本日77回目の広島原爆の日。





式典をYouTubeにて拝聴。






今の世界の動きを見ていると

ボケっと生きていては簡単に飲まれてしまうなと思うほどの不穏な空気が渦巻いてる。

コロナウイルスが露呈させた知りたくなかった現実。

その中でさまざまな人の私利私欲が強くぶつかり合っている実情。

そんな世の中にただ翻弄されていることに嫌気がさす国民。

鬱憤がたまりにたまると危険。

戦争へと駆り立てやすくなる。

今、そんな空気が俄かに混ざっているような気がして怖い。

卵の殻のように薄い。

津波と同じだ。

はるか遠くに見えていたのに

あっという間に目の前にきて

気がつけば飲まれてしまう。

そんな時代の波が次から次へと生まれて大きくなってきているように感じます。







そんな時代の中で迎えた広島原爆の日。

とても大きな意味があると感じます。

核抑止力という言葉をよく聞くようになったなと思います。

核兵器を持っていれば戦争にはならない、という考え。

そうだそうだと声を上げる人は増えている。

日本も持つべきだ、と。

ウクライナは核を手放した後に攻め込まれたのだ、と。

しかし、本当にそうなのか。

核のボタンを押させるのは、そのボタンを押す人間の『人間観』なのだと思う。

その人間のもつ宗教観や思想に根付いてるので

核を持ってれば攻めてはこないだろうと思っても

例えば、自分さえ生き残れればいい、という思想の人間であれば平気でボタンを押すんじゃなかろうか。

ということは

“核を持ってれば大丈夫”

という考えはとても浅はかで頭の悪い考え、としか思えない。






人間は進化したのだ!!と、胸を張って言える動物になるべきでしょ。

それだけの脳を与えられたんだから。

きっと今が、同じところを回り続けるメリーゴーランドから降りる時なんじゃなかろうか。

頭を使って、心を使って

人間は進化して

核兵器ありきで考えている世界を抜け出し

“まったく新しい価値観のその中で生きることに挑むこと”が必要だと考える。

強さの価値感を変える。

富の価値感を変える。

権力の価値感を変える。

『今まではこうだったから』はもう通用しない。

まったく新しい世界をつくることにチャレンジするほうが絶対楽しいっしょ。

各国同時に核を手放したまったく新しい世界は真っ白なキャンバス。

「さー、何を描こうか、みんな?」

ってなれたら、本当に今必要な事、大事な事だけが描かれる気がする。

そんな世界を見たい。






不条理な怒りや悲しみや苦しみを繰り返さないために

核のないまったく新しい世界づくりに挑戦する気持ちで生きていきたい。