★●ミナト●湊(みなと)●十三湊
★南戸     地名辞典
読み方:ミナト
所在 岐阜県加茂郡八百津町
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・港
読み方:ミナト
所在 北海道稚内市 他17地域
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・湊
読み方:ミナト
所在 福井県小浜市 他14地域

★ミナト   隠語大辞典
読み方:みなと
  白米ノコトヲ云フ。〔第三類 飲食物之部・宮崎県〕
分類  宮崎県
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・ミナト
読み方:みなと
  質屋。
分類  ルンペン/大阪

★港     歴史民俗用語辞典
読み方:ミナト
河・海岸の風待ちや待避・交易などのため船を泊められる要所。

★港 | 漢字一字 | 漢字ペディア
https://www.kanjipedia.jp/kanji/0002276300
 意味
 ①みなと。船の発着所。「港口」「港湾」
 ②航空機の発着所。「空港」
    「みなと」は「水(み)の門(と)」の意。
    下つき
    開港(カイコウ)・帰港(キコウ)・寄港(キコウ)・漁港(ギョコウ)・空港(クウコウ)・軍港(グンコウ)・出港(シュッコウ)・商港(ショウコウ)・築港(チクコウ)・入港(ニュウコウ)・母港(ボコウ)・要港(ヨウコウ)・良港(リョウコウ)
    なりたち
    出典『角川新字源 改訂新版』(KADOKAWA)
    形声。水と、音符巷(カウ)とから成る。船の通る水路、転じて「みなと」の意を表す。

★ み‐な‐と【港/×湊】 の解説
《「な」は「の」の意の格助詞。「水 (み) の門 (と) 」の意》
1 海が陸地に入り込んだ地形を利用したり、防波堤を築いたりして、船舶が安全に停泊できるようにした所。港湾。「船が―を出ていく」
2 川・海などの水の出入り口。みと。
「すみやかにこの―に往き、水をもちて汝 (な) が身を洗ひて」〈記・上〉
3 行き着いてとどまる所。
 「暮れて行く春の―は知らねども霞におつる宇治の柴舟」〈新古今・春下〉
    地方港を示す地図記号
https://dictionary.goo.ne.jp/img/daijisen/ref_thm/106604.jpg

★み な と [0]【港・湊▼】
〔「水の門(と)」の意〕
① 海が陸地に入り込んだ所を利用したり、防波堤などを築いて外海の荒い波を防ぎ、船舶が安全に停泊できるようにした所。港湾。 「船が-にはいる」
② 河・海などの水の出入り口。 「近江の海八十の-に鶴(たず)さはに鳴く/万葉集 273」
③ 行き着く所。 「年ごとにもみぢ葉ながす竜田川-や秋のとまりなるらむ/古今 秋下」

★世界大百科事典内の港の言及
【港湾】より
日本では古来,津(つ),湊(みなと),泊(とまり)などと称していた。これらの語に代わって新たに港湾ということばがつくられ用いられるようになったのは明治になってからである。厳密にいえば,港湾とは港湾法の適用を受けるもののみを指し,漁港法の適用を受ける漁港とは区別されている。
【泊】より
船舶の寄航・停泊のための風波を防ぐ海岸地形や諸施設(防波堤など),あるいはそれを含む港湾全体をいう。とくに古代・中世,海岸に沿って航行する地乗り航法の時代には風待・潮待などのための泊の設置が必須であり,中世ではしばしば〈津泊〉と連称された。
【船宿】より
江戸時代から明治前半にかけて,全国の廻(回)船の寄港地にあった乗組員の宿屋のこと。当時の回船は港ごとに船宿が決まっていた。

★港をつくる(港湾整備) | 港を支える浚渫って? | 株式会社小島組
http://www.kk-kojimagumi.co.jp/what/entry-36.html
港湾は輸出入貨物の99.7%を取り扱っており、
私たちの生活や経済・産業活動を成り立たせる社会資本です。
海底の土砂を掘り、大型船の航行に必要な
水深・水域を確保する「浚渫(しゅんせつ)」によって
豊かな国民生活に貢献しています。
海底を掘り、船の航路・泊地・岸壁に必要な水深・水域をつくっています。
近年、世界的にコンテナ船が巨大化しています。特に国際戦略港湾、国際拠点港湾では、大型船が安全に航行できるよう航路を増深・拡幅することが求められてることが求められており、「浚渫」はますます重要性を増しています。また、浚渫作業は、港湾機能を止めずに行われることが求められます。当社は、独自技術とノウハウにより港内の船の航行を妨げることなく、浚渫作業を行っています。

