日本国語大辞典の解説
日本国の美称。多くの島から成っていて、葦がゆたかにしげってみずみずしい稲穂の実る国の意。
※延喜式(927)祝詞(九条家本訓)「大八州豊葦原瑞穂国(おほやシマとよあしはらノミツほのくに)を安国と平らけく知(しろ)し食(め)す」
 
◆04 生駒神話の小辞典: 生駒の神話
http://ikomashinwa.cocolog-nifty.com/ikomanoshinwa/04/index.html
〇 葦原中国(あしはらのなかつくに).
〇 阿弖流為(アテルイ)⇒Wikipedia / 高橋克彦「火怨 北の燿星ようせいアテルイ」 /「アテルイの悲劇」については、生駒の神話と現在の(2)をご参照 /不屈の英雄 アテルイ ~古代東北の底力~

〇 天降り(あまくだり)「天」と「海」は共に「あま」という言葉で同一視されていたので、「天あま降り(降臨)」は、「海あま降り(渡来)」のこと。

〇 天津神・天津族(あまつかみ・あまつぞく)⇒神々の総称いろいろへ 「生駒の神話」の枠組み(パラダイム)もご参照

〇「生駒」の語源・由来

〇 生駒山地(生駒連峰)

〇 生駒山⇒生駒山のこと /古代日本における生駒山の不思議と謎/新日本風土記 生駒山/万葉神事語辞典より
〇 大八洲国(おおやしまぐに) 多くの島からなる国の意で、日本の異称。略称は大八洲・八島・八嶋。
 
◆生駒の神話
http://ikomashinwa.cocolog-nifty.com/ikomanoshinwa/2011/11/post-aa18.html
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神々の総称いろいろ  

天津神・天津族(あまつかみ・あまつぞく) 天津神は、天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)から始まり、瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が降臨する以前に、天照大神(アマテラスオオミカミ)をはじめ高天原に生まれた神々、および、天孫とともに高天原から葦原中国あしはらのなかつくにに降臨した神々のことを指す。ただし、素戔嗚尊(スサノオノミコト)は高天原を追放され、出雲に降ったため、国津神となった。歴史的には、渡来して九州にいた集団のことで、天津族という。津つは「の」の意。 

天神(あまつかみ・てんじん・てんしん) 天津神あまつかみのこと。

天神子(あまつかみこ) 天照大神の直系の子孫

天神之の子(あまつかみのこ) 天神の子孫

天神之御子(あまつかみのみこ) 天神の子

天神御子(あまつかみみこ) 天神である子。または、天神である天照大神(別称:天照御魂大神・大歳御祖皇大神・天照御魂大神・天照魂大神)の代理者のこと。
 
◆磤馭慮嶋(オノゴロ島)|伊弉諾尊と伊弉冉尊の聖婚の地! 2019/10/11
https://nihonshinwa.com/archives/12144
伊弉諾尊と伊弉冉尊が、結婚し国を産み、日本の土台となる「大八洲国」が誕生します。 ... 神話全体の流れの中で読み解くことで、「 磤馭慮嶋 おのごろしま 」の理解がめっちゃ深まります♪ ... その 矛 ほこ の先から滴り落ちた潮が自然に凝り固まり、一つの嶋と成った。 ... 葦原中国 あしはらなかつくに 平定の際、 大己貴神 おほあなむちのかみ が 経津主神 ふつぬしのかみ と 武甕槌神 たけみかづちのかみ ... 天神謂伊弉諾尊・伊弉冉尊曰、有豊葦原千五百秋瑞穂之地。
 
◆御中主(みなかぬし) 日本国 国号・象徴
http://www.kikisakane.com/japan/japan.html
古代、大八島(日本列島)において、国名は存在しなかった。
 古事記国生みにおいて、はじめて葦原中国という国名が登場する。
 大八島の地に数多の小国が成ったとき、西の天子国(現在の中国)は大八島の地を総じて倭国、やまとの国と呼んだ。
 神倭伊波礼毘古(神武天皇)が全国を平定し、饒速日命は「虚空見つ日本の国」と日本を呼んだ。
 天子を頂く国になって初めて、東の天子国「日本」と命名するのである。
 それは日没する所の西の天子国に対し、日出る所の東の天子国、「日本」と書いて「やまと」と称した。
 
