●古史古伝
★第4講:古代日本の知恵袋,渡来氏族「秦氏」の摩訶不思議
http://tinyurl.com/4zy3byu #itprojp 色んなモノが存在する日本とは不思議な国。
2009.04.28 東京農工大学大学院技術経営研究科教授 松下博宣 Twitterから
コメント
かっしい@元mod
大本神諭や日月神示などで日本は世界のひな形と呼ばれていますから、素晴らしい国であると共に、世界にとって重要な国であるでしょうね!

★修験道(しゅげんどう)http://ja.wikipedia.org/wiki/修験道
山へ籠もって厳しい修行を行う事により、悟りを得る事を目的とする

★役 小角(えん の おづの /おづぬ /おつの)
http://ja.wikipedia.org/wiki/役小角
飛鳥時代から奈良時代の呪術者である。姓は君。
役 小角(えん の おづぬ / おづの / おつの、舒明天皇6年(634年)伝 - 大宝元年6月7日(701年7月16日)伝)
飛鳥時代の呪術者。役行者(えんのぎょうじゃ)、役優婆塞(えんのうばそく)といった呼び名でも広く知られている。
姓は君。
幼名 小角、金杵麿(こんじょまろ)
諡号 神變大菩薩
尊称 役行者、役優婆塞(えんの うばそく)
日本独自の山岳信仰である修験道の開祖とされている。
実在の人物だが、伝えられる人物像は後世の伝説によるところが大きい。前鬼と後鬼を弟子にしたといわれる。天河大弁財天社や大峯山龍泉寺など多くの修験道の霊場に、役行者を開祖としていたり、修行の地としたという伝承がある。

★地球世界感謝マンダラ・光明思想マンダラの作成方法   白光真宏会
https://byakko.or.jp/wp-content/uploads/2013/12/mandl_howto.pdf
目 次
「地球世界感謝マンダラ」と「光明思想マンダラ」について  ....2
はじめに..................................................4
用意するもの・マンダラの書き方............................5
書きかたの図解............................................6
完成しましたら............................................9
言葉の参考例............................................10

★白光真宏会 - BYAKKO - 公式ホームページ
https://byakko.or.jp/method/mandala/
マンダラQ&A.PDF
https://byakko.or.jp/wp-content/uploads/2013/12/mandala_QA.pdf
宇宙神(うちゅうしん)マンダラ
「我即神也(われそくかみなり)・人類即神也(じんるいそくかみなり)」
宇宙神マンダラには、「我即神也」と、「人類即神也」と謹書する2種類があります。このマンダラを描くことによって、自らの神性に目覚め、また人類に真理の目覚めを促してゆきます。

★5次元に移行すると起きてくる事とは?あなたも既に次元上昇しているカモ!?
66,964 回視聴 2020/10/14 https://youtu.be/i6BEcpzOz2w
スピリチュアルNORI
チャンネル登録者数 7.05万人
今日は「あなたも既に次元上昇しているカモ!?」というお題で〜
次元上昇や2極化について、わたしの見解をお話をします(*´∀`*)ノ

★カタカムナ | 木の花ファミリーホームページ    2019/06/03
http://konohana-family.org/katakamuna/
カタカムナは、今から約13000年前の上古代の東アジア一帯、特に日本(当時は日本列島がまだ大陸と陸続きだった)で高度に発達したといわれる、言霊を元にした宇宙物理学のことです。

★三十六句(相似象学会誌第5号より) - livedoor Blog     2012/09/05
http://blog.livedoor.jp/k12345kk-12345678910/archives/16428548.html
第五章 アマウツシミチ(健康保持の法)
第三十三句
カムナガラ  ヲスヒナリウケ
カムミマギ  カムミイヤマヒ
イツキノリ  アマウツシミチ
イヤミソギ
 第五章は、前章のヲスヒナリのサトリをうけ、健康を保持する上に基本となる「アマウツシミチ」をとりあげて居る。
カタカムナの解説

