先日紹介した長州ファイブの井上、伊藤が日本に帰国するきっかけとなったタイムズの記事は、逆説の日本史20巻、「幕末年代史編3西郷隆盛と薩英戦争の謎」という本の中に紹介されていたものです。著者の井沢さんの許可なく載せてしまい謝罪申し上げます。まだマルクス主義が強い大学の歴史学者たちの立場からすると、井沢元彦さんは保守系の歴史家と捉えられるかもしれません。しかし私が読む限り、中立で、またその観点も私の考え方に大変よく似ていて、なるほどと頷かされることが多いわけです。私は文庫が出た時に買っているので、今では「逆説の世界史」すら出版されているそうです。機会があれば読んでみたいと思っています。
私が今歴史で興味を強く持っているのは、古代天皇家の起源はどこなのか。そして邪馬台国は、九州の勢力はいつ近畿に移動していったのか、という問題と、もう一つは近代国家が成立する明治維新直前の日本の動き。このふたつが非常に私の興味をそそられていて 、NHKの大河ドラマ「西郷どん」は大変つまらないのでありますが、反幕府勢力、また幕府勢力、様々な立場をとる人たちが次々と立ち上がり、暗殺され、それを繰り返していきます。私の理解では、旧体制を守ろうとする、幕府を立てていこうという人たち。京都では会津や福井などの松平家の人達、薩長でも幕府を改革して国づくりをしていこうという立場の人たちがいました。一方、天皇を立てて、新しい国家を作り、幕府側を全て潰してしまえ、と言う考え方。そして外国船は直ちに打ち払い、切りつけてしまえ、と言う、まあ今で言う右翼の青年将校のような形でしょうか、ネットでも実際の行動には移さないわけですが、尊王攘夷でガチガチに外人を排除してしまうと言う立場をとる人たちがいます。そしてその幕府側と尊王攘夷の中間の人たちが、坂本龍馬であり、勝海舟であり、西郷であり、大久保であり、高杉新作であり、桂小五郎であるのだと思います。結局このような中間派の人たちが勝利したのが明治維新でした。日本がその後うまくいった最大の理由は大攘夷に属するこれらの人たちが政権を取ったからだと思います。
龍馬の弟子だった陸奥宗光が、やがて外務大臣になり、不平等条約を解消すると言う活躍をします。彼は明治政府に用いられずくさっていたところ、伊藤博文の助言でイギリスに留学し、それが出世の原動力になりました。この中間派の人たちは、留学をしていたり、また西郷は外国には行っていなかったのですが、尊敬する島津斉彬から薫陶を受け、広く世界の潮流を知り、大きな目線で外国と対抗して行こうと言う、結局この勢力が政権を取ったのが最大の日本が植民地化されずに済んだ大きな理由でした。
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