◆日本国 - 塑史国家連盟 Wiki* - WIKIWIKI.jp
https://wikiwiki.jp/fnhoffi/日本国
国の標語(慣例), 平和なる統一  一つの日本,
日本国(にほんこく、英語 Japan)は、東アジアに位置し、日本列島の東北地方以西、および南西諸島・伊豆諸島・小笠原諸島などからなる民主国家。首都は中京都。
概要

日本国(にほんこく、にっぽんこく、英語 Japan)は、東アジアの沖合の日本列島および南西諸島・伊豆諸島・小笠原諸島・千島列島(後述)などからなる民主主義国家。首都は中京都。以前の首都(2004年まで)は法令上の指定は無くとも事実上東京であったが、1986年の列島大革政策により、首都防衛などの点から見て、旧愛知県の名古屋市付近に新首都を建設することが決定した。

気候は四季の変化に富み、国土の多くは山地で、人口は平野部に集中しており、国内には行政区分として47の都道府県があり、事実上の公用語として日本語がある。内政の観点から国政を見ると、1869年の大政奉還後、明治新政府による大改革が行われ、民主主義・議会政治を確立。1889年2月11日に大日本帝国憲法を交付した。その後第一次世界大戦後の和鴻不況などを乗り越えたものの、ファシズム政権の誕生により第二次世界大戦で枢軸国側として太平洋戦争などに参戦。しかし戦局の悪化や本土空襲により国力が崩壊した。1945年8月6日に広島に原子爆弾が投下、9日には長崎にも投下された。8月15日にポツダム宣言を受け入れ終戦を迎えた。1945年8月26日、9日より千島列島から侵攻していたソビエト連邦軍は北海道全域を占領。そのまま軍が駐留し、1946年5月15日に「蝦夷社会主義共和国」として傀儡政権を樹立させた。その後南北日本としてそれぞれの道を歩んだが、蝦夷は内政が行き詰まり1990年6月にクーデターが勃発し、1991年1月に崩壊した。1991年6月12日、南北は統一し、新憲法が同日施行された。

先進国の一つとして数えられており、G7およびG20の参加国である
 
◆天皇論 Ⅱ
http://www002.upp.so-net.ne.jp/tinking-ad/tennouron2.html
神武東征
初代 神武天皇が即位して大和朝廷を開くまでを「神代」(かみよ)と言いいます
天照大神(太陽の女神・皇祖神)の長男 忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)は母の天照から、高天原〔たかまがはら・天上界〕から
葦原中国〔あしはらのなかつくに・下界〕に降臨し
下界を統治するように命じられますが
下界に行くのが嫌だった
ちょうど妻の万幡豊秋津師比売
〔よろずはたとよあきつしひめ・高御産巣日神(たかみむすひのかみ)の娘〕に
天照国照彦火明命(あまてるくにてるひこほのあかりのみこと)と
邇邇芸命(ににぎのみこと)が生まれたので
天照に自分の子を降臨させることを願う
天照はやむなく、赤子の邇邇芸命に、神々を従わせて天降りさせることにした
これが記紀(古事記と日本書紀)神話の「天孫降臨」です
 
◆【保存版】大祓詞の全文の意味と要点をまとめた現代語訳を詳細解説
https://pentacles1.com/oharaenokotoba/
2020年11月20日
神道の祝詞の1つである大祓詞(おおはらえことば)には様々な解釈がありますが、明治時代の古神道家 川面凡兒(かわつらぼんじ)の解釈は特に参考にすべき解釈の1つです。
なぜならば、現在の神社神道の禊(みそぎ)はすべて川面凡兒が復興した日本古来の行法を取り入れたものになるからです。
川面凡兒は15歳の時から宇佐神宮の神体山 馬城峰(まきのみね)にこもり、そこで697歳の仙人 蓮池貞澄(はすいけさだすみ)と出会い、仏教伝来以前の日本最古の神道を伝える禊流の秘事を授けられた人物です。
 
◆ある不動産業者の地名由来雑学研究~その壱~
http://www.totalplan.co.jp/sub9-H19-1.html
【はじめに】
   我々が「地名」などの話題にふれるとき・・・“誰もが無意識”に、その「固有名詞」の「発音」や「響き」、“その意味”を想像しながら、話や文脈全体を理解しようとしているのではないでしょうか。
   ・・・このことは“我々(ヒト)の脳構造”・・・とりわけ「言語中枢」と呼ばれる部位が、“左右二つに分割されているため”なのです。その一つは「音声」や「文字」などの「情報」を理解するための部分・・・云わば、受信アンテナ的な役割を担う部分です。・・・この隣に、もう一方の「音声」を使用する言語運動という形で(※つまりは、発声により)、「情報」を発信するための部分があり、主に“これら二つの部位が、互いに活発な遣り取りを行なうこと”によって、言語活動全体を成立させるという仕組みになっています。

