戦争の話は聞きたくない(木) | 柴犬カン、福の日記

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柴犬カンと福、筆者の出来事、想い、政治、経済、文学、旅行、メンタルヘルス、映画、歴史、スポーツ、等について写真を載せながら日記を綴っていきます。柴犬カンは2018年12月に永眠しました。柴犬福が2020年4月7日夕方にわが家にやってきました。その成長記録。

 何回目の敗戦記念日だったのか分からない。8.15。終戦でも良いが、歴史を直視するなら敗戦だ。なぜ戦争に負けたか、冷徹に検証する必要がある。ただ、国に命を捧げて散った日本兵を供養しても駄目だ。情緒的すぎる。もちろんそういった祈りも必要。これは確かで、各国に、近代国家においては、国に殉じた兵を祀る施設がある。無宗教の場合もある。アーリントン墓地のようなもの。また先日沖縄に行ったときに見た平和の礎(いしじ)、もある。国をひとつにまとめるための工夫だ。トーテムポールのようなもの。
 私はどうも明治以降、近代に入って建てられた神社は昔の香りがしなくて、また、政治のにおいがぷんぷんして嫌だ。明治神宮。靖国神社。私の住む埼玉県には、鷲宮神社、大宮の氷川神社などがあるが、政治のにおいがせず、悠々としている。
 よく日本史の授業で、高校教育では近代を教えないといわれるが、たぶん教えにくいのだろう。教科書を読むと、明治以降の記述は、基本的にマルクス主義の含まれた進歩主義が顔を出す。そしてそのスタンダードで江戸時代や、中世を見ようとするとおかしなことになる。これは欧米の進歩主義だ。さらに進歩主義に朱子学が混ざってくると、今の中国、韓国のようになる。
 日本の歴史は敗者に寛大だった。これはローマ帝国にも共通する。弥生以前の日本は多くの民族や文化を導入してきた。聖徳太子という人物はいなかった、という説もあるが、西暦600年ころは日本国内はかなり多民族国家だったと思う。聖徳太子は7カ国語が話せたらしい。また、中国語の文章を読めたといいつたえられている。
 芥川のいう、つくりかえる力、は今こそ必要なのではないかと思う。
 でも今は、原発事故も、戦争の話も見る気がしない。よくもまあ、朝まで生テレビや、NHKでの討論番組など、見る人がいるものだなあと思う。
 戦争も沖縄から見ると違って見える。6.23が沖縄の終戦。
 今日は診察日。4週間ぶり。主治医は休みを取って北海道をぶらり旅してきたという。私も「遊びすぎました・・・ハハハ」と話した。富士山に登ったこと。三保の松原に行ったこと、を話した。話は高齢者の余暇についてに及ぶ。雑談して終わる。次は3週間後にということになった。
 薬は変わらず。プロチアデンはマックスで変わらず。また、サインバルタという薬。私の友人は、飲むとおなかの辺りがむずむずするような落ち着かない感覚になったという。もちろん今は彼には処方されていないらしい。私は20mg/day飲んでいるが、かなり聞いている感じ。動ける。頭が回る。なんかハッピードラッグみたいだ。かつてプロザックがそう呼ばれたように。トレドミンに比べると、ノルアドレナリンよりもセロトニンに作用するようだ。私はかつて主治医にセロトニン不足のうつですね・・・ハハハ、といわれたことがある。食欲や睡眠などに作用する神経伝達物質だ。
 そういえば、レスリンを25mg、寝る前に飲んでいるのだが、レンドルミンなどを併せて飲むとものすごく眠くなる。かつてデジレルをのんだが、あまり眠くならなかった。今はじめてレスリンの効果を感じている。


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