薬が切れそうだったから、以前から知っている医師を訪ねて、処方箋をもらった。
いつもの家族経営の薬局に立ち寄る。いつもの人々。処方箋を渡したあと、少しよもやま話。以前より、少しだけ距離が遠いかな、という会話。
あ、これが social distance なんだね、きっと。2メートルあるかな?
でも、変化はその程度。
一方、薬局の前に訪れた医院の入り口には看板が立てられていた。
発熱者、感染症の疑いのある人たちへ、医院が求める行動指針の書かれたnotice だ。
エレベータのボタンをはじめ、患者が触りそうな箇所はすべてラップされていた。
それぞれの診療科の受付の女性もドクターも、防護服を着ていた。
多くの患者に接するのだから、診療側のこうした姿は納得できる。でも2日前まではちがったから、慣れないぶん、違和感と驚きがあった。
薬局で薬ができるのを待っていた。
この薬局は、自宅と、自宅の隣駅のあいだにあるから、ふだんは、処方箋をおいたあと、隣駅の駅前のスーパーなどで買い物をして、帰りがけに、できあがった薬をもらって帰宅している。
ただ、今日は薬局で薬を待つことにした。
ふだんは一日に何か所かのスーパーをまわる。でも、「80パーセントの接触を控えましょう」と呼び掛けられたために、これからは、1日に、1つの方角だけで買い物をするようにしようと、僕は意識を変化させていた。
今は、物流の悪さもあって品がそろわないためか、どのスーパーもチラシを出さないから、これまでの曜日ごとの販売傾向で、その日に訪れるスーパーを決めることにした。今日は隣駅のスーパーでなく、別方向の店に行こうと思っていた。
その薬局は、店の中央で、化粧品セクションと調剤セクションに分かれている。角店で、メインエントランスから入ると、化粧品セクションが広がり、横の入り口から入ると調剤用の処方箋窓口がある。たぶん20年間、僕は、つねに横から入っていた。自由に行き来できるのに、化粧品セクションに足を踏み入れたことはなかった。
今日は手持ちぶたさだったから、はじめて化粧品セクションに入ってみた。調剤セクションでは見つけられなかった、殺菌・滅菌用のエタノールなどがあるかな、というのも理由のひとつだった。結局、ああ、こういう商品陳列になっていたんだとぼんやりわかっただけで、調剤セクションに戻った。時間にして5分くらい。戻って、僕は立ったまま薬を待った。
20年以上のつきあいなのに、あっちに行ったのは初めてだったかも…
自分の行動に「ほぉ」と思っていると、30代くらいの女性が入ってきた。
処方箋を置いて、彼女は僕を認めた。少したじっとしたように見えた。そして、立っている僕がその後どう動くかを見極めようとしているみたいだった。でも僕は動かなかった。それを確認すると、彼女は僕からいちばん遠くの椅子に腰かけた。
数分のあいだ、僕は、ちらちらと視線を感じていた。
見知らぬ人どうしがもっとも遠い距離をとろうとするのは、当たり前の話だと思う。ただ、最初の「たじっ」が、なんとなく引っかかった。彼女は、一緒の空間に僕がいるのもいやなのかもしれない、と感じ始めていた。
いたたまれなさを感じた僕は、電話をしてきます、と店の人に声をかけて外に出て、ひだまりで日向ぼっこをしていた。数分後に店に戻ると、彼女の薬のほうが先にできて、ちょうど受け取ったところだった。彼女のそばを通り抜けるときに、彼女のからだがかたくなったみたいに思えた。もちろん気のせいかもしれないけれど。
薬をうけとって、スーパーに向かった。
スーパーは、それなりの人ごみった。老人たちはこれまで通り、僕のそばを服が触れ合うくらいに通り過ぎて行った。でも、若い女性たちはちがった。すれ違う距離に来ると、僕を遠巻きにする。昨日までとはまったく距離感がちがう。
棚の商品を選んでいる女性のうしろを通ろうとしたときには、通路を近づいてくる僕に気づくと、僕の接近に合わせて、からだの向きを少しずつ変えたり、棚にくっつくような動作をしたりした。
何、これ?
これも social distance なのかな?
僕らの年代は、「人の前を通り過ぎちゃいけない」と教わって育った。子どもの頃から、すれ違いそうなときには、その人が先に行くのを待って、うしろを通っていた。その教育はすっかり僕の心のまんなかに腰をおろし、すっかりいい歳になった今でも、すれ違う人を先に、と思ってしまう。
20年ほど前、街を歩く女性たちの多くが、「人の前を通る」ようになったと気づいた。わりと突然そういう女性が増えたから、僕は驚いて、当時、仕事で近くにいた若い女性にこうたずねた。「男女雇用機会均等法」が施行されて十数年がたっていただろうか。
「最近、女性誌とかのムーブメントで、「すれ違うときに相手に道を譲ったら負け! 前を歩くようにすると意識が変わって出世もできる」みたいな記事が多いとかない?」
そんなことはないと思う、と彼女はいい、私は人の前を歩くことはしません、と言った。
でも、女性たちが、すれ違うときに人の前を行こうとする傾向は、その後、確実に強くなっている。
だからこそ僕は、今日の女性たちの行動に、とても驚いたのだった。人の前を通るのが当たり前のように思えていた女性たちが、人を避けるようにしている。その行動は、ある人々を想起させた。
バブルがはじけたあと、新宿の高層ビル街への通路に多くのホームレスが住みついた。僕はそうした人を見てもあまり気にならなかったが、知り合いの女性の半数以上は、彼らのそばを通り抜けるときに、悪臭のするごみのそばを通るかのように眉をひそめて、遠巻きに通った。頻繁にそこを通る気の強い女性は「あんなくずたち、死に絶えればいいのよ」と苦々しく吐き捨てていた。
今日、出合った数人の女性は、僕にそのことを思い起こさせた。近寄る僕は、ゴミだったのかな?
彼女たちの反応は、僕に対してだけのものではなく、自分以外の知らない人々に対しての反応なのだろう(僕に対してだけだったら、どうしよう…?)。
「社会が分断されるかも」
宣言が出せれる前に、そう話していた評論家がいた。
どう分断されるというんだろう、と僕は思っていた。
なるほど…、彼は正しかったかもしれない。
そういえばサリン事件のあと、地下鉄で奇妙な緊張感にさらされたことを思いす。
それまでどの駅のプラットフォームにもあったゴミ箱がすべて撤去され、「不審な人物や所有者のわからない荷物を見かけたら、すぐに駅員に連絡をしろ」、というアナウンスが流れるようになった。
僕の知るかぎり、こんなアナウンスが日本で流れたのは初めてだった。
アナウンスは、テロ行為はゴミ箱にも潜んでいる、人やものを疑え、と言っていた。社会が平然とそれを告知することに、僕は面食らい、そして、本当に近くにいる人や、近くにある不審物に気を遣うようになってしまった。
それがまた。起ころうとしているのかもしれない。
非常事態宣言は大切だったと思う。
この事態に必要な緊張感も確かに増した。
ただ、宣言がなされる前と後の、たった2,3日で、こうも人は変わってしまう…。
関東大震災の際、日本人が極端に動いて、他国人を殺害したこともあるらしい。
今日、そして、かつてのサリンのあとに僕が抱いた感情は、これに近いのだろうか?
日本人の意識が「分断」や「敵対」に動かないでほしい。
せつに願っている。