3.11②からのつづき

 

今年は3.11の前に休日があるな。久々に福島に行こう。といわきに向かった。

今回の目的は、「これから何をしようとしているのか」を知るため。

訪れた施設は2か所。

 

1ヶ所目:リプルン福島

ここは、放射性物質に汚染されたごみの埋立処分についての情報館。

まず、入場すると「ご案内しましょうか?」とすぐに声をかけてきた。

案内を聞きながら施設を見学。

近代的な施設に「お金かけてるねー」という印象。

すごくキレイで、図解で子供でもわかりやすく遊びながら学べる。

話しをしていると「興味を持ってくれてありがとうございます。」と言われた。どういうこと?

 

こんな感じで扉を開けると説明が書いてある

 

タブレット持ちながら写真を撮ったので曲がっちゃってます

すみません

線量が低いもの(生活廃棄物含む)は福島で埋め立てるとのこと

 

線量が高いものは、コンクリートを混ぜて30年間保管後、他県に引き取ってもらうとのこと

その加工工場の模型がこれ

緑色の柵のところまでは機械で行うらしい

要するに 線量が高いから機械で とのことらしい


次の施設にへ行くために中通りに向かって走る。

途中、大熊町を抜ける。帰還困難区域だ。

以前感じた「人が放棄した場所」の感覚はなく、工事が何箇所も入り、帰る人々を受け入れるためにひっそりと息を潜めている感じで帰還困難区域という感じはしない。ただの山道という感じ。

ただ、民家の玄関前にはバリケードがあり、スクリーニング場が設けられていて、そこで、そうでした。と、思い出させる。

※その①での帰還困難区域について



2ヶ所目:コミュタン福島

原発事故に関する映像や福島第1原発の模型、放射線に関する情報や今後の環境について知ることができる施設。

 

残念ながら、写真を撮っていいかわからなかったので、写真は撮らなかった。

でっかいシアターもあり、今後の取り組みなどを映像でも知ることもできる。

そして、このシアター、世界に2つしかないらしい。大・迫・力!!!

福島県は「原発に依存しない社会づくり、再生可能エネルギーの先進地区を目指す。」と謳っていた。

施設全体的に見応えがあり、全部見きれなかったので是非、また訪れたい。

ここでもスタッフの方から「ご案内しましょうか?」と声をかけられ、福島第1原発の様子を模型を見ながら詳しくお話しをして下さった。

この方、実際にチェルノブイリやフランス、福島第1原発内にも行かれたことがあるとのこと。

また、別のスタッフの方にも声をかけられ、「この施設、あまり知ってる方が少なくて...」と、ちょっと残念そう。

興味のある方は是非行ってみて下さい。

結構おもしろいですよ。


 

おまけ:富岡駅

2017年10月に開通した富岡駅

人が生活している感を感じた

 
駅の裏にあったフレコンバッグはなくなった
ま、移動しただけで地球上からはなくならないんだけどね
 
帰宅後、うち(シェアハウス)に
浜通り出身の住民がいて、彼が、
「テレビみてたらさ、津波被災地からです。って、それが三陸エリアで。あー、三陸かー。って。
うちも被害受けてるんだけど原発被害ばっかクローズアップされて、津波に関しては全然なんだよね。
そこなんだよ!ほんとそこなの!
津波被害にあった人の話聞くと、マジ壮絶だよ。オレの知り合いもまだ見つかってない人いるし。
福島もこれからちゃんと生活できるようにがんばってんだからさ、もっと気にして欲しいよね。テレビとかでやっても、テレビ、あんま見ないじゃん。どうしたらいいかわかんないんだよね。」
とのこと。
 
コミュタン福島のスタッフさんも
やっぱり行ってみなきゃわからないですよ。と。
 
同感。私もあの時、飯舘村を通らなかったら、
今みたいに気にすることはなかった。
全てはあの時から始まった。
 
是非、一度福島に行ってみて下さい。

3.11①からの続き

 

