◆御家人 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/御家人
御家人(ごけにん)は、武家の棟梁(将軍)の家人の身分を指す語であるが、中世と近世では意味合いが異なる。
江戸時代には、御家人は知行が1万石未満の徳川将軍家の直参家臣団(直臣)のうち、特に御目見以下(将軍に直接謁見できない)の家格に位置付けられた者を指す用語となった。
御家人に対して、御目見以上の家格の直参を旗本という。
 
◆御目見(おめみえ)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%A1%E7%9B%AE%E8%A6%8B
江戸時代に大名や旗本が将軍に直接拝謁すること。また、その資格。「上聴」とも呼ばれる。

江戸時代の武士には、どの藩でも藩主にお目通りする資格がある「上士」と、それがない「下士」の区別があった。一般に「侍」(さむらい)と呼ばれたのは前者の方で、後者はかつて戦場でも騎乗の資格がなかったことから「徒歩」(かち)と呼ばれた。

幕府内では、石高一万石未満の徳川家家臣で、総登城や年賀節句など将軍が出御する儀式に参列することが許されている者を「旗本」、そうでない者を「御家人」と呼んだ。また旗本は、規模は小さいながらも実際に知行地をもつ一領主であったことから、庶民からは俗に「殿様」(とのさま)と呼ばれた。一方の御家人は、切米で俸給されたので「旦那様」(だんなさま)と呼ばれた。

江戸城内における年中儀礼の式次第や諸大名の格式をはじめ、故事、旧例、有職、法規などを網羅した注釈書『柳営秘鑑』には、以下の記述がある。

    一、那須七家、大關、大田原、蘆野、千本
      福原、伊王野、岡本、但太田原、大關ハ萬石以上、殊ニ大田原ハ城主
      其外、蘆野、福原等每暮參上、三月中頃
      御暇被下、月次(月例)之御禮、御白書院、御勝手ニ
      能有、御目見仕、伊王野、岡本ハ斷絕

近世武家社会において御目見は家督の相続に際して嫡子として認められる所作のひとつとなっており、成人の嫡子が存在しても御目見を済まさない場合は家督相続者として認められなかった。
 
◆江戸幕府の役職
https://ja.wikipedia.org/wiki/江戸幕府#江戸幕府の役職
・大名役
御側御用取次はもともと高級旗本の役職だったが、拝命後ある程度の時を経てから大名に取り立てられる場合が多かった。

    大老・大老格(幕府成立当初は大政参与も置かれたが後に大老と統一)
    老中・老中格
    側用人・御側御用取次

以上が幕政の首脳。このうち「幕閣」と呼ばれたのは大老・大老格と老中・老中格で、側用人・御側御用取次は時代や個人によってその権限に大きな差があった。

    京都所司代
    大坂城代
    寺社奉行
    若年寄
    奏者番

・旗本役
「旗本#江戸幕府の旗本」も参照

諸太夫役と布衣役を『天保年間諸役大概順』に拠って列記、これに支配関係と伺候席を参考として添えた。なお『諸役大概』に記載があるものの、それが役職であるか世襲職であるかが不明瞭なもの (林家が代々勤めた大学頭など)についてはこれを省いた。
 
◆旗本(はたもと)
https://ja.wikipedia.org/wiki/旗本
中世から近世の日本における武士の身分の一つ。主として江戸時代の徳川将軍家直属の家臣団のうち石高が1万石未満で、儀式など将軍が出席する席に参列する御目見以上の家格を持つ者の総称。旗本格になると、世間的には「殿様」と呼ばれる身分となった。旗本が領有する領地、およびその支配機構(旗本領)は知行所と呼ばれた。

元は中世(戦国時代)に戦場で主君の軍旗を守る武士団を意味しており、主家からすると最も信頼できる「近衛兵」の扱いであった。
 
◆江戸幕府の旗本
https://ja.wikipedia.org/wiki/旗本#江戸幕府の旗本
江戸時代の旗本は、三河から勃興した徳川氏の家臣が代表的である。ほかに北条、武田、今川の遺臣、大名の一族や、改易大名の名跡(を継ぐ者)、遠隔地の豪族で大名になりきれなかった名族、かつて戦国大名や、守護大名などであった赤松、畠山、別所、北条、富樫、最上、山名、武田、今川、大友、織田、金森、滝川、筒井、土岐、福島正則の嫡流、庶流の末裔などから構成されている。また幕初から中期にかけては、大名や旗本が幕府に認められて、分知によって分家の旗本家を作ることが盛んに行われた。