★糸満市・摩文仁ハンタ原遺跡 縄文人の高身長(169cmと164cm)の人骨2体を確認     2011/08/31
https://blog.goo.ne.jp/thetaoh/e/1c7020dc2590e45cd72596bac3e81812
土井ヶ浜遺跡・人類学ミュージアム(下関市)松下孝幸名誉館長(形質人類学)の調査で、糸満市の摩文仁(まぶに)ハンタ原遺跡で見つかった縄文時代後期(約4千~3千年前)の人骨85体分の中から、国内最大級となる成人男性右前腕部の尺骨(最大約28cm、中央回り約6cm)1体分が含まれていたことが分かった。
この1体は尺骨から身長約169cmと推定され、当時の男性平均身長158cmと比べ、かなりの高身長となる。

★沖縄の祭りの中でも特色ある結願祭…    2009年10月08日 不連続線
https://www.y-mainichi.co.jp/news/14591
沖縄の祭りの中でも特色ある結願祭(キチィガン)が各地で催されている。神への感謝と豊穣を願って奉納される数々の芸能を見るため、地元以外の見物人も大勢押しかけてくる
▼沖縄の祭りの中心である御嶽は、かつてはうっそうとしていて、おそれを感じさせる雰囲気がほとんどであった。近年は拝殿の改築や台風による倒木などでずいぶん明るくなったり、なかば公園化しているところもある
▼御嶽は沖縄の信仰の基層を形成してきた。ただ、その発生、日本の神道や神社との関係などについてはまだ不明な点が多い。こうした状況に大きな一石を投じると思われる研究書が最近出た。岡谷公二著『原始の神社をもとめて 日本・琉球・済州島』(平凡社新書)である
▼御嶽を日本人の精神の原点と考える岡谷さんは50年近くにわたり、八重山をはじめ沖縄各地の御嶽を長い間研究してきた。『神の森 森の神』『南の精神誌』などはその成果だ
▼岡谷さんはその後、韓国・済州島の堂(タン)と呼ばれる沖縄の御嶽に似た聖地の写真に出会う。そこから「聖なる森」を探求する旅が再開され、日本の神社、沖縄の御嶽と済州島の堂との関係が明らかにされる
▼古代における日本・沖縄・済州島の歴史的関係も浮かび上がるなど、実にドラマチックな内容の本である。(砂川哲雄)

★沖縄の海底遺跡(1) 沖縄本島の南西にある与那国島の遺跡について
http://www.okinawainfo.net/iseki.htm
与那国、数年前からちょっと有名になっています。
なぜかといえば、すぐそばの海底に人間が手を加えて作ったとおぼしき遺跡が発見されたからです。
その 規模はかなり大きく、直角の石組や通路どが点在するもので、遺跡ポイントとしてダイバーにも有名になっています。

★0の概念  宇宙   14・1・28
http://t.co/CSznhdj  Twitterから
今朝の霊夢は、何も現象は無いのだが、ただ明るいエネルギーが満ちている状態の中に、自分の意識が在る事を観じていた。
何も無い事と、エネルギーが満ちている事が、同一とは、説明が適確でない事は充分承知の上である。しかし、其れより他に、謂い様が見つからないので、仕方が無いのである。

★私と日継神示  2002/2/27
http://t.co/vqFcnGU  Twitterから
私が、無庵師匠に捜されて、三ヶ月間の「マクロビオティック」の修行後、安房川の岸辺で禊ぎ祓いを受けて「神惟らの道」に入ったのは、1984年(S59年)6月4日(旧暦5月5日)であった。
「天津日継・あまつひつぎ」は、旧暦の日付の方が、神のリズムに適っているのだろうか。

★2001/8/21「分岐点に立つ」  神様からの伝言板
http://star.ap.teacup.com/170606/422.html
今朝の霊夢には、「分岐点に立つ」と出て、次に「手造り佛 唯一」と出て来た。其の意味は、「時代は 分岐点に来て 其処に立つ 唯一の手造りの佛」と言う事だろうか。
岡山市玉島出身の「岡本天明氏」に、千葉県の麻賀多神社の境内に有る、「天之日津久神社」で降りた「日月神示」には、次の様に有る。