2017年8月

久しぶりに福島に行こう。と、いわきに向かう。

ただ行くだけではなく現地の様子が知りたいと、たまたま見つけたいわき復興支援・観光案内所が開催している「双葉地区/久之浜地区コース(原発事故被災地域の視察)」に参加した。

いわき在住のガイドの方が、いわき周辺在住方々、町、くらし、農業、漁業、津波被害地、原発被害地、再生可能エネルギーの施設のなどの様子を話して下さった。

ツアーの最後は、津波から難を逃れた語り部の方から津波発生当時の様子を伺った。

報道や、本では公表されていない生の様子。

そうなのか。と思うこともあったが、メモを取っていなかったので残念ながらあまり覚えていない。

とりあえず印象的だったものを何点か。

 

 

印象的だったもの①

夜ノ森駅構内

 

帰還困難区域になっており、その角を曲がるとバリケードに「この先帰還困難区域」という看板が立っている。この間、線量計はピーピー鳴りっぱなし

 

柵の向こうの家はぬいぐるみが置いてあったり、カーテンが開いていたり、生活していた跡がそのまま残されていた。

 

 

印象的だったもの②

開通前の富岡駅

 

駅の裏側は大量のフレコンバッグが置いてある

 

 

印象的だったもの③

いわき市地域防災交流センター久之浜・大久ふれあい館

 

万が一津波が来ても、下がガラス張りになっていて、水が抜けるようになっているとのこと

 

エレベーターが浸水しないように板があがる

すごい!めっちゃ学習してる!

 

 

実際に津波が来たエリア

キレイになって家も建ち始めている

 

 

四ツ倉港

うっすら赤字の×がついているのは、線量が高かったため、近付くなという意味とのこと

 

 

つづく


3.11③はこちら

 

昨日で東日本大震災から8年

あの日、トイレで歯を磨いていて

「これはやばいかも?」と、飛び出た日から8年...

 

2015年3月11日

私の意識が変わった日。


3/10に復興ライブを観に行き、翌朝、福島市から浜通りに移動する予定だった。

だが、前日からの大雪で磐越自動車道は通行止め。

ノーマルタイヤでチェーンすら持っていないアホな私。←東北ナメてるw

そこで、チェーンを買いに行きがてら、店員さんに抜け道を聞く。当時は原発事故の影響で通行止めになっている県道が多く、通れる道が限られていたが、ここなら路面の心配もそんなにいらないのではないか、と教えられた道路を浜通りに向かって走っていた。

しばらく走っているとやがて「飯舘村」の看板が見えてきた。

たしか飯舘村って、全村避難している村じゃなかったけ?そんな軽い気持ちと放射線量大丈夫かな?と少しの心配を抱きながら、ただひたすらに走っていた。

当然、人は誰もいない。車だけが往来する村。

そこで見てしまったもの。

大量のフレコンバッグ。ただの家庭ごみの様にそこら中にある黒い塊。しかも大量に!道の両側の畑いっぱいに!家の庭に!!!本当に、ただごみの様に置かれていた。

 

ぶわ~ッ

大量の涙があふれだす。

こんな状況なのになぜ国は村民を戻そうとしているのか!

こんなとこに住めってどういうこと?!

片づけるから今後は戻れますよー。ってお前は住めんのかよ!

怒り、無力、適当、嘘つき、悲しみ

なんの感情かわからない感情が溢れ、ただただ泣くことしかできなかった。


その後、南相馬からいわきに向かって常磐道を走る。

IC、道路脇には線量を表す看板が立っているが、はたしてその数字が高いのか、どんな影響があるのか、全くわからない。

途中「ここから帰還困難区域」という看板が立つ。

海側には福島第1原発の煙突が見える。

山側は人間の手が加わっていないことを喜ぶかのように、力強く生い茂っていた。

「人間が放棄した場所」そんな印象を受けた。


見てしまった。この景色を見てしまった。空気を感じてしまった。

何もしなくていいのか?見てしまったのに?感じてしまったのに?

 

この日から原発関連の記事を読み、本を読み、映画を観た。

そしてその後、2回福島に行っている。

 

つづく


3.11②はこちら