★港湾(港から転送) https://ja.wikipedia.org/wiki/港湾
港湾(こうわん、英: Port)とは、古くは泊(とまり)などから発展した港・湊(みなと)であり、島嶼・岬などの天然の地勢や防波堤などの人工構造物によって風浪を防いで、船舶が安全に停泊し人の乗降や荷役が行なえる海域と陸地を指す[1]。水陸交通の結節点となる機能を持つ港湾には、物流・旅客輸送が円滑に行われるために各種の港湾施設が整備され、ポートオーソリティ(港務局・港湾局)・地方自治体などの組織によって管理・運営されている。

★山口誓子   https://ja.wikipedia.org/wiki/山口誓子
代表的な句に、 学問のさびしさに堪へ炭をつぐ(1924年作。『凍港(とうひう)』所収) かりかりと蟷螂蜂の皃(かほ)を食む(1932年作。『凍港』所収) ほのかなる少女のひげの汗ばめる(1932年作。『凍港』所収) 夏草に機缶車の車輪来て止まる(1933年作。『黄旗』所収) ...

★港湾(こうわん 英:Port)(港から転送)
https://ja.wikipedia.org/wiki/港湾
古くは泊(とまり)などから発展した港・湊(みなと)であり、島嶼・岬などの天然の地勢や防波堤などの人工構造物によって風浪を防いで、船舶が安全に停泊し人の乗降や荷役が行なえる海域と陸地を指す[出典 1]。水陸交通の結節点となる機能を持つ港湾には、物流・旅客輸送が円滑に行われるために各種の港湾施設が整備され、ポートオーソリティ(港務局・港湾局)・地方自治体などの組織によって管理・運営されている。

★湊(みなと)https://ja.wikipedia.org/wiki/
「水の門」を意味し、『古事記』や『日本書紀』では「水門」と書かれる。
・港湾のこと。古くは、港湾施設のうち水上部分を「港」、陸上部分を「湊」と呼んだ。
・中世から近世における土崎港(秋田県秋田市)の称。出羽湊、土崎湊とも。
 ・湊家 - 土崎湊に拠った安東氏(安藤氏)上国家の称。湊安東氏とも呼ぶ。
 ・湊城 - 土崎湊に位置した城。湊家、および湊家を統合した下国家(檜山安東氏、統合後は秋田氏)が1602年の常陸国宍戸への転封にいたるまで本拠とした。
 ・湊騒動 - 下国家と湊家の統合にともなう両家や周辺の国人の間での一連の抗争。
  ・湊合戦 - 湊騒動において、1589年ないし1588年に生じた合戦。
その他
・湊 (相撲) - 大相撲の年寄名跡の一つ。
・日本人の姓の一つ。
・日本の地名の一つ

★湊(みなと)は、日本相撲協会の年寄名跡のひとつ。湊_(相撲)
https://ja.wikipedia.org/wiki/
★年寄名跡(としよりめいせき、みょうせき)
https://ja.wikipedia.org/wiki/年寄名跡
日本相撲協会の「年寄名跡目録」に記載された年寄の名称であり、俗に年寄株、親方株とも呼ばれる。
年寄名跡は、日本相撲協会の役員になったり、相撲部屋を作り弟子を養成するために必要な資格である。

★富津市  https://ja.wikipedia.org/wiki/富津市
千葉県南西部、富津(ふっつ)市の中心集落。旧湊町。湊川河口部に位置する。湊川はかつて房総(ぼうそう)丘陵の農山村の物資を輸送するのに利用され、上総(かずさ)湊港が栄え、現在も商店街が形成され、市役所の支所や金融機関が集まる。沿岸漁業が行われるほか、夏には海水浴場も開かれる。

