●世界の歴史はこんなに卑怯なもの ●氷雪の門
◆真岡郵便電信局事件 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/真岡郵便電信局事件
真岡郵便電信局事件(もおかゆうびんでんしんきょくじけん)とは、太平洋戦争末期の樺太の戦いで、真岡郵便局の電話交換手が集団自決した事件である。当時日本領だった樺太では、ソ連軍と日本軍の戦闘が、1945年8月15日の玉音放送後も続いていた。真岡郵便局の電話交換手(当時の郵便局では電信電話も管轄していた)は、疎開(引き揚げ)をせずに業務中だった。8月20日に真岡にソ連軍が上陸すると、勤務中の女性電話交換手12名のうち10名が局内で自決を図り、9名が死亡した。真岡郵便局事件、また北のひめゆり(事件)とも呼ばれる。
自決した電話交換手以外に残留していた局員や、当日勤務に就いていなかった職員からも、ソ連兵による爆殺、射殺による死者が出ており、真岡局の殉職者は19人にのぼる。
 
◆自決した樺太 真岡郵便局の女性たち 同僚の記憶|戦跡 戦後75 ...
https://www3.nhk.or.jp/news/special/senseki/article_12.html
(2018年8月15日 稚内支局 芋野達郎記者)
「その場にいたら、自分も自決していた」
終戦直後の樺太で、ソビエト軍の侵攻の状況を電話で伝え続けた後、自ら命を絶った真岡郵便局9人の電話交換手を知る同僚が、思い出を絵に描きました。
 
◆真岡郵便電信局事件で散った哀しき乙女たち~ソ連軍侵攻を前に悲劇の自決
https://bushoojapan.com/jphistory/kingendai/2020/08/20/57218
2020/08/20
昭和二十年(1945年)8月20日は、真岡郵便電信局事件が発生した日です。
映画『樺太1945年夏 氷雪の門』やドラマ『霧の火 樺太・真岡郵便局に散った九人の乙女たち』などで扱われて多少知名度が上がりましたが、生存者への配慮等からいくらかの脚色がなされています。
 
◆氷雪の門 樺太1945年夏
1,770 回視聴 2020/10/10 https://youtu.be/eo10SjLq_lc
サタンの足の爪の垢
チャンネル登録者数 19人
日本の終戦間際、北の卑しい国家「ソヴィエト」は「日ソ中立条約」を一方的に破棄し、南樺太・千島列島に攻撃を仕掛けてきた。
日本は敗戦を迎えたが、北の卑しい国家ソヴィエトは侵略し続けてくる。
大本営からの指令は「積極的に迎撃に出て、越境すべからず」。日本軍は解除した武装を再装備して、「自衛のために」戦うが、8月18日に武装解除。
その当日、千島列島の最北端「占守島」では「士魂部隊」徹底抗戦していた。池田隊長は、2次攻撃の前に戦車陣を集結させ、戦いを止めるか、戦いを続けるかの問いかけをしています。
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「我々は終戦の大詔を奉じ、家郷に帰る日を胸にひたすら終戦業務に努めてきた。しかし、事ここに至った。もはや降魔の剣を振るう他ない。皆にあえて問う。赤穂浪士となって将来に仇を報ずるか。あるいは、白虎隊となり玉砕をもって民族の防波堤となり後世の歴史に問わんとするか。赤穂浪士たらん者は前に出よ、白虎隊たらん者は手を挙げよ」。
その問いかけに、全隊員が「おう!」と拳を突き上げて答えました。■士魂部隊は、大本営の命令に逆らい、戦いを続けることを選択したのです。
占守島での、「命令違反の戦闘」が有ったからこそ、ソヴィエト軍は北海道まで進行することが出来ず、北海道が占領されることは無かったのです。
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ようやく、本論に入るが、当時の情報は電話交換手によるリレー操作です。真岡郵便局の電話交換手は軍部の指令も連絡する最先端の重大な先端業務でした。
自分たちの重要性を認識し、最後まで残った9人の女性がソヴィエト兵に強姦・虐殺される前に、青酸カリで自害したという物語です。
ソヴィエト兵(パルチザン)の残虐さは尼港事件での日本人全員皆殺しが知られています。
娼婦などは銃剣で心臓を突かれて殺され、生き残った女性や子供も監禁されたのち、アムール川に連れていかれて殺され、穴に放り込まれた。赤ん坊も殺しはしなかったが、生き埋めにされた。もちろん、略奪行為も主目的です。
この映画は1974年に公開の予定でしたが、ソヴィエトが公開されないように日本の映画会社に圧力がかけられた作品だそうです。
そのため、幻の作品とも言われております。
負ける戦争にならないために、負ける戦争をしないために。
本作で考えなければならないのは、国土が戦場になることが、どれだけ深刻な被害を生むのか!です。
専守防衛なんて、「自国の領土を戦場として献上する」のと同じ意味です。それだけで負け戦確定です。
今の日本は核武装してはならないという「敗戦するための状況」から抜け出すことが出来ません。
最低でも「敵対国と同等の戦力を有すること」。それが抑止力の正しい考え方なのです。
 