知行地の石高が高い者は、特に「大身旗本」と呼ばれる。彼らや旧家の子孫である旗本は寄合と呼ばれる家格に位置づけられ、旗本の中でも特別扱いを受けた。

旗本の中には参勤交代を認められた家があり、特に交代寄合と呼ばれる。交代寄合は石高が多い家が多いが、徳川将軍家の本家筋に当たる松平郷松平家(420石)や米良家(無高、米良山支配)など石高が少ない家もあった。
 
◆大身(たいしん)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E8%BA%AB
・原意は、身分が高く、禄高の多い者。富貴な家の当主、またその家そのもの。
・室町時代中期から戦国時代にかけては、国人領主の中で数郡以上を領有し大名並の勢力を持った領主のうち、鎌倉時代から連綿と続く氏族を一般に「大身」と呼んだ。
・江戸時代になると、3000石以上の寄合(旗本寄合席)、または2000石以上の旗本で守名乗り(かみなのり)ができた者を大身旗本(たいしん はたもと)と呼んだ。
・明治維新後になると「大身」は明治政府の高官を指す俗語となり、また後には大名華族や財閥当主などを指す慣用語ともなった。「大身」が死語化するのは、華族制が廃止され財閥が解体された昭和の戦後間もなくになってからのことである。
 
◆旗本寄合席(はたもとよりあいせき)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%97%E6%9C%AC%E5%AF%84%E5%90%88%E5%B8%AD
江戸幕府の3,000石以上の上級旗本無役者・布衣以上の退職者(役寄合)の家格。
正しくは、寄合という。旗本の家格にはほかに高家・小普請組がある。
若年寄支配。
交代寄合は旗本寄合席に含まれ、寄合御役金を支払うが、老中支配である。
幕末には交代寄合を含め180家が存在した。
 
◆若年寄(わかどしより)とは
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8B%A5%E5%B9%B4%E5%AF%84
1.江戸幕府の職名。老中に次ぐ重職[1]。本項で詳述する。
2.幕府と同様に、一部の諸藩に置かれた役職名。本項では簡単に触れる。
3.年齢の割に老けた外見の男性。
 
◆老中(ろうじゅう)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%80%81%E4%B8%AD
江戸幕府の役職のひとつ。複数名がその職にあって月番制で政務を執った。名称は三河時代の徳川家でその家政を司った宿老の年寄(としより)に由来する。年寄りを「老」一字で表し、これに「~の仲間一同」を意味する「中」(連中、氏子中、長屋中などに同じ)がついたものである。

老中の任用要件は、当初は家禄が2万5000石以上の譜代大名であることだった。しかしこの要件は薄禄の大名を排除するためのものではなく、家禄が要件に満たなくても譜代大名であれば才能次第で老中格(ろうじゅうかく)に登用される道が開かれていた。老中格は文字どおり老中より一段格が落ちるが、その職掌や責任はほとんど老中のそれと比べても遜色がないものだった。

なお諸藩では通常藩政を統括する者のことを家老といったが、藩によってはこれを老中と呼ぶところもあった。
 
◆【御家人とは】簡単にわかりやすく解説!!鎌倉&江戸時代の御家人について
https://nihonsi-jiten.com/gokenin/
2018/11/22
御家人という言葉は、日本史を学習する上で何度も耳にしますが、いざ意味を聞かれると戸惑いますね。
しかも、鎌倉時代の御家人と江戸時代の御家人は一見同じく、将軍の家臣のことを示すように見えますが、その実態はかなり違いがあります。
今回はそんな『御家人』について、鎌倉時代と江戸時代の違いも含め、簡単にわかりやすく解説していきます。
目次
    1 御家人とは
    2 御家人の成り立ち
    3 鎌倉時代の御家人
        ①御恩と奉公
        ②御家人になるには?
    4 江戸時代の御家人
        ①旗本と御家人
        ②御家人株と御家人くずれ
    5 鎌倉・江戸時代の御家人の違いを一言でいうと?
    6 鎌倉時代の御家人のその後
        ①2度の蒙古襲来
        ②御家人の窮乏
    7 まとめ
 
◆武士の仕事  旗本と御家人の違い - 歴史まとめ.net
http://rekishi-memo.net/edojidai/edo_bushi/bushi_hatamoto_gokenin.html
旗本の仕事
「旗本」とは、将軍直属の家臣団の事。
一万石未満の武士(一万石以上は大名)で、江戸に定住していた。
仕事は、江戸城の警備や将軍の護衛を任務とする「番方」や、文官である町奉行や勘定奉行、大目付、目付を始めとする幕府の様々な役職などだ。
文官は「役方」、軍事・警護系の役職は「番方」と呼ばれていた。
ただし、無役で暇を持て余す旗本も大勢いたのである。
旗本と御家人の違い

