今日の朝日の橋本治の寄稿が面白い。
民主主義政治という建前だが内実は身内政治であり、それが為に国民の声は(選挙に勝ちさえすれば)無関心でいられるが、身内から異端児が出ると非常にやり辛いとの事。
典型例が小泉純一郎。またかつて自民を見限った舛添絡みで都知事選の推薦が揉めた経緯を見てもそれがよく表れている。
身内(与党)で仲良くやりましょ的な発想だからこそ、政策の是非より所属をより意識するし、門外の連中がうるさくなると政策の在り方を見返すより「和を乱す邪魔な存在」として扱われ易い・・・等々。
http://www.asahi.com/articles/DA3S10962582.html

非常に分かりやすい組織的構図だ。
国のトップがこれなんだからブラック企業やイジメを無くそうと言ってみてもまぁ極めて困難だろう。
関係無いが学校を出ると明らかに犯罪行為でしかないものが学校だと何故「イジメ」という矮小化された言葉で一括りにされてしまうのだろう。
また、報道で「友人によるイジメが原因で・・・」という言葉をよく耳にするが、そんな輩が友人であるはずがないではないか。「同級生による嫌がらせ」で充分だと感じるのだが。
年明け早々、何とも残念なニュースだ。

最近では「そこまで言って委員会」の人気もあり、全国的に良くも悪くも知名度だけ一人歩きしていたように思うが、アレはアレで彼のエンターテイメントの一つに過ぎないし、またその中でも専門外の事柄を多く扱う(彼の守備範囲は芸能ニュースや番組視聴率分析・・・で毒づく芸)とあって、「そこまで言って委員会」の中では知識層と見做していたパネラーを尊重しむしろ発言を抑えていたし、どちらかといえば言動において暴走していたのはサブの立場の辛坊氏であったと言える(まぁ橋下の政界進出の後押しをした側面もあるけれど)。

Twitterの中ではたかじんのせいで関西にはレイシストに鈍感な素地ができたのではないかという批判もあったが、それは完全に他の(関西ローカル)レギュラー番組におけるたかじんの姿を見ていない者の的外れな雑感であり、少なくとも批判者は関西人ではないだろう。

勿論、関西におけるたかじんの影響力は凄まじく「たかじんが出てるから」というだけであの番組を見て、潜在的に、偏ったパネラーの思考に染まっていった層もいただろう。だがそれは「たかじん」というブランドや偏ったパネラーを起用した制作者側の問題で、たかじんはあくまで「たかじん」という芸を貫き通していただけである(本業は歌手だけど)。

むしろ昔から関西でたかじんを見てきた側としては「そこまで言って委員会」のたかじんの「おとなしさ」がある種物足りなかったぐらいだ。

「たかじんnoばぁ~」や「たかじんONE
MAN」、「たかじん胸いっぱい」の時のようにもっと毒づいて欲しかったし指差し棒を折るぐらいの勢いでバンバン過激にやってもらいたかった(笑)

三宅さんや田嶋さんの喧嘩芸にも気兼ねする事なく「じゃかましいわ!」と一喝したり、荒唐無稽な主張に対しても「アンタ、脳みそ大丈夫でっか?」と言ってしまう姿が見たかった。それこそがたかじんが関西においてあそこまでの地位を築けてきた所以であり、大人しい「たかじん」など芸人(歌手だけどw)としてのたかじんの魅力が無くなってしまう。


そしてついに本業の歌手としてはほぼ無名のまま終わってしまったのが切ない。

結局最大のヒット曲って黒歴史「砂の十字架」(ガンダム劇場版主題歌)なのだろうか?それとも有線大賞を受賞した「東京」なのだろうか。

まぁ私は「やっぱ好きやねん」が一番好きだけど。

紅白には出ないキャラを通していた人達が齢を重ねるごとに出場しだしている中で、NHKの体質を自身の番組で公然と罵倒しまくったうえでNHKだけには絶対に出ないと明言し、ついに最後まで紅白に出られなかったのもたかじんらしい最期だったと言えるだろう。
事のきっかけはTwitter。

以前、ニコ生に於いて天理教の悪口を言われたものでついカッとなって「じゃあ直接スカイプで話し合いましょう」となったものの相手にとっては日蓮正宗以外は邪宗というのが前提であり、天理も同様その低いレベルの教えに依拠する事は不幸を招く結果となるから「本当の教え(日蓮正宗)」に早く従った方が良いですよとの事。
まぁそれが彼らなりの折伏であるとは知ってはいたものの、やはり正直気分の良いものではない。そんな調子だから勿論対話と言っても平行線状態。

それから月日は流れ、教義内容に絡むと面倒くさい事は分かっているので余り関わらないようにしていたのだが、ふと彼のTwitterを見てみた所、まぁ相変わらず他宗批判ばかりなのだがそれはそういう性質なのだから仕方無いとして
「信心が狂ってしまうと道理が分からなくなるんだな Tさんは真摯に法論お願いしてるのに。。。 正々堂々出来ないって。。。小中学生と同じレベルだな」
とのツイートを見つけたもので
「貴方もT氏の折伏動画や他のブログばかり列挙して自分の言葉で真摯に向き合っていないじゃないですか」
と投げかけたところ、まぁ粘着、粘着の嵐。その内容たるや相も変わらずまた天理教の教義批判及び折伏ツイート。
私は別に一言も「日蓮正宗のあなたが悪い!」と言った訳ではなく、「自分の言葉で言わなきゃ相手には伝わらないよ?」と指摘したに過ぎないのだが・・・。

そんなこんなでしばらく法論(?)に付き合わされる形となり、最終的には正宗信徒側が「天理教はちゃんと勉強している」と言っているにも関わらず、天理の神の概念を捉えきれてない事を指摘すると今度はただの人格攻撃までされたもので、「私にはその様な考えが徳の高い教えとは到底思えません」と返した所、ブロックされてしまった。

そしてその後、彼は「反論不能により天理教に勝ちました^w^」と高らかに勝利宣言・・・。

いや、まぁ話題のキッカケを作ってしまったのは私だが、議論相手にアク禁した上で「反論不能により勝ちました」て、何よそれ??
それで本当に勝利と感じているとしたら正直馬鹿としか言い様がない。
尤も、相互理解が不可能だろうという事はこちらも向こうも共通認識ではあっただろうが、その上で対話を継続していた訳であり、向こうも実際頻繁にレスを返している時点で相手側もそれは承知済みのはずではないか。

この際、日蓮正宗や天理教の教義の内容などはっきり言ってどうでもいい問題なのだ。
宗教を語る前に人間として余りに失礼な行為ではないか。そんな人間に「正しい教えに帰依しなさい」と言われたとことで説得力など「ゼロ」である。
これは宗教に限らず他者と他者との関係は信頼があってこそ進展するもので、そこを意識的にあえて無視する形で何を言われても受け取る側からすれば納得できるはずが無い。

そして「反論不能により(以下略)」と言われても、それが私が返答可能な状況で答えに窮し反論できぬ立場に置かれた状況だったとしたらともかく、相手がアクセスブロックをかけてこちらとしては返そうにも返せないのだから反論不能も糞もないではないか!

これは日蓮正宗全体の体質の問題なのかその個人がただ馬鹿なのかは分からぬが、少なくとも今後天理から離れる事があろうとも日蓮系だけは選択肢として有り得ないと私の中で決定づけるに充分な出来事であった。