★事象(とき)の切り替え  未来創造
http://green.ap.teacup.com/20060818/1099.html
今朝は5時15分に是までの時間(とき)が閉じられ、5時22分に新しい時間(とき)が開いた。 其れは、旧約聖書に「神は6日間で此の世界を創造し 7日目に休んだ」と記されている事と関係が有り、是までの「事象・時空・とき」が閉じられて、新しい事象が始まる理・ことが知らされて来たモノの様である。 其の時間の「扉・まく」は、カメラのシャッターの様な物であり、其れは人間の瞼の仕組みと同じで、閉じている時は「月読界」で、開くと「天照界」であると言う事である。2016年6月6日
「十三のナガスネの妻は土師氏」  未来創造
今朝のメッセージの映像は、食物を食べる順番が、逆に成るのが映されて来た。
其の映像は、赤ちゃんの時から、大人に成って行く時の食べ物の変化と、年取って死んで行く時までの、食べ物の変化を現す為に、食卓に食べ物が並べられており、中心から左右の順番が逆に並んでいた。

★【保存版】神社でよく唱える祝詞一覧と神様と繋がる古神道の秘技|祝詞の基礎知識
https://pentacles1.com/norito/     2020/11/20
古来より伝承されてきた祝詞(のりと)には現実や未来を変える力があります。
神社でご祈祷を受ける際は神職の方が祝詞を奏上(そうじょう)し、私たちの願い事を神様に届けてくれますが、自分自身でも日頃から祝詞を唱えると「神様と繋がる+願い事の引き寄せ」ができます。
奏上(そうじょう)とは
神様に申し上げること。
祝詞を唱えることは願望実現の奥義です。
ご紹介している
・祓詞(はらえことば)
・大祓詞(おおはらえことば)
・ひふみ祝詞
・龍神祝詞(りゅうじんのりと)
・鳥居之祓(とりいのはらえ)
・略祓詞(りゃくはらえことば)
・略拝詞(りゃくはいし)
はPDFでダウンロードできるのでぜひ参考にしてみてください。
目次
神社でよく唱える祝詞一覧
1.①祓詞
2.②大祓詞
3.③ひふみ祝詞
4.④龍神祝詞
5.⑤鳥居之祓
6.⑥略祓詞
7. ⑦略拝詞
・祝詞を唱える時の古神道の秘技
・祝詞を唱える時の作法
・祝詞とは
1.祝詞に宿る言霊
2.祝詞の起源
3.祝詞の形式



コメント
☆ぁぃ★
ひふみ祝詞 には ゆらぎがでて 気持ちが良いんです。
かっしい@元mod
毎日唱えてさせて頂いております。

★Giants of the old World
https://youtu.be/j-61FdeOxNg
これは何かな。誰か説明して。
コメント
0921yamato
巨大生物や人の存在したという番組ではないですか?
風の翼
いやぁ、面白くって食い言って見ちゃいましたよ☆巨人の痕跡を辿るドキュメント……アメリカは聖書の国だから、聖書に記述された【巨人】って身近なんでしょうね。実際は大気圧の影響などで、過去の生物はみな今よりも巨大だったらしいですが……。

★Is it possible to be a giant human? | Size Matters - BBC
https://youtu.be/h_ZDlJ61erY
これは本物か
コメント
036
微妙です。

★Real Proof That Giants Exist
https://youtu.be/5bCU1RcnDNg
こんなインチキ

★    トマト
携帯からでは、秦氏の記事の先が読めません泣き顔読みたい!秦氏の本も、持ってるけど、新しく読みたいです涙涙 話し変わりますが、韓国のドラマに『鉄の男キムスロ』 とあります。私の大好きなチソンが出てますが、鍛冶と王の話が出てきます。時代も、新羅になる前ぐらいの時代です。チュモンの後ぐらいかな…? 韓流好きな人しか分からないかな?ウッシッシ

★    志葉楽(シバラク)
        余り知らないので判りません。
        楽しんで貰えれば良かったと思います。
        秦氏の記事見えなくて済みません。
        携帯は電話の受け答えしかしないので知らなかった。
        ここに書くわけにも行かないかな。
        一度試してみます。
        ありがとう
    志葉楽(シバラク)
        第4講:古代日本の知恵袋、渡来氏族「秦氏」の摩訶不思議

