◆日本民族って馬鹿なのそれともとてつもない利口なのかな
日本とは不思議な国で裏の世界と表の世界 古史古伝と記紀 歴史と生活
 色んなモノが混じり合い縦糸と横糸を無し織りなされて来た文化である。
 神代文字が判らないのに大好きで調べて見るとドンドンと深みにはまっていく。
 日本人とは知らない内にそう言うモノと何処かで関わってきている。
 反日の人でも朝鮮人でもシナ人でもその他の外人でも。
この国に住んでいる間はそれから抜けることは出来ない。
イヤなら この国から逃げ出さないといけない。
それでも一度は関わると二度と抜けることは出来ないと思う。
とんでもないという人は多いけれども色んな言語にに古史古伝などが関わっているから。
 色んなサイトをしたに列挙してみた。
とても上げきれるモノではない。
 自分で後は探して見て下さい。
 馬鹿なと思いながらはまること確実です。
どうせ暇なら是非見てみてはどうかな。

サンカ
https://youtu.be/dn_FolwuzZQ
--------------------------------------------------------------------------------
【資料】 サンカ(山窩)とは 転載
http://www.asyura.com/sora/bd3/msg/468.html
 ★阿修羅♪ Ψ空耳の丘Ψ3 ]
--------------------------------------------------------------------------------
投稿者 ○○○▽ 日時 1999 年 9 月 11 日 23:44:57:
サンカ(山窩)とは
 明治以降明らかにされた時点では、川筋伝いに村から村へと渡り歩き、主に蓑つくり、笊(ザル)つくりなど竹を主原料とする製品を作り、農家で穀物と交換する、といったことで生計を支える、関東以南から九州までをテリトリーとする漂白集団だった。定住しないため、テントをもって移住し、一夫婦と子供で一家族六~七人、五家族くらいの単位で共同歩調をとった。
サンカの語源はいろいろあるが、サンケチ(三つの職掌区分)からきたとする説もある。サンカ自身は自分たちをセブリ、(テントの意味、一セブリ=同居する家族)セブリモノなどと呼ぶといわれる。
  ミツクリの一(カミ)(蓑つくりの総領)
  フキタカの一(笛つくりの総領)
  エラギの一(遊芸の総領)
 サンカは徹底的な秘密集団組織として生きてきた。外部の者にはけっして自分たちのことを話さず、特殊な隠語を用いて話し、他の仲間への連絡には、特別の符合で書かれたアブリ出しを地面に埋めるなどして行う。その結束は固く、独自の行政・裁判法をもち、一般の倭人とは異なる習慣、信仰、伝承を維持し、しっかりとした相互扶助システムをもって全体の生活を安定させている。そして古くから戸籍を持たず、昭和期に至ってもなお届出を行わない者たちが多かった。
  いわば、国家の中にあって国家権力の枠の外にある、完璧に自立した漂白共同自活集団とでもいうべき存在なのだ。かつてそのように生きる人たちがたくさんいた。その多くは遊芸者であり、神の女として春の恵みを売る巫女たちであり、木工製造・鍛冶・狩猟・沿岸漁業・川漁などにたずさわる人たちであり、呪術的宗教者であり、渡り商人たちであった。
  巨大組織サンカの強固な組織連帯性の中核にあるのが純潔の保持である。サンカは決してサンカ以外の者たちと混血する事はなかった。
  サンカには有名な伝承の蝮部伝承がある。蝮(タジヒ)とはマムシの事であり、このマムシを捕って生活の害を除き、精力剤を作る職業が蝮部という古代の職業であり、かつてのサンカの主要な職掌の一つだった。古伝承によるとサンカの祖は火明で、隼人(ハヤト)の一派がサンカの系統につながっている、となる。
  五木寛之の小説「戒厳令の夜」「風の王国」は、明治維新以後現在に至るおよそ一二○年間に、公的権力に組み入れられることによって、まるで風のように姿を消してしまった漂白の人々が、どこへ行ったわけでもなく、実は私たちの身近な日常性の中にとけこんで実在しているという想像から展開されている、といってよいだろう。
  延々と独自のコンミューンを保ち生き続けてきたサンカが、現在どのような形でこの高度資本主義社会にトケこんでいるのか。
  一説によると現在一般の”非占領社会”にまぎれこんでいる彼らの数は、人口の一五パーセント以上、およそ二○○○万人以上に達するとみられている(1986年)
  昭和三年、官憲のサンカ対策が目立ってきたため、東京のクズシリ(頭)隅田川一を長として東京一円を中心にシノガラ(忍びのヤカラ)と名付けられるサンカ秘密結社が結成されたという。シノガラは外面的には社会での職業生活を送りながらも、サンカ一族の堅固な結束を維持する重要な役割を負って生み出されたものだ。
  このシノガラが中心となり、表の顔として財団法人全国蓑製作者組合が昭和二四年に組織され、まるで欧米のフリーメーソンのような形態をサンカ一族はとるようになっていった。時代のすう勢からこれまでサンカ一族が出しあってつくられた相互扶助のための基金を、全額アングラ・マネーとして積んでおくわけにはいかなくなったからでもあったからか。そのため一部を組合基金として浮上させたのである。
  この共同基金の金額は、昭和三六年の時点で実に二億四九万一○一一円となっている。当時の大学初任給は二万円にも満たなかったから現在でいえば一五億円くらいに相当するが実際の額の一○分の一という見方もある。この基金はシノガラの手によって年一割二分の利回りで運用されているという。現在では基金の年々の増加と運用上の増加を考えれば、莫大な金額になっていることが予想される。また昭和五七年の時点で各自が最低一○○○円以上を収入に応じてシノガラに収めており、総額は五兆円を越すものとされている。サンカ一族はこの資金をフルに活用し、シノガラが日本の根幹として根を張りめぐらし日本の中枢を握ることを目的としている。(すでに達成されたものと考えられる)少なくとも昭和三六年の時点でシノガラの三分の一は官公史、次いで学会人、財界人が多数を成した。ある銀行の幹部がシノガラに独占され、組合から「逆差別」だといわれたエピソードなど体制化・権力化への道をたどっていると指摘されている。
 (資料とさせて頂いた1986年出版の本は現在、絶版となり入手不可能。)
-ビラの内容はここまで-
 *テキスト化するにあたって、一部表記を変更した個所があります。
▽ ▽ ▽
コメント:
私がもらった事のある、あらゆるカルト宗教や政治団体のビラ等とも様相が異なっていたので掲載しました。
このビラの配布者およびその意図はまったく不明です。
その方面のネタには私は詳しくはないのですが、
わが国の国家主権を好き勝手に蹂躙する悪魔ロッジ系メーソンの汚い魔の手に対し、
 彼らが真っ向から主張しつつある歴史的転換点に、今到達しているのだろうか。
 山窩は毒蛇の天敵のようですね。
--------------------------------------------------------------------------------
投稿者 たいやき 日時 1999 年 10 月 13 日 00:24:41:

回答先: おいしそうな本がたくさん並んでいますね。 投稿者 たけしくん 日時 1999 年 9 月 12 日 12:35:04:
> この出版社はおいしそうな本がたくさん並んでいますね。
五木寛之の「風の王国」新潮社 もサンカを上手に物語り
 にしてます。肩がこらなくてわかりやすいですよ
--------------------------------------------------------------------------------
一般的には平仮名、片仮名ともに漢字から作成したということですが、
 片仮名はとても漢字に(充てられた)に似ていますが、平仮名はどうも
似ていないような...
 下のサイトでいくつかの文字はフォントとして使えるモノがダウンロード出来る。
カタカムナ文字 紹介文
https://booth.pm/ja/items/41881
 神代文字の一つ、カタカムナ文字のフォントです。
 「ヤタノカカミ」は「鏡]、「フトマニ」は「太」、「ミクマリ」は「○」で出せます。
 数字の1~9は全角の1~9で、10は0で出せます。漢数字でも出せます。
 
◆神代文字 英 Jindai moji / Kamiyo moji
http://www.chikyukotobamura.org/muse/wr_column_8.html
『広辞苑 初版』(昭和 30,1955)では「神代文字」を次のように定義する。下線は筆者による。

    我国で,漢字渡来以前に行われ,神代から伝えられたとされる文字。実は,亀卜の灼兆(しゃくちょう)に擬して作り,または朝鮮の諺文に仮託して偽作したものか。 日文(ひふみ)・天名地鎮(あないち)・阿比留文字などの種類がある。神代文字の有無は江戸時代国学者間の研究問題となり,平田篤胤は「神字日文伝」を著わして存在を主張し,伴信友は「仮名本末」を著わしてこれを駁し,非存在を主張した。