★福井港 (三国港からのリダイレクト)
https://ja.wikipedia.org/wiki/福井港
越前国坂井郡、九頭竜川(くずりゅうがわ)河口にあった湊。
現在の福井県坂井市三国町。『続日本紀(しょくにほんぎ)』宝亀9年(778)9月2日条の渤海使(ぼっかいし)来着の記録が初見。
★三国(旧町名)
三国(読み)みくに
日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
福井県北西部、坂井郡(さかいぐん)にあった旧町名(三国町(ちょう))。現在は坂井市東部を占める地域。日本海に臨む。旧三国町は1889年(明治22)町制施行。1954年(昭和29)雄島(おしま)、新保(しんぼ)、加戸(かど)の3村と合併。2006年(平成18)同郡丸岡(まるおか)町、春江(はるえ)町、坂井町と合併、市制を施行して坂井市となった。国道305号、えちぜん鉄道三国芦原(みくにあわら)線が通じる。旧三国町は九頭竜川(くずりゅうがわ)河口右岸の三国湊(みなと)を中心に発達。奈良時代は東大寺領荘園(しょうえん)の米の積出し港、平安末期以降は興福寺兼春日(かすが)社領河口庄(かわぐちのしょう)および坪江庄(つぼえのしょう)の要港、越前(えちぜん)平野の関門として活況を呈した。江戸時代は福井城下の外港で、西廻(にしまわり)海運の発達とともに繁栄し、商圏は蝦夷(えぞ)地(北海道)から京坂地方まで広がった。明治以降、海運情勢の変化、鉄道の開通などにより商港としての機能が衰微し、大正初期には漁港に転換。現在、対岸の福井港や臨海工業地域(テクノポート福井)造成の影響で三国港も大きく変貌(へんぼう)しようとしている。内陸部では米作のほか、ラッキョウ、スイカ栽培が行われる。新義真言(しんごん)宗智山(ちさん)派の瀧谷寺(たきだんじ)の庭園は国指定名勝。国宝の金銅宝相華文磬(こんどうほうそうげもんけい)のほか、貴重な文化財も多く蔵する。丸岡藩砲台跡は国指定史跡。日本海沿いは奇勝東尋坊(とうじんぼう)(国指定名勝・天然記念物)や雄島、越前松島などの景観に恵まれ、越前加賀海岸国定公園の一部となっていて、海浜自然公園、越前松島水族館もある。1879年(明治12)建造の、木造八角五階建ての龍翔小学校(りゅうしょうしょうがっこう)は、郷土資料館「みくに龍翔館」として復原された。三国祭は北陸三大祭の一つとして知られる。[印牧邦雄]
『『三国町史』(1983・国書刊行会)』

★越前手漉湊紙 濃紺 - 手漉和紙・大判和紙(大きいサイズ)
https://www.kyotowashi.net/?pid=121112289
湊紙とは、お茶室の腰張りに使用される紙です。
漉き返しではなく、紙料から新たに漉いた和紙となっています。
紙料:楮
紙寸法:巾940mm×丈630mm 2×3判
販売価格 3,025円(税込)

★湊紙(みなとがみ)
江戸時代に和泉(いずみ)国(大阪府)堺(さかい)の湊村で漉(す)かれた和紙。鳥の子系統の下等な漉き返し紙で、壁の腰張りに多く使用された。のちに摂津国有馬(ありま)郡山口村(兵庫県西宮(にしのみや)市)でも同様な紙が漉かれたが、この山口湊紙は隣の名塩(なじお)村(西宮市)の抄造法をまねて粘土を混入して漉かれた。湊紙は井原西鶴(さいかく)などの江戸の文学作品に出てくる。

★湊川の戦い   https://ja.wikipedia.org/wiki/湊川の戦い
湊川の戦い(みなとがわのたたかい)は、南北朝時代の延元元年/建武3年5月25日(1336年7月4日)に、摂津国湊川(現・兵庫県神戸市中央区・兵庫区)で、九州から東上して来た足利尊氏・足利直義兄弟らの軍と、これを迎え撃った後醍醐天皇方の新田義貞・楠木正成の軍との間で行われた合戦である。

★大野湊神社  https://ja.wikipedia.org/wiki/大野湊神社
石川県金沢市寺中町(じちゅうまち)に鎮座。
祭神は護国八幡大神(ごこくはちまんおおかみ)、猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)、天照坐皇大神(あまてらしますすめおおみかみ)のほか ...

