私は祖母の介護が終わった後に

2匹のワンコの介護をした

 

ワンコは柴犬

 

柴犬は皮膚疾患も多いけど

病院の先生が言うには

認知症もなりやすく

人間で言う中るという

脳の疾患にもなりやすいらしい

 

最初に亡くなったワンコは

認知症にもなったし

中ってしまって

歩行も最後の方は

ままならぬようになった

 

でも

後に亡くなったワンコは

小さい頃から

皮膚疾患はあったけど

認知症にもならなかったし

中ったりもしなかった

 

でも先生も分からない様な

人間で言う難病疾患である

肺炎に

亡くなる2年ぐらい前に

なってしまった

 

咳が頻繁に出て

聞いてるこちらは

本当に辛かった

 

辛いのはワンコだと

分かっていたから

辛かった

 

そして亡くなる1年前ぐらいだったかに

咳が大分酷くなってきて

ワンコの酸素ハウスを

レンタルした

 

咳が出れば

体力も落ちる

 

でも

本当に最後の最後まで

凄く頑張った

食事は色々工夫が必要だったけど

目もしっかりしていて

いつも若い頃と同じように

色々なものに興味を持ち

咳が出るのは苦しかっただろうに

散歩もして

何も変わらずだった

 

亡くなる1週間前ぐらいから

熱が出るようになって

不整脈も起きて

咳も結構出て

痰も絡んでるような感じだった

 

獣医さんはこの時

「安楽死」

という言葉を提示した

 

私は先生に言った

「死ぬときまで

人間が手を貸すのは

私には考えられない

最後は自分で選択させたい」と

 

先生は

「それなら

病院で治療するのも

人が手を貸してる事になる」

って言ったけど

 

そもそも

命が誕生した時点で

人も犬も全ての生き物は

命を守る為に動く

自分の命が危ないと思ったら

それなりの行動をする

 

だから、病院での

病気の治療は

生きると言う本能の手助けであって

それとは反対の

「死」へのお手伝いを

すると言うのとは

違うと思った

 

見てる方は可哀想だし

楽にしてあげたいってのも

あるかもしれない

 

先生はこうも言った

「動物は苦しいか苦しくないかだけだって」

 

でも私は思った

それ以外にも

恐いとか嬉しいとか

沢山の感情があるって

 

言葉を話せない相手だからこそ

沢山沢山考えた

 

でもやっぱり

母も私も

「安楽死」の選択はなかった

 

「安楽死」

それは

苦しんでる姿を

見たくないって言う

人間の勝手な感情じゃないのか?

 

人間の手によって

勝手に産めや増やせやと

商品のように扱われる

日本のペット社会

 

形が綺麗で

可愛い顔をしていれば

価値があるとみなされ

耳が少し傾いていただけでも

価値が下げられる

 

そうやって

人の手で命はコントロールされる

 

それなのに

死ぬときまで

人間が手を出していいものか

それを思った

 

私はワンコに言った

 

「うちの子になった以上

安楽死はさせられない

もし苦しいのが嫌なら

頑張って乗り越えるしかない

だから頑張って欲しい」

って

 

死ぬときぐらい

自分で選択させたい

そう思った

自然に任せたいと思った

 

苦しんでる姿を

見たくないって思うけど

その苦しんでいる姿を見て

一緒になって苦しんで

最後まで一緒に闘う事

それが

動物と暮らすと言う事でも

あるんじゃないかって

 

人それぞれの

死生観は違うけど

 

私はそんな風に思いながら

一緒に闘ったつもり

 

そして

最後にワンコは

ご褒美をくれた

最後の最後まで

必死で立ち上がり

フラフラしながら歩き

少しの食べ物と水を口にした

 

自分が元気な時にいた場所を

一通り歩いて確認して

そして

息が苦しくなって

そのまま亡くなった

 

その最後の姿は

何物にも代えがたい

ご褒美に思った

この子が

こんな性格だった事

最後までプライドの高い

人に心配させまいとする優しさ

 

「安楽死」を

選択していたら

この子の

本当の最期を

私たち家族は

見ることが出来なかっただろう

 

そう思う

 

もう

ワンコと暮らすと言う

選択は無いかもしれない

 

でも

いつか

今迄一緒に暮らしてきた

ワンコ達へのお返しの気持ちも込め

保護犬保護猫などの

ボランティアが出来たらいいなぁと

そんな野望を抱いている私でした