◆北のひめゆり事件と九人の乙女 – 北海道ファンマガジン
https://hokkaidofan.com/maoka19450820/
沖縄の悲劇「ひめゆり」に対して「北のひめゆり」。稚内市稚内公園にはこの事件に関した碑があります。「皆さん、これが最後です。さようなら、さようなら」。これは「九人の乙女の碑」に刻まれた言葉で、近くで有名な「氷雪の門」が、樺太を背景にたたずんでいます。この事件は通常「真岡郵便電信局事件」と呼ばれていますが、どんな事件だったのでしょう。
もくじ
1.終戦後のソ連軍 真岡侵攻
2.真岡郵便局での悲劇
3.映画化・ドラマ化

●服毒自殺した9人の乙女
・高石ミキ(24) 主事補・班長、青酸カリ所有、最初に自殺
・可香谷シゲ(23) 主事補・班長代理、青酸カリ所有、続いて自殺
・志賀晴代(22) 非番だったが緊急連絡により同日早朝から勤務
・吉田八重子(21)
・高城淑子(19)
・沢田キミ(18)
・渡辺照(17) 他局に自殺連絡し自殺
・松橋みどり(17) 自殺連絡終了前に自殺
・伊藤千枝(22) 自殺連絡後、最後に自殺
●生存した3人の乙女
・境サツエ 最年少、1階男性職員に救助される
・川島キミ子 最年少、同上
・岡田恵美子 別の日本人に救助される
 
◆真岡事件――何故彼女らは死ななければならなかったか   2009/09/23
https://blog.goo.ne.jp/gb3616125/e/ac3400e6d8609a2b39f259bce1dd4966
 終戦直後、樺太の真岡(まおか)町で、ソ連軍が侵攻する中、電話交換手の女性9名が集団自決する事件が起こった。一般に真岡事件と呼ばれる(ウィキペディアでは「真岡郵便電信局事件」とされている)。
 私がこの事件を知ったのは、それほど古いことではない。おそらく、1996年に産経新聞で連載していた「教科書が教えない歴史」で初めて知ったのではないかと思う。
 現在産経新聞社から刊行されている『教科書が教えない歴史(普及版)』(以前刊行されていたハードカバー版をペーパーバックにした廉価版)で確認すると、2巻(2005年刊)に収録されていた。
 
◆ソ連南下と真岡郵便電信局事件 | 何かおかしいよね、今の日本。
https://ameblo.jp/yamatogusa/entry-11986944042.html   2020/08/16
北方領土返還のために~高校生がつなぐ 元島民69年前の記憶
動画はこちらからどうぞ
http://nettv.gov-online.go.jp/prg/prg10846.html
真岡郵便電信局事件(まおかゆうびんでんしんきょくじけん)というのは、昭和20年8月20日、すでに終戦の詔勅も発せられ、日本が戦闘を終結させていたはずのこの日に、日本領であった南樺太にソ連軍が侵攻してきたことによって、最後まで本土との通信回線保持のために職務をまっとうした女史電信職員9名が集団自決した事件です。
 
◆日本の暦    19 août 2014
真岡郵便電信局事件
https://fr-fr.facebook.com/116645788508771/posts/320074718165876/
1945年、ソ連軍による、真岡郵便電信局事件が起きました。
真岡郵便電信局事件とは樺太真岡郡真岡町に、ソ連軍が艦砲射撃を行って侵攻した際、真岡郵便局電話交換手、(当時の郵便局では電信電話も管轄していた)の女性12名のうち9名が自殺(自決)し3名が生還した事件です。
注目すべきは、その日付です。
日本が敗戦したのは8月15日、真岡郵便電信局事件が起きたのは8月20日。つまり戦争が終わってからソ連は侵攻してきたのです。