●土方・左官・大工・鳶職の意味由来起源
◆土工 - Wikipedia   https://ja.wikipedia.org/wiki/土工
土工(どこう)
1.土木作業員及び建築作業員の通称で、建築工事及び土木工事の土工事や地業に関わる者に対して用いられる。本項で解説。
2.土工 (工種)は建築工事では地業、地形(じぎょう)とも表記するが、建設に関わる地均し、地固め又は基礎工事を指す。建設業ではこれらに杭工事を加える場合が多い。
土木工事において作業員は、必要に応じて、自身の職能・技能の他に異なる職種の技能を身につけた者である多能工と専門機械工に2極化しつつある。例えば給湯器の設置修理業者は、ガス工事、電気工事、水道工事のそれぞれの技術と施工資格を持つ者が多い。
この隙間を埋める形で雑役として土工が存在する。
建築においては、基礎工事、杭工事、擁壁工事及び間知石積工事等で土工が専門分業化している。間知石積とは石垣や城壁が元になり発達した崖や斜面の保護を目的とした石積技術。近年では石の代わりにコンクリートブロックを使用することが多い。また擁壁は間知石積に代わり一体となった壁で斜面や崖を覆う壁であるが、近年では主に鉄筋コンクリートで作られる。
・日本の歴史     https://ja.wikipedia.org/wiki/土工#日本の歴史
古くは天皇陵、遷都、治水、開発、開拓、戦闘における工作及び普請の城壁築造技術者等が土工の職域であり、土方と呼ばれた。インフラストラクチャーを築く上で、時代の変遷と需要により、現在の名称へと移り変わっていった。
 
◆精選版 日本国語大辞典の解説
〘名〙 土木工事などに従事する労働者。土工。
※露小袖(1890)〈大橋乙羽〉六「何の守何の掾様の若殿が、車力、土方(ドカタ)に落魄れ玉ふに」
姓氏の一つ。
 
◆土方(どかた)・ドカチン - 日本語俗語辞書
土方とは、土木作業員のこと。
『土方・ドカチン』の解説
土方とは道路工事や治水工事、建築における土木作業員のことである。ただし、土方は差別意識を伴って使われることが多く、土木作業員の中でも特に資格や技術を必要としない部署で働く人や日雇い労働者をイメージして使われることが多い。丸山明宏(現:美輪明宏)の代表曲『ヨイトマケの唄』の中に土方と歌われた部分があり、差別用語を使った曲として放送禁止に指定された一方、こうした差別用語としてわけることこそが差別ではないかという意見もある。
インターネットでは新撰組の副長『土方(ひじかた)歳三』と検索上の区別をするためにドカタとカタカナ表記されることが多い。 また、土方には嘲う意を込めた派生語『ドカチン』という表現もある。
 
◆「どかた」とは?意味や由来をご紹介
https://word-dictionary.jp/posts/1950
皆さんは「どかた」という言葉をご存知でしょうか。漢字では「土方」と書き、土木工事の作業員のことです。昔は土木・建築関係の職業がとても多かったのですが、最近はあまり聞かなくなったかもしれません。ここでは「どかた」の意味や由来などを、順に紹介していきます。
2019年03月06日
目次
    「どかた」の意味
    「どかた」の由来
    「どかた」の他の土木・建築関係の職業
    「どかた」と「土方」姓
「どかた」は漢字で「土方」と書き、土木工事に従事する労働者・作業員のことです。現在「どかた」と呼ばれる労働者の業務内容は、建築現場での人力での下準備や資材運搬といったものがもっとも多いようです。
ただし「職人」の補佐として見習い中の人を「どかた」と呼ぶこともありますが、上下関係から差別用語とされることもあります。
 
◆左官(さかん)の意味・語源・由来
【意味】
左官とは、壁を塗る職人。かべぬり。壁大工。泥工(でいこう)。しゃかん。
【左官の語源・由来】
左官は、平安時代に宮殿の建築や宮中を修理する職人を「木工寮の属(さかん)」と言い、壁塗り職人を木工属に任命して出入りを許可していたことから、「さかん」と呼ぶようになった。
属(さかん)は、律令制で各官庁の階級を「かみ」「すけ」「じょう」「さかん」と構成した四等官のひとつである。
漢字の「左官」は当て字で、古くは「沙官」「沙翫」と表記されていた。
「左官」を「しゃかん」と発音するのは「さかん」の訛りであるが、「沙」の字が当てられていたことから、単なる訛りではないとも考えられる。
 
◆左官の歴史・語源や由来・左官の仕事について
https://www.bisyou.jp/blog/category1/118235    2019/12/01
建物の外壁塗装において、その味わい深い仕上がりから近年見直されてきている左官工事ですが、そもそも「左官」という言葉を聞いたことがない方も多くいらっしゃるかと思います。
左官には長い歴史があり、時代とともにその技術力を発展させてきました。
そこで今回は、左官の歴史や語源に触れながら、その魅力をご紹介したいと思います。
■縄文時代から存在した「左官」
左官の起源は、古くは縄文時代にまで遡るといわれています。縄文時代では主に竪穴式住居で生活していましたが、その壁の材料となる土を積み上げて土塀を作っていたことが、左官の始まりとなっています。その後の飛鳥時代では、石灰を使用して白塗りの壁の仕上げる技術や細木を使用して壁を作る技術などが生み出され、左官はどんどん発展していきました。
 