   日本では、古くは奈良時代に編纂された『古事記』、『日本書紀』、『常陸風土記』などに記されて来たように・・・「地名の起源」についての探索や研究は、我々の関心を惹きつけてきました。・・・しかしながら、「日本の地名」についてのみに限定してみても、より普遍的な「語源解釈法」や、それが、いつ頃命名され、当時の人々に浸透していったかを特定することは、「地名学」や「言語学」、「考古学」、「民族学」、「文化人類学」などによる、様々なアプローチ方法はあるものの・・・なかなか、「こうだ!これにほぼ間違いない!」・・・と“断言出来る状況は稀なケース”であり、多くが未解明と云えるのでしょう。・・・これはこれで、“歴史ロマン”を掻き立てられるのものですが。
   “言葉の生きた化石”とも云われる「地名」の探求は、“古代語研究と同義となることが多い”ため、「発音」や「響き」を含むその「言葉」の「読み方」や「呼び方」、「地名」を、“同次元で扱う姿勢がより重要となる”のかも知れません。
   ・・・それにしても、私(筆者)自身を含め、多くの方々は、“地名そのもの”の「発音」や「響き」、“その意味が現代に至るまで受け継がれて来た”という事実や、“地域の歴史そのものの”に対して、「意味」や「メッセージ性」などを、何かの機会に見い出しているのではないでしょうか。
   ・・・そこで、こちらの関連ページではこの“意味・メッセージ性”を「キーワード」に・・・甚だ大雑把かも知れませんが・・・できるだけ、それぞれの時代順にポイントを踏まえながら記述していきたいと思います。
 
◆ある不動産業者の地名由来雑学研究~その弐~
http://www.totalplan.co.jp/sub9-H19-2.html
・・・・・・・・・・前ページよりの続き・・・・・・・・・・
     ・・・かくして、「ウルム氷期」と呼ばれる「氷河期」の間に、“ユーラシア大陸と陸続きだった”・・・云わば、“半島状の日本へ各方面から移り住んだ後期旧石器時代人が、縄文人の根幹を成した”と考えられています。
     その一例として・・・“太平洋側”にある愛媛県の「上黒岩岩陰遺跡」において、「放射性炭素年代測定」により約1万4,500年前(縄文時代)と測定された「人骨化石」が発掘されているのです。

     “約1.2万年前頃”、この「ウルム氷期」が“終わり”を告げて、急激な温暖化による海面上昇が始まると、日本は・・・ユーラシア大陸から、完全に分離されることとなり・・・“現在の海岸線に似た形状”、すなわち“弧状の日本列島を形成した”のです。
     これにより、“約1.2万年前頃の南西諸島」を除く日本列島に暮らした後期旧石器時代人の文化面など”に対して、大きな変化が齎(もたら)されることとなり、次の「縄文時代」へ移行してゆきます。
     「旧石器時代」と、この「縄文時代」の“主な違い”には・・・「土器の出現」や「竪穴住居の普及」、「貝塚の形式」などが挙げられます。
     “この頃の日本列島人=縄文人”は、主に「縄文式土器」を作り“縄文時代早期以降には、列島各地に定住”し始めて、「竪穴式住居」に暮らしました。・・・これら縄文人達の暮らしの一端が窺い知れる興味深い遺跡として・・・主なものとしては・・・青森県青森市三内丸山にある大規模集落跡「三内丸山遺跡(さんないまるやまいせき)」や、この三内丸山遺跡の南に位置(青森県青森市野沢字小牧野)する環状列石「小牧野(こまきの)遺跡」・・・秋田県鹿角市十和田大湯にある「大湯環状列石(おおゆかんじょうれっせき)」・・・岩手県二戸郡一戸町岩舘字御所野にある「御所野(ごしょの)遺跡」・・・など。
 