        東京農工大学大学院技術経営研究科教授  松下博宣
 前回に続き、厩戸皇子(聖徳太子)の時代までさかのぼって、歴史をひもときつつ、そこから様々なインテリジェンス活動、すなわち、「個人、企業、国家の方針、意思決定、将来に影響を及ぼす多様なデータ、情報、知識を収集、分析、管理し、活用する」活動を読みとってみたい。
厩戸皇子の知恵袋的存在として、秦河勝(はたのかわかつ)をとりあげる。秦氏一族の動きには古代のインテリジェンス活動が凝縮されているからだ。秦氏はユーラシア大陸のかなり奥まった地域の出身で、朝鮮半島を経由してやってきた渡来系氏族である。秦氏は6世紀頃から断続的に朝鮮半島を経由して日本列島の倭国へ渡来してきた。鉱山技術、鍛冶技術、養蚕、機織、酒造などの最先端テクノロジーを倭国に伝播させた氏族だ。
秦河勝は、その際立った技術経営力、人材機動力、財力、国際的知識を駆使し、厩戸皇子のブレーンとして大活躍した。厩戸皇子は、当時の微妙な外交、地政学的ニュアンスを熟知していた秦河勝から、儒教、仏教のみならず中東系諸宗教、律令制といった当時の知のワールド・スタンダードのみならず、国際政治、通商、パワーポリティクスの機微を徹底的に学んだのである。
        秦氏と八幡神社の関係
秦氏は、九州北部の宇佐八幡神社がある地域を拠点にして、山城(現在の京都)さらには全国に広がっていった。秦氏に関する史料は全国に散らばっているが、特に、九州北部の宇佐地域や、山城地方に多くの史料が残されている。例えば山城地方にある太秦(うずまさ)がその名のとおり秦氏の一大拠点だった。
八幡神社といえば、稲荷とならんで日本でもっとも馴染みの深い神社の一つだ。はちまんさま、やはたさまを祀る八幡社、八幡宮、若宮神社などを含めると、全国津々浦々、街中、田舎を含めてその数は全国で1万4800社(神社庁公表)となる。読者の皆様も近所を見渡せば、どこか近くに八幡様が鎮座しているのではないだろうか。その八幡神社は、もともとは秦氏のカミさまを祀る神社である。そのカミさまがどこから来たのか、なにものなのか、についてミステリーがある。
秦氏は新羅を経て渡来したとされる。これについては、いくつか根拠がある。秦氏が多く住んでいたとされる地域から発掘された瓦は新羅系のものが圧倒的に多い。また秦氏の氏寺、「広隆寺」にある国宝第一号の「弥勒菩薩半迦思惟像」は、朝鮮半島の新羅地区で出土した弥勒菩薩半迦思惟像に酷似している。しかも広隆寺の仏像の材料である赤松は、新羅領域の赤松であることが判明している。
        秦一族は古代の技術経営スーパーエリート
秦氏が得意とした鍛冶とは、木、火、土、水、金を制御するテクノロジーであり、古代日本にとっては奇跡にも近いワザだった。ちなみに、木、火、土、水、金(もっかどすいきん)の五行をもって宇宙の構成要素とする。土着人から見れば、鍛冶とは自然をあやつり、そこから光り輝く銅や鉄を生み出す神秘の所業でもあった。

         九州北部・近畿の銅山とその麓に展開された銅を生産する場のマネジメントは、秦氏および関連の一族によってなされたものと考えられる。火と日を知るものをヒジリ(聖)という。火を制御する鳥が鍛冶シャーマンのシンボルであり、秦氏の場合、神の鳥のシンボルは「鷹」だった。

         秦氏は、鍛冶の技術をよく営み、金属器をよく鋳造したので、必然的にシャーマン的色彩を帯びている。古代において技術者は祭祀者でもあった。つまり、ものづくりとは、自然に働きかけ、そこから神秘に満ちたモノやコトを生み出す神聖な所作であった。ものづくりの原風景が秦氏界隈には沢山ある。