『辞苑』
これが,第 2 版(1976)になって上記下線部分が,「偽作。」と断定され,また,「江戸時代…」の箇所が削除される。ついで,第 3 版で「諺文」が「ハングル」に改められ,以後,現行の第 7 版(2018)に至っている。ちなみに,「広辞苑」の前身「辞苑」では,初版の 1935 年から 1943 年まで旧字旧仮名による記述の違いは当然として,「広辞苑」初版と同じ文面である。ただし,記述の最後は「…主張したが,現今では非存在説が有力となってゐる。」と締め括り,さらに[[じんだいもじ]の挿絵を添えている。
 
◆神代文字-肥人書 | Ancient Asia | 古代文字, フォント デザイン, 文字
https://www.pinterest.jp/pin
 
◆神代文字の事(阿比留文字、「日文」(ひふみ)中心)
http://kstn.fc2web.com/kamiyomozi.html
 
◆古代文字
http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2007/08/000285.html
 
◆小田野先生の教え
http://www.iii.ne.jp/kikuchi/meiha-8.html
まず、めいは命波(ミコトバ=実光透波)を生きるということをかいつまんで書きます。


◇     嘘をつかない
      人にも自分にも決してつかない
◇     責任を果たして生きる
      権利なんていうものは宇宙にはない。責任あるのみ
◇     解らないことは字に聞く
      解っていると錯覚していただけのことがほとんどだと判る(謙虚になりなさい)
人に聞いても大体間違っているので、鵜呑みにしない
自分が納得するまで検算・検証して確かめる(自分の問いに責任を持つこと)
 
◆日本史における不思議な出来事、奇談。
http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4668473.html
1:本当にあった怖い名無し:2007/04/23(月) 00:23:05 ID:HpKtBk0m0
滝沢馬琴の「兎園小説」その他に載っている「うつろ舟」の話。
高千穂峰の天の逆鉾。
三世紀頃に消えた銅鐸の謎。
聖徳太子の「日本国未来記」。
南朝子孫のゆかりの寺に祀られる、「草薙剣」。
源頼朝の死の謎。
大坂「南宗寺」に伝わる徳川家康討ち死に説(首塚があるという)。
眉唾ものの伝説から、今だ謎である事まで日本史においては様々な
奇談が伝わります。
上記に挙げた例はほんの一部でまだまだ奇談はあるでしょう。
私の知識は古く、すでに解明されたこともあるでしょう。
そんな様々な出来事を列記していき、意見を出し合い、まとめていきませんか?
 
◆俺が異世界に行った話をする
    http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4226604.html
6:本当にあった怖い名無し:2007/04/23(月) 00:37:24 ID:jacZvsBR0
兄である天智天皇よりも、弟である天武天皇のほうが年上である不思議。
持統天皇が異常なまでに草壁の皇子への皇位継承に固執した理由。
 
◆神武天皇って実在したの?
http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4528808.html
 
◆天津教古文書の批判
http://www.aozora.gr.jp/cards/000866/files/3039_23980.html
 
◆「神代文字」の歌碑♪
http://plaza.rakuten.co.jp/sueyasumasa/diary/200904230002/
 
◆神代文字は「かみよもじ」と読みます
http://ameblo.jp/kamiyo567345/theme-10004765903.html
 
◆山と書いて三とも耶麻台とも云う
http://kouhoka.exblog.jp/m2008-10-01/
 
◆虚舟 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/虚舟
虚舟(うつろぶね)は、日本各地の民俗伝承に登場する架空の舟である。 他に「空穂舟(うつぼぶね)」「うつぼ舟」とも呼ばれる。
常陸国のうつろ舟
虚舟の伝説の中でも最も広く知られているのは、1803年に常陸国に漂着したとされる事例である。江戸の文人や好事家の集まり「兎園会」で語られた奇談・怪談を、会員の一人曲亭馬琴が『兎園小説』(1825年刊行)に『虚舟の蛮女』との題で図版とともに収録され今に知られているほか、兎園会会員だった国学者・屋代弘賢の『弘賢随筆』にも図版がある。この事例に言及した史料は現在までに7つが確認されており、内容には若干の異同がある。
その内容は概ね以下のようなものである。

