2020年もこの時期になるとあっという間に感じます。
私にとっての2020年は

待望の娘を失い

最悪な年でした。




12月で月命日も10回目を過ごし
当初は

毎日大号泣をしていた私も
落ち着いて、のんびり暮らしてます。




娘を思い出して後悔したり
悲しくなる時も 

もちろんありますが

月日が経つにつれ


自分を責めていた


負の感情が薄れていった気がします。




思菜について書くのも

 

この記事を入れて


あと一つ!


年内には書き上げるぞ!

と、いう目標も今のところ
達成できそうです。




ラストスパート!



思菜愛しているよ!!



ずっとずっと愛しているよ!









ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



天使ママになって

自分の両親と

夫の両親には
孫に対しての思いの馳せ方に違いがあり


その違いに


思菜は孫なのに・・・


死産したから認めてもらえてない・・・



そんな

モヤモヤした感情

渦巻く時があります。







私の両親は

私の家に遊びに来た時

 

必ず思菜にお線香をあげ


帰るときもお線香をあげて帰ります。



義両親は

家が近いということもあり

集まる時は、義両親の家で

 

私の家に来ないということもありますが



義父が一度

線香をあげた程度で

義母は

一切あげたことがありません。





喪中はがきの時は
実母に『わざわざ喪中はがきを出す必要があるの?』と

 

喪中はがきを出したかった私と

 

出す必要ない!と思う実母と

 

ケンカになりました。

 

 

 

 

 


実母は、

思菜の為にしてくれたこと

たくさんありますが

 


この発言に

 

死産だから孫として認めてもらえてない

と、感じてしまって・・・・



死産じゃなかったら・・・



戸籍に載ってたら・・・



喪中ハガキをだしていたんじゃないか。


そう思ってしまって。。。

 

 



悲しかったです。








結果

 

仲裁に入った姉が
姉『お母さんが出すわけじゃないし。

実家も喪中はがきを出せとは言ってないじゃん。

妹家族自身が出したいなら出せばいい。』

と、言った感じでまとまりました。







後日





姉から聞きましたが


姉『母が『私達は喪中だから喪中はがきは出さないけど年賀状も出さない』って言ってたよ』と言われました。




私は、それが嬉しかったです。








義両親には夫から
夫『俺たちは喪中だから喪中はがきだすよ。いいかな?』と聞いたところ

義両親『いいんじゃない?やりたいようにしなさい』とサッパリ終わりました。






義両親からしたら

内孫なのに

 


家族が亡くなれば 

 

 

孫が亡くなれば 

 

 

喪中じゃないのかな・・・


普通に年始を祝うのかな・・・





そうだったら悲しい。。。
と、思ってしまいました。







年始になってみないと
どうなるのかは、まだ分かりませんが

 


今までの行動を見ると

そうなのかな・・・

と、思ってしまうところがあります。









娘の四十九日の際も
私の両親は『孫の四十九日もちろん行きます!』と言った感じでしたが


むしろ、

母から『思菜の四十九日や百箇日法要(ひゃっかにち)はどうするの?』

と、聞いてきました。

 


義両親からは、

 

 

特に何も・・・




四十九日の法要をするので来てほしい。

と、義両親を誘った所
『コロナが怖いので辞めておく』と言われました。



義両親が来ないということで

私の両親は
『私達だけ行って、義両親に悪いから残念だけど行けないね。』

と、いうことで来れなくなりました。






コロナ禍のせいで

仕方のないことだと思いますが


断る理由は

 

 

薄々分かっているんです。

 

 

 

 

むしろ

行きたくなくて

コロナを理由に断ってるんじゃないか

と、思えるほど・・・・
















その理由は


義母は宗教に入っていて
信仰のために違う宗教の物はできない。



これが理由だと思います。







実際

義母 本人から宗教のことについて話してもらいました。







孫よりも自分の信じている宗教が大事なんだ・・・










娘を妊娠中の安全祈願の時も

その頃は

宗教の話を聞いていなかったので
『両親を集めて安全祈願をしたいのでぜひ来てください』

と、誘ったところ義両親は来てくれました。




ですが

 

 

安全祈願中の祈祷の際に

頭を下げる時に


義母は一切頭を下げることなく

 

そっぽを向いていました。




来てくれたことには感謝ですが

その時から

不思議に思っていました。






そして

 


娘を失ってから

義母から『お線香をあげれない』と宗教の話をされました。







私自身もお線香をあげていますが
実際の所

仏教でもなく無宗教です。



ですが

一回忌はしようと思っています。

 

 


色々矛盾も多いですが・・・・




娘に何もできないから・・・


なにもしてやれないから・・・



せめて!