         秦氏は日本に養蚕、機織の技術をもたらした一族でもある。ハタは機に通じている。蚕を飼い、その蚕がつくる繭から生糸を紡ぎだし、あでやかな絹織物に仕立て上げる。艶やかに絹で織られた着物を着る人々は羨望の目で眺められたことであろう。ちなみにサンスクリットでハタは「絹の布」をさす。
        コメント
    志葉楽(シバラク)
        秦氏のハタは畑作にも通じている
         秦氏のハタは畑作にも通じている。秦氏によって、養蚕に加え、先進的な開墾技術、畑作技術、土木技術が導入された。平安京遷都の際に、山瀬の国あたりに領地を持っていた秦氏は、新都計画、建設にあたり、桓武天皇の政権に莫大な貢献をしている。都市計画、古代のシビル・エンジニアリングに通暁し、財力豊富な秦氏がいなければ平安京もありえなかった。周知の通り、平安京は長安を模してデザインされた。その都市計画のグランドデザインにおいても、秦氏は決定的に重要な役割を果たしている。

         秦氏のハタは旗にも通じている。古来、多数の「秦氏」が住む場所には、一族の目印として旗(秦)を立てる習慣があった。日本人は現在でも旗を掲げたり、振ったりするのが大好きだ。八幡さまには今でもよく旗が立っている。

         秦氏一族は蘇我氏や物部氏のように政治権力を掌握する意図は無かったようだ。あくまでも、時の勢力に反抗することなく、むしろ柔軟に対応しリアリストとして生きるという姿勢をとった。圧倒的な技術、技術経営力を保持する集団は、権力から重宝されるのが世の常だ。さらに秦氏は、時の勢力に柔軟に対応するために高度なインテリジェンスを駆使したと思われる。


        秦氏周辺の奇説珍説

         秦氏の周りには神秘の香があり、その周辺には奇説や珍説が生まれている。その一つが、秦氏はユダヤ人景教徒であったというものだ。

         景教とは、原始キリスト教の流れをくむ東方キリスト教のひとつである。その研究者で早稲田大学名誉教授、東京文理科大学学長を歴任した歴史民俗学者・言語学者の佐伯好郎博士(1871-1965)は、「秦氏は『資治通鑑』(11世紀の中国の史書)に出てくる弓月王国の末裔であり、その秦氏が古代日本に初期のキリスト教をもたらした」と主張した。

         佐伯は私見として、うづまさ(太秦)、すなわち秦氏の拠点について次のように述べる。


         「うづ」は“Ishu”即ち“Jesus”又、「まさ」は“Messiah”の転訛語に外ならぬものである。それは、アラマイク語及びセミチック語の“イエス・メシア”Jesus the messiah の転訛語に外ならぬ。


         ユダヤ教のラビ(教師)、マーヴィン・トケイヤー氏(1936-)も、「秦氏ユダヤ人景教徒」説を支持している。トケイヤー氏は、以下をその根拠としてあげている。

        ・モリヤ山でのアブラハムによるイサク奉献に酷似した祭
        「御頭祭(おんとうさい)」が信州の諏訪大社に古来伝わっている
        ・イスラエルの契約の箱と神輿の類似性
        ・イスラエルの祭司の服装と神社の神主の服装の類似性
        ・古代イスラエルの風習と神主のお祓いの仕草の類似性
        ・イスラエルの幕屋の構造と神社の構造の類似性

         これらの根拠をあげたトケイヤー氏は、秦氏はユダヤ系であり、日本人の先祖の一部はシルクロードを経て渡来したイスラエルの「失われた十支族」の末裔だ、と論じている。
        コメント
    志葉楽(シバラク)
   
★日本人はユダヤの失われた十支族の末裔であるとする「日ユ同祖論」湯本泰隆
https://mag.japaaan.com/archives/114641   2020/05/16
昭和の初めに酒井勝軍(さかいかつとき)という人物が唱えた「日ユ同祖論(にちゆどうそろん)」。それによると日本人は、ユダヤの失われた十支族の末裔であり、両民族間には血縁があるという説です。失われた十支族とは、旧約聖書に記されたイスラエルの十二支族のうち、行方が知られていない十支族とのこと。もちろん、この説は科学的に立証されたわけではないですが、丁寧に見ていくと興味深い共通点がいくつかでてきます。
   