◆ある不動産業者の地名由来雑学研究~その参~
http://www.totalplan.co.jp/sub9-H19-3.html
・・・・・・・・・・前ページよりの続き・・・・・・・・・・
     “750年間前後、或いは1350年間程続いた”と考えられる「弥生時代」を経て・・・「時代」は、“3世紀中頃から7世紀頃”に亘る「古墳時代」に移ります。
     “3世紀中頃”には、「畿内」に出現した「前方後円墳」と、それに伴う「墓制」が、急速に“日本列島各地”に広まります。
     ・・・このことは、それまで「畿内(※大和、ヤマトなど)」や、「北九州(※筑紫など)」、「北関東(※毛野など)」、「山陽(※吉備など)」、「山陰(※出雲など)」などに並立していた「大型地域集団」が糾合され始めて・・・結果としても、「倭国(ヤマト王権)」が“形成されたことを裏付ける”と考えられていますが・・・この頃の「倭国(ヤマト王権)」は、未だ「初期国家」と呼べる段階ではなく、「王権連合」と考えるのが適切ではないか? ともされております。
     この「王権連合」が、後に「国家」としての体制(※律令制など)を整え始めて、更に「大和朝廷」と称される「政権」に発展していくこととなりますが、“どの時期以降を以って朝廷と呼ぶべき”か? に関しては、尚も議論があるところです。
 
◆『豊葦原』日本
https://ameblo.jp/1994199820022006/entry-12321107826.html
 『記紀』におきましては、日本の国は
「豊葦原之千秋長五百秋之水穂國」
(とよあしはらの
ちあきのながいほあきのみずほのくに)、

「豊葦原千五百秋之瑞穂國」
(とよあしはらの
ちいほあきのみずほのくに)
と記されています。

麗しい水に恵まれ葦が豊かにはえて
適潤肥沃な土地がひろがり、
これまでもこれからもいついつまでも美しくてトンボがたくさん飛び交い
稲穂がたわわに稔る國と称えられています。

 葦には水を浄化する働きがあります。
ですが、生えっぱなしでは逆効果があるようで刈り取らなくてはならないようです。
美味しいお米を作るためには水がきれいでなくてはいけませんので、先人たちは稲作の一貫として葦を刈り取る作業を行うことで水質を保ち、刈取った葦が無駄にならないよう屋根を葺いたり焼いて肥やしにするなどしてきました。
葦船も例外ではなかったわけです。

『国生み神話』の中では、
蛭子を葦船に乗せて流したとされています。
諸説ありますが、その蛭子が戎神になり
船に乗って帰ってきたと伝わるところもあります。
https://stat.ameba.jp/user_images/20171020/05/1994199820022006/d0/e9/j/o0640056614052413837.jpg?caw=800
葦船。。。

日留子。。

ヒルコ。。。
https://ameblo.jp/1994199820022006/entry-12040655914.html
 
◆日本国 - 塑史国家Wiki - Miraheze     2020/03/05
https://soshirenmei.miraheze.org/wiki/日本国
日本国(にほんこく、にっぽんこく、英語 Japan)は、東アジアの沖合の日本列島および南西諸島・伊豆諸島・小笠原諸島・千島列島(後述)などからなる民主主義国家。首都は中京都。以前の首都(2004年まで)は法令上の指定は無くとも事実上東京であったが、1986年の列島大革政策により、首都防衛などの点から見て、旧愛知県の名古屋市付近に新首都を建設することが決定した。

気候は四季の変化に富み、国土の多くは山地で、人口は平野部に集中しており、国内には行政区分として47の都道府県があり、事実上の公用語として日本語がある。内政の観点から国政を見ると、1869年の大政奉還後、明治新政府による大改革が行われ、民主主義・議会政治を確立。1889年2月11日に大日本帝国憲法を交付した。その後第一次世界大戦後の和鴻不況などを乗り越えたものの、ファシズム政権の誕生により第二次世界大戦で枢軸国側として太平洋戦争などに参戦。しかし戦局の悪化や本土空襲により国力が崩壊した。1945年8月6日に広島に原子爆弾が投下、9日には長崎にも投下された。8月15日にポツダム宣言を受け入れ終戦を迎えた。1945年8月26日、9日より千島列島から侵攻していたソビエト連邦軍は北海道全域を占領。そのまま軍が駐留し、1946年5月15日に「蝦夷社会主義共和国」として傀儡政権を樹立させた。その後南北日本としてそれぞれの道を歩んだが、蝦夷は内政が行き詰まり1990年6月にクーデターが勃発し、1991年1月に崩壊した。1991年6月12日、南北は統一し、新憲法が同日施行された。 先進国の一つとして数えられており、G7およびG20の参加国である。