◆『大工職人の由来』
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1014481955
「大工」というのが、職業の呼び名として愛着を持って呼ばれ親しまれるようになったのは、江戸時代後期になってからのことです。
大工という語は、「大匠」と書いて 「おおたくみ」と呼ばれた官職名である。
と7世紀の資料にあるのを見ても、その語源は木工技術の渡来した、漢の時代にさかのぼり、知ることが出来るようです。律令の制定により国家の建設業を担当した役所は、木工寮というところでした。
その役所の担当した技術職の職制は、
大工(おおきたくみ)、
少工(すないたくみ・すくなたくみ)、
長上工(ちょうじょうこう)、
番上工(ばんじょうこう)の4職課に分かれており、
行政事務官の役付は、
頭(かしら)、
助(すけ)、
充(じょう)、
属(さかん)の4等級から成っており
大工、少工は各一人づつの担当次官の関係であったようです。
長官と次官は常に役所にいて設計などに従事して現場も管理していたようです。左官の語源
奈良時代の律令制度下において、建築仕事を司る木工寮に属〔さかん〕という役職がありました。
この属の役人が宮中の修理に壁塗りをしていたことが現在の左官の語源だと言われています。
http://iroha-japan.net/iroha/B07_work/03_sakan.html
左官の語源
これは、律令制度が敷かれていた時代の官位の一つなのです。
律令制度には、四等官制度が敷かれており、
トップが『長官かみ』、
以下『次官すけ』、
『判官じょう』
そして最下位が『佐官さかん』でした。
佐官とは、『官を佐たすける』という意味で、当時は各役所によって様々な字を当てていました。
そのなかで、宮中の修理の時の壁塗り職人を木工寮(現在の国土交通省のようなもの)の『左官』に任じ、出入りを許可したのがその名の由来です。
つまり、『左官』は立派な官位の名と言うわけですが、これがいつしか職業名に転じ、
現在に至っているのです。
http://www.za.ztv.ne.jp/vgv7ynpq/homepage/zatugaku/zatugaku-list/sakan.html
・左官の語源・由来
http://gogen-allguide.com/sa/sakan.html
 
◆ 『左利き(ひだりきき)』の意味   日本語俗語辞書
http://zokugo-dict.com/27hi/hidarikiki.htm
左利きとは、酒飲みのこと。
【年代】 江戸時代   【種類】 -
『左利き』の解説
左利きとは酒飲みを意味する。これは大工や石職人らが使う鑿(ノミ)からきたもので、“鑿”と“飲み”を掛けた掛詞である。多くの職人は左手に鑿を、右手に槌(つち=ハンマー)を持つが、ここから右手を槌手、左手を鑿手という。つまり飲み手=鑿手=左利きということで酒飲みを意味する。これはもともと職人言葉だったが、佐渡金山で金の採掘が始まった江戸初期、これによる景気のよさから、繁華街で金山言葉が流行り、一般にも浸透したとされている。なお、酒飲みを指す俗語の多くが、たちの悪い酒飲みや大酒飲みといった意味で使うのに対し、左利きは特にそうしたマイナスイメージの言葉ではない。
 
◆鳶職(とびしょく) - 語源由来辞典
【意味】
鳶職とは、土木・建築工事の人夫。また、その職業。とび職。とび。鳶の者。
【鳶職の語源・由来】
鳶職の呼称は、鳥のトビが優雅に飛ぶように動き回るところからではない。
鳶職は、彼らが持っている「鳶口(とびぐち)」という道具の名前に由来する。
鳶口とは、トビの口ばしに似た鉄製の鋭い鉤(かぎ)を先端に付けた長い棒で、木を引き寄せたり、消火作業に用いられる道具である。
鳶職は、江戸時代には「鳶の者」と呼ばれ、その技能から、火事の際には火元や風下の家を解体して延焼を防ぐ、町火消し人足も兼ねていた。
また、トビが「とんび」と呼ばれるように、鳶の者は「とんび」とも呼ばれた。
 
◆ 『雪隠大工(せっちんだいく)』の意味   日本語俗語辞書 
http://zokugo-dict.com/14se/sechin-daiku.htm
雪隠大工とは、下手な大工のこと。
『雪隠大工』の解説
雪隠大工とは雪隠しか造れない大工を意味する。ちなみに雪隠とは便所の別称のひとつである。つまり、雪隠大工はトイレを造らせる以外に使い道のない大工を意味し、下手な大工を嘲う言葉である。
 
