エジプト旅行⑥ギザのピラミッド2(水) | 柴犬カン、福の日記

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柴犬カンと福、筆者の出来事、想い、政治、経済、文学、旅行、メンタルヘルス、映画、歴史、スポーツ、等について写真を載せながら日記を綴っていきます。柴犬カンは2018年12月に永眠しました。柴犬福が2020年4月7日夕方にわが家にやってきました。その成長記録。

 いよいよチケットを切ってもらいエジプトの至宝ピラミッドに近づく。クフ王のピラミッドにまず近寄っていく。今は階段状になっているが、古くは石灰石で塗り固められていた。そして階段を登っていき、ピラミッドの中に入る。非常に狭い狭い道を中に進んでいく。体を相当小さく屈めないと中に入れない。カメラ撮っては駄目だということだったが、外国人がカメラで写真を撮っていた。すると日本のツアーの女性たちが、「ノーカメラ!!ノーカメラ!!」と言って叱っていた。日本女性強し!と思った瞬間だった。

 

 吉村作治教授が言っていたが、ピラミッドは断じて王の墓ではない。従って王様の棺が出てきていない。それが証拠である。何のためにこれを作ったのかは諸説あるが、農閑期の農民に対する公共事業で、なおかつ王の権威を示すために作られた、というのが吉村先生の持論で、私も同意見だ。その形が本当に不思議でパワースポットだと感じられた。欧米人はその力に振り回され迷ってるようにも感じられる。特にドルをすっているFRB連邦準備制度理事会が、未だにピラミッドとそれに目をつけている1ドル札を刷っていることを思うと、そう思わざるを得ない。フランスのルーブルの前にも透明な三角形のミニピラミッドが作られている。
 

 ピラミッドと言うと砂漠という感じがするが、意外と町に近いところにある。カイロ中心部から20kmぐらいの距離である。だからカイロからもちろん見える。そばには幹線道路もあるし、我々が泊まったホテルなどもある。建築中の博物館もある。ピラミッドに似合う動物はやはりらくだかなと思う。馬も結構いたのだが、らくだがやはり一番似合う。クフ王のピラミッドの頂点にあるキャップストーンはもはやない。そのかわり何かが建っていた。一方カフラー王のピラミッドの頂点はまだかつての石灰石を塗ってあった部分が残っていて、キャップストーンが残っている。カイロのエジプト考古学博物館にキャップストーンが展示されていたが、誰のピラミッドのものだったかちょっと記憶が定かではない。

 

 日本でも巨大な古墳は海沿いに建てられていて、今は埋め立てられてしまったが、仁徳天皇陵などは外国や地方から船で入ってくる人達が、巨大な古墳を見ながら日本に、大坂に入ってきた。力を誇示するためである。ピラミッドはおそらくそのような目的で作られたが、それにしてもどうしてこのような形じゃなきゃいけなかったのだろうかというのが不思議である。もっと利用価値のあるものであっても良かったかもしれない。ただそう言われると日本の古墳もなんであんなに巨大なものを作る必要があったのか、と言われてしまいそうだ。後々ラムセス2世は建築王と言われて様々な建築物を作ったが、巨大なピラミッドは作らなかった。理由はよくわからない。ちなみにこのギザのピラミッドの周囲に后の小さいピラミッドもある。

 

 クフ王のピラミッドは130万個もの石を積み上げて20年かけて作られたと言われているが、実は底辺の方の石は結構大きいのだが、頂上の方の石は小さいという。これは当たり前だが土台の方を固めて、徐々に積み上げていく中で、上の方の石を運ぶには当たり前だが、軽いもの方が良い。上には小さい石を積んだというわけである。つまり簡単な技術を忍耐強く繰り返したということが、このピラミッドの肝であるということが分かる。塵も積もればピラミッドになるということである。

 

 下の写真にあるようにカフラー王のピラミッドは上の方だけ白く石灰岩が残っていて、キャップストーンと言われる一番上の三角形の石も残っている。白い石を全体に塗っていたのが本来のピラミッドであるすると、太陽の光などで反射し大変綺麗だったのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

カフラー王のピラミッド↓

 

 

 

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