毎日ミルクとお水をあげて線香をあげる。


四十九日をする。


100日記念をする。


月命日には朝昼晩の三食

思菜と一緒に食事する。


命日にはたくさんの菜の花を飾る。


一回忌、三回忌、七回忌をする。



これが私の中で考えて出した
娘にやってあげたいことです。






ちなみに

 

 

義母以外の

夫を含めた家族は

全員 無宗教です。



その宗教に入っているのは義母だけです。


むしろ

夫と義父は宗教を嫌っています。







孫だからという理由で

義母に強制させることも出来ませんし


各々の考え方や

 

信仰もあると思うので

 

理解しようとは思いますが・・・




亡くなっているから・・・


死産だから・・・



戸籍に載っていないから・・・


そんな風に思ってしまって
孫だと思われないんじゃないか

と、悲しくなる時があります。






他の家族や親戚、知人はいいとしても

せめて


おじいちゃん、おばあちゃんだけには

例えお腹の中だけだったとしても

孫として生きていた

いつまでも孫

そう思ってほしい・・・・






そう思ってしまう自分がいます。

 



自分と同じ気持ちでいてほしいと

押し付けているんだと思う時もあります。




思菜の家族や親戚でも

想いの馳せ方は、それぞれだと・・・



現に

同じ親ですが

夫とは娘への想いの馳せ方は

違うわけですし。









義両親が

全く

孫に対して

なんとも思ってないわけではない


そのことは分かっています。








義母に宗教のことを打ち明けられた時

義母『お線香はあげられないけど

私がいつか亡くなった時
別の世界で私は生き返る。

その時に

一緒に思菜と

私が流産した子も一緒に生きかえる。

そして一緒に幸せに暮らすから

だから安心して!!』

と、言われました。









・・・・・(゜_゜)




別の世界???





ん・・・??(゜_゜)







義母なので

深く突っ込めなかったですが






思菜のことを思ってくれている。


その事が伝わってきましたし

 

それだけで嬉しく思いました。








義母は昔

流産したことがあるようで

 


私の憶測ですが

 

そこから宗教に入ったと思われます。




誰かに救いを求めたかった。




辛い時に話を聞いてくれて


心を癒してくれる

それが宗教だったのではないかと思います。





義母は田舎が遠く

義父も転勤が多かったらしいので
頼れる親や兄弟、親戚、友達が周りにいなくて

心の支えが宗教だったのではないかと・・・

昔は連絡も気軽に取れない時代ですしね・・・


 



私も

娘を失い

悲しい

辛い

苦しい

奈落の底に落とされたような
絶望感


それを経験しました。



私ももしかしたら

救いを求めて

宗教に入っていたかもしれません。




ですが

 

 

私には

支えてくれる

夫や

親、姉妹、友達がいました。


本当に感謝です。




私も宗教に入る気持ちが

少し分かるから
宗教が悪いとか怖いとか

毛嫌いする

そうゆう感情は無いです。



義母が信じたいものを信じているだけ。


そう思うことにしています。











そう思えるのは


嫁の私を大切にしてくれている

と、感じているからだと思います。



あと

宗教を勧誘してこない!

強要してこない!

これが一番ですが!








私は里帰り出産をしたのですが


義両親が私の実家に挨拶に来てくれました。



そして
義父『私達の嫁と孫を宜しくお願いします。』

と、里帰り中の生活費を渡してきました。


実父『自分の娘が出産で少しの間、帰って来ただけです。もらえません!』

義父『受け取って下さい!嫁と孫をよろしくお願いいたします!』




そんなやり取りがありました。

 

 


姉も里帰り出産でしたが
姉の義両親からは

特に何もなかったので

え?