    享和3年、常陸国鹿島郡にある旗本(小笠原越中守、小笠原和泉守などとされる)の知行地の浜に、虚舟が現れた。
    虚舟は鉄でできており、窓があり(ガラスが張られている?)丸っこい形をしている。
    虚舟には文字のようなものがかかれている。
    中には異国の女性が乗っており、箱をもっている。
2014年5月26日付けの『茨城新聞』は川上仁一の忍術を伝える伴家の古文書から「うつろ舟奇談」に関わる史料があり、漂着地の実在地名が「常陸原舎り濱」(現在の神栖市波崎舎利浜)と記され、具体性があると岐阜大学の田中嘉津夫名誉教授が発見したと報じた。
 
◆うつろ舟についてのまとめ - NAVER まとめ
https://matome.naver.jp › odai
2017/10/17
江戸時代に現れたという、うつろ舟と謎の女性についてまとめました。
 
◆謎の文字・神代文字とは - NAVER まとめ
https://matome.naver.jp/odai
2014/10/13
日本に漢字が伝わったのは、第15代天皇応神天皇の頃とされています。それまで日本人は文字を持たなかったのか?いいや、そんなことはない。「神代文字」というものが存在した。否定説もある「神代文字」についてまとめてみました。
 
◆神代文字とは?その真偽も含め神代文字の意味や種類、秘められた力についても解説
https://amaterasu49.media/archives/19095
神代文字とは、中国から日本に漢字が渡る前に使われていたとされる日本固有の文字のことです。文字の特徴は複雑な曲線や丸や三角の図形が組み合わさり、独特の体をなしている点です。 神代文字はその存在の真偽は定かではありませんが、文字自体に強い「気(パワー)」があると考えられています。
2019年08月08日
記事の目次
    1.神代文字とは?
    2.神代文字が嘘・偽物であるという説について
    3.主要な神代文字一覧
    4.神代文字についてまとめ
 
◆古事記の神々の言霊ー2
http://blog.goo.ne.jp/auwa108/m/200603
 
◆神代文字2
http://enacap.seesaa.net/article/29982857.html
 
◆神宮・奉納文 - 伊勢神宮奉納文神代文字保存委員会
http://hounoubun-hozonkai.com/index.php?hounoubun
 伊勢神宮には、約1450年前の物部大連尾輿自身の奉納文や、藤原の鎌足・藤原の不比等・源頼朝・源義経等、99葉の本人による奉納文が保存されています。
 そして、すべての奉納文が、日本古来の文字で奉納されています。
 私たちが知らされていなかった文字と奉納文は、紛れもなく第一級の日本の宝です。いずれも永久に保存され、後世に伝えていかなければならない宝物です。
 どうぞ、保存運動にご賛同いただき、普及活動をご一緒してください。
伊勢神宮奉納文神代文字保存委員会
 会長 大下伸悦 
 
◆神代文字-日本的霊性 - AAA!Cafe
http://f35.aaacafe.ne.jp/~shinri/kamiyomoji.html
まず新井白石が、出雲大社や熱田神宮に神代から伝わったとされる文字が残っていることを指摘。
伊勢神宮の神代文字
神代文字で書かれた実例を紹介しましょう。
日本の神代文字が実際にはどのように使われていたかを示す一つの好例は伊勢神宮の神宮文庫に収められている奉納文です。
伊勢神宮に現存する奉納文は、これまで確認されたものだけで99点あります。
その大部分は藤原鎌足や稗田阿礼、和気清麻呂、菅原道真、平将門、源義経、木曽義仲、後醍醐天皇といった歴史上名高い人物で占められている。また「古事記」をまとめた太安麻呂や「日本書紀」の編集者・舎人親王なども名を連ねています。
 
◆平田篤胤の神代文字考
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/kodaishi/kokugakuco/hirataatutaneco/shindaimojico.html
【神代文字考】
 ここで、神代文字について確認しておく。「れんだいこの平田篤胤史学論」で取り上げる理由は、篤胤が晩年に精力的に神代文字論を展開しているからである。学説も通説も、神代文字存在説を唱える者を邪視し、神代文字否定説を声高に唱える者を正論としているが、その構図は丁度、れんだいこが「戦国期の研究を通じての陰謀論考」で述べたように転倒しているのではなかろうか。即ち、陰謀説同様に、これを批判する側から「こじつけ」、「うがち過ぎ」の由を聞くが、神代文字存在説の方が素直な読み取りであり、これを採らずにあれこれの推理をする側の方にこそ「こじつけ」、「うがち過ぎ」の評がふさわしい。つまり、神代文字存在説批判は手前の方が「こじつけ」、「うがち過ぎ」であるのに、手前が受けるべき批判を先回りして相手方に投げつけているのではあるまいか。
 