★十三湊(じゅうさんみなと)十三湊(とさみなと)
https://ja.wikipedia.org/wiki/十三湊
十三湊(とさみなと)は、日本の本州島の津軽半島北西部に所在する十三湖(※往時は内海であった)の西岸、現在行政上の青森県五所川原市十三(明治初期の西津軽郡十三村、江戸時代の陸奥国津軽郡十三村、中世期の陸奥国津軽郡域)にあって、13世紀初頭から15世紀半ば(鎌倉時代後期前葉から戦国時代初頭)にかけての中世期に、蝦夷沙汰職(えぞ さたしき。蝦夷管領)を務めた安東氏(津軽の安藤氏)の許でとりわけ隆盛を極めた湊である。
地域名「十三」を江戸時代前期までは「とさ」と読んだが、後期以降は「じゅうさん(歴史的仮名遣:じふさん)」と読むようになった。もっとも、現在は「十三湊」関連に限って古訓「とさみなと」に戻して読んでいる。
遺跡は十三湊遺跡(とさみなと いせき)と呼ばれ、2005年(平成17年)7月14日に国の史跡に指定されている。史跡としての中心地(説明板所在地)は十三古中道(ふるなかみち)61番地。本項ではこの遺跡についても述べる。

★朝妻筑摩(あさつまちくま)
日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
滋賀県北東部、米原市(まいばらし)の一地区。明治初年までは朝妻と筑摩の2村であった。『和名抄(わみょうしょう)』の朝妻郷の地で、平安時代には法勝(ほっしょう)寺領朝妻荘(しょう)。天野川河口、琵琶(びわ)湖の朝妻入江(筑摩江)に面し、東山道と北陸道の分岐点にも近く、古代、中世を通じ東海、関東と京都を結ぶ要地であった。朝妻と大津を往来する舟を「朝妻舟」といい、遊女を乗せることが多く、『東路記』『新続(しんしょく)古今集』などに詠まれている。また英一蝶(はなぶさいっちょう)の描いた『朝妻船』は名高い。しかし1603年(慶長8)米原港が開かれ、急速に衰微した。朝妻公園に朝妻湊跡の石碑がある。筑摩は古代は皇室の御厨(みくりや)でもあった。筑摩神社の「鍋冠(なべかんむり)祭り」は平安時代から続く奇祭として知られる。[高橋誠一]

★朝日貝塚  https://ja.wikipedia.org/wiki/朝日貝塚
朝日貝塚(あさひかいづか)は、富山県氷見市朝日丘にある貝塚である。
朝日貝塚は市街地の南西部にあり、遺跡の西側は市域中央を西から東に向かって伸びる朝日山丘陵で東南裾であり、ここから東側の湊川まで緩やかな斜面となる。1918年(大正7年)の発見以降数度にわたって発掘調査が行われた。国の史跡に指定されている。縄文時代前期から中世にわたる複合遺跡であり、貝層の上部と表土からは弥生土器や須恵器が出土する。
朝日貝塚は、1918年(大正7年)7月に誓度寺の建設途中に発見された。
当時の新聞記事によれば、誓度寺の建設前は畑地であり、地元では土器片の散布があったとされている ...

★浮世風呂   https://ja.wikipedia.org/wiki/浮世風呂
浮世風呂(うきよぶろ)は、式亭三馬が書いた滑稽本である。文化6年(1809年)から文化10年(1813年)にかけて刊行された。内容は4編9冊に分けられ、初編・四編が男湯、二編・三編が女湯となっている。角書をつけると『諢話浮世風呂』(おどけばなしうきよぶろ)となる。当時の庶民の生活を浴場を舞台に描き、落語の話術を取り入れた会話の軽妙さと様々な人々の仕草を詳細に描いた点が特徴である。

★蝦夷地   https://ja.wikipedia.org/wiki/蝦夷地
蝦夷地(えぞち)は、日本人がアイヌの居住地を指して用いた言葉で、江戸時代に使われた和人地の対語である。渡島半島周辺を除く現在の北海道を中心に、樺太と千島列島を含む。なお、アイヌ人はそれらの島々をアイヌモシリと呼んだ。