里帰りした時って生活費を渡すものなの?



自分の娘が家に帰って来ただけなのに?



頂いたということは、お返ししないといけないよね。


でもお祝い金とかご祝儀ではないしな・・・


生活費をもらってお返しって変なのかな?




初めての出来事に悩みました。








後で

ネットで調べると
そうゆう義両親もいるみたいですね。




義母は

嫁いだら 嫁ぎ先の人間として生きる
と、いう意識が強い方だと思います。


昔の方には

よくある考え方だと思いますが


義母は

実家ではなく、嫁ぎ先で出産しました。


義母の実家が

嫁ぎ先の家と近い場所にありますが

実家には帰らなかったそうです。




お中元やお歳暮で

実母と義母がやり取りする時の電話で


『嫁がそちらのお宅によく帰っているようで

ご迷惑をおかけします』の様な

ニュアンスを言われたことがある

と、実母から言われました。




ん?

なんだ?


なんか不思議な発言・・・

と、思うことはありますが


私には、『嫁いだら 嫁ぎ先の人間として生きる』を強制してきませんでした。







そこは、有難いことです。
私には義母と同じようにはできないので・・・


あと


時代的に古いというか。

今は違うかと・・・・

 











今回の里帰り出産も
一時的に娘が帰って来ただけなのに
『世話になります』とお金を渡されて


人によっては

疎ましく思う人もいるようですが



私と親は

立派なところに嫁いだな。

と、いう感想でした。

 

 


そして


そうゆう風に大切に思ってくれて

嬉しかったです。















ですが




実家で

ゆっくり のんびりと過ごせて


妊娠中は全く問題なく順調だったのに・・・・


娘を死産させてしまいました。







実父『ご挨拶まで来てくれて

待ち望んでいた孫を死産させてしまった。

申し訳なくて、義両親に合わせる顔が無い。』

と、言っていました。









義父も私に謝ってきました。



義父『もしかしたら

プレッシャーを与えてしまったのか。

息子の時の話なんかしなければよかった・・・

君にはすまないと思っている。』





夫は42週で産まれました。


4,100gと大きく産まれた夫の話を

義両親はよく話してくれました。




大きく立派に産まれたことを

誇りに思っているのだと思います。




42週で産まれたからこそ

 

娘を妊娠中

40週6日はまだまだ全然大丈夫

と、私に思わせてしまって


病院に行くことを

遅らせてしまったんじゃないかと。

 


お腹の中で大きく育てた方がいい

と、思わせてしまったんじゃないかと。


プレッシャーを与えてしまったんじゃないかと。



義父から謝られました。







実際

プレッシャーには感じていませんが

 

予定日過ぎても大丈夫なのかも。

 

大きく産んであげたい。

 

と、思っている自分もいましたが

 

義両親のせいではないんです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私は、

自分自身をたくさん責めました。

 

 

 

 

母親である私がしっかりしていなかったから

 


計画出産をしていれば・・・

 


予定日前に

促進剤だったり帝王切開をしていれば・・・

 


もっと早くに病院に行ってれば・・・・

 


胎動を感じていれば・・・


 

血が固まりやすいことを

事前に知っていれば・・・・

 

 



後悔して

自分を責めて辛かったです。

 

 

 

 




 

でも

 

娘の死は

誰のせいでもない。

 

 

今では 

そう思えるようになりました。

 

 

 

 

 

 

 

 





みんな各々
思菜の死について

後悔があることを知りました。







みんな各々の

 

悲しみと

 

乗り越え方をして

 

今を過ごしているんだ

と・・・

 

 

 

 




例え

義両親が

 

お線香をあげなかったとしても

四十九日に来なかったとしても

 

年始を喪中として過ごさなかったとしても

 

もしかしたら

一回忌に来てくれないかもしれないけど

 




思菜を覚えていてくれる

 


それだけでもいい

と、思うようにしています。