◆神代文字の事
http://kstn.fc2web.com/kamiyomozi.html
公開 : 2006/08/18 © 平頭通
私は常々、神代文字(かみよもじ)等と云ふものは無かつたと思つてゐるのですが、世間では「古代日本には漢字が伝来する以前に文字が存在した」と云ふやうな噂を信じてゐる人もゐるやうです。江戸時代の国学者、平田篤胤も其のやうに信じて神代文字の研究をしてゐたやうです。茲では、阿比留文字を中心に実際の神代文字を提示した上で、どのやうに考へるべきかを論じてみたいと思ひます。
先づ、「神代文字」の定義をしておきます。日本に漢字が伝来したのは、応神記の記述を信用すれば応神天皇(ホムタワケ、八幡神)の時代に朝鮮半島から齎された事になりますが、其れ以前の日本に既に文字が存在してゐた場合、其の文字を指して「神代文字」(かみよもじ)と呼ぶ事にします。ですので、若し神代文字で書かれた文献が存在するのであれば、有史以前の日本の様子を垣間見れるのではないかと考へる人もゐるやうです。
 
◆「弘観道」650万年 カタカムナ 宇宙法則 内在神 皆の衆(笑)
http://plaza.rakuten.co.jp/kagoshimalife/diary/200901250000/
 
◆薬師寺の歴史
http://www.ne.jp/asahi/davinci/code/history/jinzya/index1.html
 
◆神代文字の実像
http://www.proto-s.net/info/column/ancient3/post-424.html
(2015年筆)
 先に私達は「縄文の記憶」において、「日本列島における縄文時代は、異民族の侵入という人種的葛藤のない穏やかでゆるやかな時間の推移の中にあった」こと、またこの社会が「列島が孤立して以来一万年の間に、この島国の中で形成された」ことを知る機会を得ました。このことはさらに、「超古代からの何らかの民族的記憶や伝承が中央から駆逐された辺境エリアに残っているのではないか」という期待にもつながるわけです。しかし、その後さまざまな方面からのアプローチにもかかわらず、超古代と縄文をつなぐ糸は残念ながら発見できなかったのが実情です。
 なぜ私達がそれほどまでに縄文にこだわったかというと、三内丸山の発見以降我が国の文化がかつては東アジアはもとより、世界でも有数の文明であったことが解明されてきたからです。例えば三内丸山は、
     「列島内はもちろん、大陸、沿海州・アムール地方、更には南西諸島まで名の知れた拠点都市であったに違いない。したがって、ここには、あらゆる物資が集積し、いろいろな人々が集う交易センターすなわち国際都市であった。-(中略)- 次の図は列島内の交易ルート、交易品の数々である。生活物資から装飾品までが列島各地から三内丸山に集積していたことが分かる。」
 
◆これって神代文字?〈ホツマ文字の石板発見〉
http://blogs.yahoo.co.jp/doctor3044/23453920.html
 
◆十種の神宝・ヒフミ祝詞・3種の神器・トホカミエミタメ祝詞などの秘義を語る神代文字の神典
http://nihonrekishiken.com/moji.htm
 
◆日本古代文字~漢字以前の世界
http://ameblo.jp/soragoto/entry-10206664882.html
 
◆ホツマツタエ
http://www.hotsuma.gr.jp/index.html
 
◆神代文字の真実と二度の出エジプト
http://bewithgods.com/hope/doc10/10-15.html
神代文字は古代オリエントと似ている に移動 - 古代アッシリヤの都ニネヴュやバビロンで使われた楔形文字と同じものである。私はこの楔形文字のいくつかが長州(山口)や薩摩(鹿児島)の古い神社の石に刻まれているのを発見した。
 
◆「昨日はいろは呼吸書法で神代文字を書いたり和歌を降ろしたりしました。」  勉強したこと
http://angel.ap.teacup.com/yukoji/410.html
 
◆与那国文字
http://nishigo.ti-da.net/e2362881.html
 
◆豊科「神代文字碑」説明文
http://image.search.yahoo.co.jp/search?p=%E7%A5%9E%E4%BB%A3%E6%96%87%E5%AD%97&rkf=2&ei=UTF-8&pstart=1&b=61
 