        「日ユ同祖説」を唱える人々
         イスラエル国防軍のヨセフ・アイデルバーグ陸軍少佐はさらに珍奇なことを説く。秦一族がもともと住んでいた「弓月国」のあった場所は、中央アジアの天山山脈の麓であり、その付近は「ヤマトゥ」という名前である。ヤマト、すなわち倭であり大和という名称は、秦一族が故郷を偲んで命名させた、というのである。

         この説は、日本人の先祖はユダヤ人であり、旧約聖書に登場する「失われた十支族」の末裔だなどとする「日ユ同祖説」を根拠付けることに情熱を傾ける人々からも支持されている。

         仮にこれらが真実であるのならば、フランシスコ・ザビエルよりもさらに遡ることおよそ1000年以上も前に原始キリスト教徒、ユダヤ教徒が日本にやって来たことになる。この教徒は、ユダヤ教に近い原始キリスト教を信じ、しかもユダヤ人であった可能性が高いという。つまり、ヨーロッパに伝播して独自の発展を遂げたローマ・カソリックやプロテスタントというヨーロッパ型の白人キリスト教とは異質のものである。

         ゴルゴタにて磔にされたキリストはキリストの弟・イスキリであって、本物のキリストは密かに日本に渡り天寿を全うして亡くなったという伝説が青森県三戸郡新郷村戸来に伝えられている。2004年(平成16年)6月6日のキリスト祭においてイスラエル在日大使館一等書記官が「キリストの墓」を訪れ、イスラエルストーンを寄贈している。イスラエル国家はこの伝説を肯定しているのである。

         ただし、こうした「日ユ同祖説」には影の部分があるということに注意を要する。「日ユ同祖説」に固執、執着して、荒唐無稽な論理を無理に日本に押しつけて利益を得ようとする勢力にも注意を要する。

         秦氏をとりまく謎は、文献史実や状況証拠に頼る従来の歴史学、民族学では解けない。日本史において第一級の史料には間違いないが、古事記、日本書紀とて政治的な意図、思惑で書かれており、書いた側の意図により操作的記述はあって当たり前と見なければいけないからだ。

         どうしても謎を追究しようとするなら、ユダヤ人の方、弓月国あたりに昔から住んでいるネイティブの方、宇佐地域や太秦あるいはゆかりの神社関係者で古くから秦氏の家系にいる方、にお願いして身体細胞の一部を採取させてもらい、DNA配列上の特徴を洗い出してみるという手がある。統計学的に有意な類似性が確認されたら、これら仮説の検証の有力な一助になるだろう。「日ユ同祖説」を説く方々に取り組んでもらいたいところだ。

         余談だが、ユダヤ人に声をひそめてこの手の話をすると、相手は身を乗り出してくること請け合いである。イスラエルやアメリカ在住のユダヤ系の人々とうまくビジネスをしようとする向きは、飯でもいっしょに食べながら薀蓄すれば面白いだろう。ユダヤ系以外の人々にはもちろん、こんな話はしないほうがよい。

         いずれにせよ、日本は表面上、仏教、神道の国ではあるが、ご先祖様、土産神、八百万の神々、儒教、道教、神仙、ゾロアスター教、マニ教、ユーラシア大陸の反対側の古代宗教などが習合混合して多元的、多神教的古層を、深い部分に温存してきている。

         秦、旗、羽田、畑、畠、波多家、幡家、端、波多、葉多、傍、波田、和田、和多、阿多、八田、飛騨、飛弾などの苗字を持つ家系は、秦氏の末裔である可能性がある。読者のまわりにも、これらの姓を持つ方々がおられるかもしれない。

      コメント
    トマト
        また一つ勉強になりました。ほっとした顔地元の宇佐神宮が秦氏の始まりかもしれないexclamation & question 興味深いです。宇佐の神宮の近くにはきれいな三角形の山富士山があるんですが、平地にいきなり山が盛り上がった状態で、遠くから見ると、ピラミッドに見えるんです。とても、不思議です。