旗本の他に、将軍直属の家臣には「御家人」もいた。
旗本と御家人の違いは、将軍に御目見(おめみえ)(直接の謁見)が出来るか、儀式や典礼で、将軍の出る席に参列出来るかどうかが、両者の大きな違いだ。
旗本にのみ、これが許されていた。
 
◆御家人斬九郎 第1部 第1話
48,434 回視聴
https://youtu.be/-BXZ0JRoFPo
Malcolm Kreisler
2017/10/03 に公開
 
◆御家人斬九郎 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/御家人斬九郎
御家人斬九郎』(ごけにんざんくろう)は、柴田錬三郎による時代小説。
 
◆登場人物・キャスト
・松平残九郎(通称:斬九郎) - 渡辺謙
    9人兄弟姉妹の末子で、30がらみの男。余計者という意味合いで「残九郎」と名付けられたが、兄たちは長男と次男が父との剣の稽古での事故で死に、三男は養子に行き、姉たちは結婚したり大奥に上がったりしたため、家督を継がされる。誰に習ったわけでもないが剣の達人であるものの、遊び人かつ大酒飲みで、いつも褌が丸見え。また、他の兄弟たちは全く家に寄り付かないため、年中母と2人きりで暮らしているが、親子喧嘩をしないのはどちらかが家を空けた時だけというようである。30俵の家禄だけでは到底生活が成り立たず、罪を犯した者を幕府にも内密に首を討つ仕事を請け負う“かたてわざ”で、鼓の名手でプライドの高い、美食家の母を養わなければならない。最終回、下河原藩邸での壮絶な立ち回りの中、土屋左門の放った凶弾を浴び…
・松平麻佐女 - 岸田今日子
    残九郎の母親で、79歳になるが気丈で口達者。残九郎がこの世で唯一頭が上がらない「くそババア」。残九郎がかたてわざで得た報酬を、高級料亭の食事に注ぎ込む美食家。鼓となぎなたの腕は一流であり、鼓に関しては御台所の御前演奏を行ったほどの腕前で世に広く知られている。また、この時代の人間には数少ない英語を理解できる人間で、英語で書かれた暗号を解いたり、アメリカからの使節団の通訳などを行ったこともある。
・蔦吉 - 若村麻由美
    深川育ちの辰巳芸者で江戸っ子気質。武家の生まれだが、両親とは死別して植木職人、辰五郎の養女となる。芸者として多くの座敷に出入りしている事情通で、たびたび残九郎に有益な情報をもたらす。残九郎とは相思相愛だが、粋な性格が邪魔して素直に甘えることができず、顔を合わせれば痴話げんかになる。また、武家崩れの女をよく思われていないのか、麻佐女には贔屓にしていることをひた隠しにされている。なお、原作では“おつた”といい、残九郎の情婦というテレビ版とはまるっきり別設定となっている。本名は大沼妙子。
・西尾伝三郎 - 益岡徹
    残九郎の幼馴染で、北町奉行所の与力。甘いものが好きで、屋敷にいる時はいつも菓子をつまんでいる。残九郎は「雷おこし」というあだ名をつけている。真面目な性格(まるっきり堅物ではなく、賄賂を貰うことや粋な面もある)で、義理に厚く、役目のかたわら残九郎のかたてわざにも手を貸すことを惜しまない。妻・るいに強く出られない恐妻家だが、一人娘のゆき江は目に入れても痛くないほど可愛がっている。原作ではテレビ版と違い、残九郎に匹敵する達人とされている。
 
◆御家人
http://www.town.moroyama.saitama.jp/www/contents/1292978691696/index.html
鎌倉時代における将軍に仕える人のこと。御家人は幕府を支える基であり、鎌倉御家人とも呼ばれ、将軍から所領や家宅の安堵などの御恩を受け、幕府に対して軍役や大番役など奉公の義務を負った。
 
◆旗本御家人 - 資料一覧 : 国立公文書館
http://www.archives.go.jp/exhibition/digital/hatamotogokenin/shousai.html
将軍直属で知行10,000石未満の幕臣のうち、通常、将軍に拝謁できる御目見(おめみえ)以上の者を旗本、御目見以下を御家人と称していました。その人数は合わせて22,000~23,000人。老中や若年寄等の管轄下、幕府のさまざまな役職を務めましたが、役職の数には限りがあり、役職に就けない者もすくなくありません。希望の役職や昇進を求めて、猟官運動も盛んに行われました。