★津軽十三湖の歴史(津軽十三湖とはどんなものか) - Hi-HO
http://www.dab.hi-ho.ne.jp/namahage/mistery/mist_fif.htm
①津軽十三湖とはどんなものか >>
②十三湊の歴史1 >>
③十三湊の歴史2 >>
④十三湊の歴史3 >>
⑤十三湊の歴史4 >>
⑥十三湊の歴史5 >>
⑦十三湊の歴史6 >>
⑧十三湊の歴史7 >>
⑨東日流外三郡誌の概略 >>
⑩東日流外三郡誌、世間を騒がす >>
⑪東日流外三郡誌はウソの話か >>
⑫東日流外三郡誌、一部に浸透する >>
津軽十三湖とはどんなものか
津軽の小さな漁村が昔は大貿易港だったという話。文献が少なく謎が多い港だが、発掘調査によって、徐々に当時の様子が明らかになってきた。
 津軽一帯を流れる岩木川。かつてこの地方の流通において中心的役割を果たしていました。その川の河口に、十三湖という大きな湖があります。津軽中の川がここに流れ込んでいますが、湖の西口が小さく開いて日本海の海水が流れ込んでいるため、汽水湖になっています。太宰治の作品『津軽』に『気品はあるがはかない感じの湖』とかかれた十三湖は、その昔、「十三湊(とさみなと)」と呼ばれた博多クラスの国際貿易港だったのです。
 十三湊とは、中世の昔、津軽半島にあった国際貿易港のことです。場所は現在の地名で言うと、青森県北津軽郡市浦村といい、今では小さな漁村になっています。十三湊に関する文献は少なく、謎が多かったのですが、1991年から国立歴史民俗博物館による発掘調査を契機に、かつての十三湊の様子が明らかになりつつあります。
 発掘によって、この津軽の小さな漁村から、昔の繁栄の跡が続々とあらわれました。十三湊の北岸にある山王坊の僧、弘智(1363年没)が書いたといわれる『十三往来』によると、インドの王舎城、中国の長安城、わが国の平安京に肩を並べるくらいの大都会が十三湊であり、港には夷船京船(沿海州や中国の船)が群れ集っていたということです。発掘結果は、十三湊がそれに近い大きな貿易港であったことを我々に教えてくれました。
 この貿易港を抑えていた安藤(安東)氏という豪族は、自らも水軍を率いて交易していたともいわれています。しかし、彼らがどんな人たちで、本当に伝承どおりの大活躍をしていた一族なのかは、まだ分かっていません。
 昭和の40年代。分からないことの多い安東氏の出自に関する奇妙な書物が津軽の旧家から出現しました。『東日流外三郡誌』といわれる奇書で、十三湊の歴史を綴った古文書とのことでした。この本の編纂を企画したのは津軽安東氏の子孫で福島県三春の藩主、秋田信濃守倩季で、秋田孝季と和田長三郎に命じて現地調査を行わせ、1822年、600巻余りの歴史書を完成させたという触れ込みでした。
 しかしこの歴史書(?)は正統派の歴史学者の大半によって、現代人が書いた偽書であるという判定を下されています。

★十三湖、安東水軍|景観を楽しむ・歴史民俗を学ぶ・史跡を ...
http://www.go-kankou.jp/miru_manabu/ando.html
中世十三湊の歴史と安東水軍.
発掘調査により明らかになった十三湊の遺構.
鎌倉時代から室町期にかけて港町として栄え、数々の貿易を行っていたと伝えられる幻の中世都市十三湊。中世に書かれた「廻船式目(かいせんしきもく)」の中では「津軽十三の湊」として、博多や堺と並ぶ全国「三津七湊(さんしんしちそう)」の一つとして数えられ、その繁栄ぶりが伝えられています。その他、複数の文献に、巨大な富を抱え、各地と交易を結んだ豪族「安東氏」の存在と共に記録されています。