◆鳶職とは? 語源や種類、仕事内容などを紹介! | 足場工事 ...
http://takenouchigumi.jp/blog/16838
■「鳶職」の語源とは
建築現場において高所で作業をしている職人を「鳶職人」といいます。
名前の由来に関しては「高いところで仕事をしている=鳥類の鳶」と誤解されがちです。
しかし江戸時代の職人が使っていた「鳶口」という道具が語源になっています。
江戸時代から続く伝統ある職業です。
ちなみに江戸時代の鳶職人は火消し(今の消防士)も兼任していました。
「火事と喧嘩は江戸の華」といわれるほど江戸の町では火事が多かった。
しかし今のように放水で消す手法は発達しておらず、当時は隣家を壊すことで延焼を防いでいたのです。
鳶職人は「建築のスペシャリスト」として、棒状の鳶口を器用に使いながら、建物を解体し火事を収めていました。
 
◆鳶職 - Wikipedia    https://ja.wikipedia.org/wiki/鳶職
鳶職(とびしょく)(曳き屋、遣り方と同じ)とは、一般的に日本の建設業において、高所での作業を専門とする職人を指す。
鳶、鳶の者、鳶工とも言う。町場では基礎工事、簡単な間知石積など、地業も行う。
このため「鳶、土工(土方)」と一括りで呼ばれる。鳶の画数が多いことからしばしば弋と略される。
作業の種類や職業などによって「足場鳶」「重量鳶」「鉄骨鳶」「橋梁鳶」「機械鳶」など多岐に渡りそれらを総合的もしくは専門に行う者がいる。
建築現場では、高所を華麗に動き回る事から「現場の華」とも称される。
 
◆文化、芸能   https://ja.wikipedia.org/wiki/鳶職#文化、芸能
ほとんどの老舗の鳶職は神社の氏子であり神託を受ける者として神の依り代であるともいえる。
・芸能
・・木遣り(きやり)、木を遣り渡す、回す(運ぶ、動かす)という意味、町火消に唄われる唄(作業唄)を唄うこと。
・寺社や家などを建築すること自体が慶事であったことからおめでたい唄として唄われるようになった。江戸の中期頃には鳶職人の間で盛んに唄われていた、町火消が鳶職人を中心に組織されたため、木遣り唄も自然と町火消の中に溶け込み受け継がれていった(木遣り唄を唄う場合は、音頭をとる木遣師と、受声を出す木遣師が交互に唄う)。
・今では神道式の結婚式、地鎮祭、棟上、竣工式によく唄われ、無病息災、家内安全、商売繁盛をもたらす力(神通力)があるといわれる。
・・獅子舞や梯子乗り、纏舞い(まといまい)の伝統芸能であり御利益も神楽や町火消が職業として公的にない今、主に鳶職が伝承している。
・縁起物
・・祭礼時に祭、縁日、市(酉の市、だるま市、羽子板市、朝顔市)の境内、参道、門前町などで寺社との取り交わしにより神託を受け(熊手、達磨、羽子板、朝顔)などを売る(的屋と同じ)ものも多い。
・・正月のお飾り、門松の作成、販売も鳶職もしくは、植木屋、農家、が鳶職と兼業している者が行っていることが多い。
・日本各地の祭と鳶職
・・長野県の御柱祭(諏訪の木落とし)でも御神木の先端で木遣りを唄うのは祖先が鳶職であった者が世襲している。
・・大阪の岸和田だんじり祭の大工方(だんじりの上で舞う花形)というのは、大工方衆で町鳶、町大工を指す。また、だんじりを曲がり角で方向転換をすることを「やりまわし」という。
補足
・大相撲、歌舞伎、落語協会、花柳界と同じ伝統芸能を担う者としての繋がりも強く、襲名の時は華を添えるためによく招かれる。
・祭礼時の縁起物や互助活動の手間に対する対価は謝意であり、祝儀不祝儀であり代金ではない。
・本業以外での文化的価値と多能工(色々な職能を持つ)であることから町鳶、町大工と並び称された。
 
◆宮大工    https://ja.wikipedia.org/wiki/大工#宮大工
概要
宮大工(みやだいく)は、神社・仏閣の建造などを行う大工。堂宮大工とも、宮番匠とも言われる。釘を使わずに接木を行う(引き手・継ぎ手)など、伝統的な技法を伝える。寺社を「お宮さん」と言っていたので宮大工という。
寺社大工(宮大工と同じ)は主に木造軸組構法(ただしこの枠組から外れる構造物もある)で寺社を造る大工。江戸時代に町奉行、寺社奉行という行政上の自治の管轄が違ったため町大工と区別される。いまでも宮大工といわず寺社大工という地域もある。ただし郊外など二つの管轄から外れる地域では明確な区別がないともいえる。このことから現代でも寺社大工と町大工を兼ねる工務店も多い。また郊外という空間上の制限がない場所柄と農家の顧客が主なこともあり町場と違い大断面の木材と基本となる間尺(モジュール)も比較的大きく、仕口や材料も奢ったものも多く寺社建築に近かったことも要因である。都市部近郊では未だに築300年程の農家も多く存在する。