「お席をどうぞ」というテーマからは外れるけれど、これも親切な外国人の話。でも、いやな気分の残る逸話という点は、残念だ。

 

ニューヨーク郊外の、バスで出かけていくような広い敷地でのできごとだ。

アウトレットだったのかもしれないが、平日の午後のことでにぎわいもなく、あちこちにあるいくつもの建物と、まばらな人影が印象的だった。人がいないためか建物から隣の建物への距離が、やけに遠く感じる。

 

ある建物を出て、隣の建物へと歩き始めると、100メートルくらい前を白人らしい男性がひとりで歩いていた。とちゅうで彼は振り返り、僕らの姿を認めたようだった。彼は間もなく次の建物にたどり着いて扉をあけた。そして、扉を押さえたまま、そこに立った。

 

次の人のために扉を押さえ続ける。僕もよくする行為だ。海外では、日本の10倍くらいよく出くわす。でも、歩いてたっぷり1分ほどかかる距離でのそれは、まず、ない。

 

だから、我々のための行為だと初めは思わなかった。でも、周囲には誰もいないし、彼は相変わらず扉を支え続けて、こちらに顔を向けている。我々のために、だと明らかになった以上、長く待たせては…。ついに小走りになって扉へ向かった。

 

扉にたどり着く。

彼は僕らを迎え入れると、にっこりとして扉から手を放した。

“thank you.”

走って上がった息で弾むように言った。彼の顔を見てそう言ったはずなのに、髪の色も顔のムードもまるで覚えていない。人物の印象が飛ぶほどの意外なできごとだったのだろうか。

彼は、“no problem.”とだけつぶやいて、何ごともなかったように歩き去った。

 

あんなに遠くから扉を開け続けるなんて…、なかば感動し、なかばあっけにとられながらも、欧米人の親切心は、ここまで大きくゆったりしたものでもあるのかと、強い印象が残った。

 

帰国後、ある出版社に企画を持ち込んだときに、この話を披露したことがある。僕より少し年齢が若い編集者を相手に。

「本当ですか?」

「ええ。扉を開け続けてくれるには長い距離ですよね。だからこそ覚えてます」

「盛ってる、でしょ?」

「盛ってる、って?」

「大げさに言ってません?」

「え? 本当の話ですよ。正確な数字はわかりませんけど、歩いたら1分くらいはかかる距離でしたから」

「前の人まで何分かかるか、わかる、なんていうのも嘘っぽいですね。わかりっこないです」

どうしたら、いいかな、と困り始めていた。べつに信じてもらう必要もない。企画の話をしに来たのだ、そちらに話を戻さないと…。でも、相手の頭には、もうその話しかないようだった。

 

「あなたに話を盛っているつもりがないとしても、そのアメリカ人への好意が、ごく自然に話を大きくしてるんですよ。無意識に正確さを欠いているんです、あなたが!」

 

どうして彼が、そんな攻撃的な方向へとシフトしたのか、なぜ自分の頭でつくりあげた理屈が、実体験よりも正しいと主張したがるのか、見当もつかなかったけれど、「本当の話ですよ」を繰り返したら、そのぶんだけ、彼の感情が激しさを増しそうだということだけは、わかった。

それとも企画を持ってきた初対面の人間を試すための、彼なりの手段なのだろうか?

 

いずれにしてももうこの話は切り上げよう。企画の話も、この会社の別の人とすべきだろう。

「体感的には本当に1分くらいは、と感じたんですけど、断言できることじゃないですよね…」

「ほら、認めた。ものごとは正確に言うべきだし、あなたのような嘘は、簡単にばれるんです」

 

勝った、というような満足げな表情が広がった。正確破綻者に絡まれたと思おう、こんな奴「も」、世の中にはいて名の通った出版社の編集者をしているんだ…。それが現実だ。僕は、心のなかでため息をついた。ため息で終わる、と思っていた。

でも、彼は続けて「長い説教」を始めた。もう耳は何も聞いていなかった。

 

扉をあけ続けてくれたアメリカ人の姿を思い出していた。

無邪気さはいいな…。底意地の悪さを目の当たりにして、扉のアメリカ人も、長い距離を小走りした自分も、無邪気だなあと思った。

こんな奴は、締め切ろうとした鉄の扉に、自分のからだを挟まれてしまえばいいのだ。

 

あのときに訪れた出版社がどこだったか、その後、何度か思い出してみようとしたけれど、ヒントのかけらさえ思いつけなかった。脳がその記憶をすっかり抹消したがっているようだ、と思った。

「パワハラ」などという概念は当時はなかったが、年齢を考えると彼はまだ現役かもしれない。

 

 

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