◆これって神代文字?〈ホツマ文字の石板発見〉
http://blogs.yahoo.co.jp/doctor3044/23453920.html
 
◆超巨大ドルメンの謎
http://blogs.yahoo.co.jp/doctor3044/23428074.html
 
◆日本古代文字~漢字以前の世界
http://ameblo.jp/soragoto/entry-10206664882.html
 
◆日本人の心の故郷(ふるさと)神社「神道」に触れてみませんか (*^_^*)v
http://isuzujinja.blog103.fc2.com/blog-entry-53.html
 
◆アイヌ文字 、アイノ文字、北海道異体文字
http://blog.goo.ne.jp/flatheat/e/fe96a6ccd7dee9e8b57541fd785885f1
 
◆記紀によって偽書に追いやられた日本の超古代文書たち
http://lucky2zacky.jugem.jp/?eid=626
 
◆南朝と竹内文書
http://f35.aaa.livedoor.jp/~shinri/nantake.html
 
◆竹内文献とは?
http://ikuno.lolipop.jp/piramido/hon/no01/part1/01-03takeuchi.htm
 
◆九鬼文献と高御位山と大本と「ウシトラの金神」
http://msouken.blogspot.com/2007/12/blog-post_18.html
 
◆「古代日本原記」日本人の先祖と建国黎明期に活躍した人々
http://www.syamashita.net/history/
第二章 太古の浪漫 弥生文明を先導した徐福
紀元前三世紀、戦乱の中国大陸を逃れ、縄文の日本列島に水田稲作・養蚕、機織り・漁獲用具等の
 
◆徐福伝説 - 古代神都・東三河
http://kodaishinto.my.coocan.jp/page006.html
東三河と徐福伝説 ----秦の徐福は東三河に定住していた!?---- 前田 豊
要約
 「徐福」東渡で、到着した地と言われる場所は、日本の各地にあるが、「本当に定
着した地」は、決着していない。
 古史古伝・「富士古文献・宮下文書」に記載されるところでは、「徐福」が目指した
地は「トヨアシハラミズホの国」であり、「ホウライ」と呼ばれていた。
 愛知県の東三河は、古代「豊国」「ホの国」と呼ばれ、ホウライ(鳳来)という地名
(町名)がある。 鳳来寺山は、古代の火山で、数千メートルの高さをもつ巨大な
「不二山」であったと言われる。 東三河は、この不二山の南山麓に位置する。
 そして、富士王宮と呼ばれたところが、豊橋市に3箇所(賀茂神社、浅間神社、
椙本神社)確認された。つまり、東三河は、まぼろしの「富士王朝」と関係があるよ
うだ。
 
◆上記(ウエツフミ)とは? - ウガヤフキアエズ王朝実在論
https://ugaya.jimdo.com/%E3%82%A6%E3%82%AC%E3%83%A4%E7%8E%8B%E6%9C%9D%E3%81%A8%E3%82%A6%E3%82%A8%E3%83%84%E3%83%95%E3%83%9F%E3%81%A8%E3%81%AF/
上記」「上つ記」「上紀」「上津文」. ウエツフミ 春藤本. <ウエツフミとは? >. それは、豊国文字という神代文字で書かれた「神話」であり、. わが国の成立過程を記述した膨大な「歴史書」でもあり、. さらに古代文明の記憶が満載された「百科事典」でもあります。
 
◆サンカ (民俗学)「山窩」「山家」「三家」「散家」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E7%AA%A9
 
◆サンカ(山窩)を考える
http://www.kumanolife.com/History/kenshi1.html
 
◆魂よ蘇れ サンカ(山窩)への想い
http://www.kumanolife.com/History/kenshi.html
なぜかとてもサンカと呼ばれていた人々に、またその生き方に惹かれています。
サンカと呼ばれていた人々が、終戦後しばらくまでは
少数ながら(それでも万単位で?)、 この日本に存在していたということを、
いつ頃に知ったかは記憶にはないのですが、 知るべくして知ったとでもいうのか、
今ではその存在が身体の一部のような気さえしています。
特に意識して関心を持ち始めたのは、都会から山奥の渓流へ来て、
しばらくテント生活を経験してからではなかったかと思います。
渓流のせせらぎやカジカの鳴声の中、 焚火を囲み、 眠りにつくといった生活が、
遺伝子の中に刻まれていた、かつて同じような生活を送っていた記憶を
蘇えらせたのかも知れません。