★十三湊遺跡(とさみなといせき) - 五所川原市
http://www.city.goshogawara.lg.jp/kyouiku/bunka/tosaminatoiseki.html
十三湊遺跡は、本州最北端の津軽半島の日本海側ほぼ中央、岩木川河口に形成された潟湖、十三湖(じゅうさんこ)の西岸に位置しています。
戦国期に成立したと考えられる『廻船式目』に三津七湊の一つとして「奥州津軽十三湊」とみえ、中世北日本の重要港湾であったことがうかがえます。
津軽の豪族安藤氏が拠点をおいて栄えたとされながら、南北朝の津波によって壊滅したという伝承があり、長い間幻の港町とされてきましたが、平成3年度以降の市浦村・青森県教育委員会等による組織的な発掘調査の結果、13世紀から15世紀に営まれた広大な遺跡の実態がおおよそ把握されました。

★十三湖(じゅうさんこ)
https://ja.wikipedia.org/wiki/十三湖#周辺の食・歴史・観光
青森県津軽半島北西部の日本海岸にある汽水湖である。
地元津軽地区では「十三潟(じゅうさんがた)」とも呼ばれる。
津軽国定公園内に位置する。周辺自治体は五所川原市(旧市浦村)、北津軽郡中泊町(旧中里町)、つがる市(旧車力村)である。周囲30キロメートル、水深は最大3.0メートルに過ぎない。南方より岩木川が流入する。独特の荒涼とした風景に囲まれている。
特産物はシジミである。宍道湖、小川原湖と並ぶ日本有数のシジミ産地である。シジミ漁については十三漁業協同組合、車力漁業協同組合がある。資源保護のために1日の漁獲制限や禁漁区禁漁期間を決めるなどしてヤマトシジミの資源維持につとめている。
中世には日本海沿岸の交易港「十三湊」の在った場所であり、津軽地方の有力豪族であった安倍氏・安藤氏(安東氏)の拠点として栄えたが、近世以前に衰退した。資料は少ないが、1991年から発掘調査が行われ、研究が進められ、実態が明らかになってきている。
オオハクチョウ、コハクチョウの渡来地として知られ「十三湖のハクチョウ」として県の天然記念物に指定されている。

★十三湊の興亡 ―津軽で生まれる子らに - 水土の礎
https://suido-ishizue.jp/nihon/09/02.html
歴史を振り返る際に欠かせないのは、その地域の山河、すなわち地形である。おそらく、縄文時代から現代にいたるまでほとんど変化のない唯一のものはといえば、右の図に示される岩木川水系の流域[りゅういき]であろう。

★十三湊の都市計画 ―津軽で生まれる子らに - 水土の礎
https://suido-ishizue.jp/nihon/09/02_2.html
農業土木は国づくりそのものであり経世学であった。
農が育んだ地域の風土、多彩な伝統文化を紹介。

★“十三潟”の読み方と例文
https://furigana.info/w/十三潟
読み方 割合
じゅうさんがた 100.0%
(注)作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
・じゅうさんがた(逆引き)
この方面においては、北は津軽の十三潟、秋田の八郎潟から、南は筑紫の香椎潟、宗像に及んでいる。
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
青森県の十三潟のような、広いあさい沼のほとりに住む村々では、細い一種の蘆を苅ってきて、葉をむしり棄ててそれで屋根を葺いている。
母の手毬歌 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
わずかに残った記憶の中を捜すと、男鹿の突角の高地、八戸の後ろの山、津軽の十三潟の出口の野などでは、無数の蝦夷菊の野生を見た。
雪国の春 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
私が青森大林区署の官用軌道の軽便に乗せてもらって、十三潟の寂しい岸から、荒れた昔の恋の泊りを見に行ったのは、たしか一昨年のこの月二十七日の雨の日であった。
雪国の春 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
陸奥北津軽郡の福浦のごときは、十三潟の南岸に当ってやや水辺から遠いけれども、これはおそらくは村が地名を携えて引き移ったのではなく、後年に潟地が乾いて新土が附加したためで、むしろかえって命名の時代を、推測せしむることができるものと思う。
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
“十三潟(十三湖)”の解説
十三湖(じゅうさんこ)は、青森県津軽半島北西部の日本海岸にある汽水湖である。地元津軽地区では「十三潟(じゅうさんがた)」とも呼ばれる。
(出典:Wikipedia)

★ じゅうさん‐こ【十三湖】 の解説
青森県津軽半島西部にある潟湖 (せきこ) 。中世から近世にかけて、十三湊 (とさみなと) (のちに「じゅうさんみなと」)とよばれる港として栄えた。十三潟 (とさがた) 。