「あの~」だいぶ後方にいた主要幹部の一人、日戒がおそるおそる手を挙げた。

「日照大禅師と第一の高僧である日雲師の感動的な子弟シーンを目の当たりにしながら大変恐縮ではあるのですが、私はそれでもなお、腑に落ちない面があるのです。腹落ちしないのです…」日戒は顔を真っ赤にし、他の高僧から一斉に向けられた視線に必死に堪えるように日照に呼びかけた。

「禅師はいま、墓石を蹴る行為そのもの、物理的な側面よりも、そうした行為の背後に潜む悪心すなわち敬虔感情の欠如こそが“悪果”になるのだということを明らかにされました。私もその点については完全に同意いたします。十二因縁の法を腹落ちさせ、我々一人一人の魂を善因善果に浸すことが何より大事なのだ、と。」日戒は汗をかきながら必死に続けた。

「しかし、です。さきほどの若造たちなどまさにそうですが、まったく無邪気に石を蹴っておりました。つまり、墓石を蹴りながらもそこには、“敬虔感情などクソくらえ~”といった悪心は、愚かさのゆえにではありますが、ないのではないでしょうか?この場合にはあの若僧侶どもには悪因悪果は生じないのではないでしょうか?」日戒は失神した。

「おお、日戒よ、大丈夫か?これそこの何人か、日戒を本土へ…」日照に促されて高僧の何人かが日戒をその場から担ぎ出し、公国本土に連れ帰った…。

「いやはや、ちょっとした物見遊山のバンダイ詣でが大変な騒ぎになってきたネ。肝心の質問者の日戒クンがいないのに悪いが、興の乗った今こそまとめて真理を示そう。博覧強記の日雲クン、アトで日戒に伝えておいてくれ…」日照は日雲を見つめた。「承知しました、禅師」

「日戒クンは非常に分析的だネ。確かに若造たちはそのアホさゆえに罪はないともいえる。しかし、完全に心神喪失の状態でもない限り、彼らにも人の墓を蹴る、という行為に対する幾ばくかの後ろめたさは絶対にあったであろう。やはり彼らの心理的な“悪因”は否定しきれるものではないのだ。」日照はペットボトルの茶を一口呑んだ。

「彼らの行為を甘く評価してしまう大元にあるのは、“あの墓に眠る者など、遥か前に死んだ者たちだ”という思いだろう。ありていに言えば、歴史上の人物に近いほど昔に死んだ者の墓はもはやモノ同然だという意識だ。が、ここはそうは言えないのだ。仏教の時間論、宇宙論は分かっているネ、日雲」日照は安らかな目つきで日雲を見た。

「はい、この夏から秋にかけての禅師のSNSアカウント“Y(ワイ)”での連投ポストを拝読しておりますので…」日雲は合掌した。

「そうだ。あそこで縷々述べたように、我々3次元世界の住人は時間の流れを一方向に固定したものとしてしか認識できず、すべての生命はある瞬間に生まれ、ある瞬間に死に、死ねばすべて終わりと思っている。が、4次元以上の高次元存在の視点からすれば、時間の流れは過去へ未来へ自由に行き来できるものであり、過去・現在・未来は“同時に存在している”ものなのだ。そしてそれがこの宇宙の“実相”なのだ。すべて生命は“不生不滅(ふしょうふめつ)”である。」日照は小声で横にいる秘書にトロピカルジュースを持ってくるよう命じた。

「ある命が今、生まれた。が、それは3次元的認識においてそう見えているだけで、実際は今生まれたわけではない。この命が今生まれたという因縁、それは久遠の昔から定められていたのだ。」

「ある命が今、死んだ。それは3次元認識においてそう見えるだけで、実際は死んではいない、滅度してはいない。その命が宇宙に存在するという因縁は永遠に続くのである。」

日照はふいに、高僧たちに向かって合掌した。

「このバンダイの墓石はとても古いモノばかりだ…遥か前の死者には違いない。しかし、真実の時間においては彼らは今“生きている”我らとまったく等価にその石の下に眠っているのだ、いや起居しているのだ。ここを蹴るのは単なる器物損壊ではない。そこら辺に沢山ある、現に生きている人間の家の壁を蹴ったり、ピンポンダッシュをしたり、庭にウンコをして逃げるのと同じくらい、悪い行為といえるのだ。じつはこの観点からいえば物理的に見てもそれだけ悪い行為、“悪因”と言えるのだ。この悪事をいくらかの悪心を以て行なったのなら、やはりそれは悪果を免れないモノであり、等正覚に至るのを妨げる行いなのである。」日照は膝をポンッと打った。「分かったカナ?諸君!」「禅師、すべての疑問が氷解いたしました!」

高僧たちは日雲を先頭にその場に並び、順々に禅師に向かってうやうやしく拝礼をした。

「ははは、それで良い、良いヨ。あの若造たちだけではどうにもならないが、諸君ら十大弟子がいる限りは我が日照会は安泰だネ。呵々」日照は朗らかに笑った。

「まぁね。かのKO大学を創立した夏目早逝(なつめそうせい)氏も、小さい頃に神社のご神体の霊験に疑問を感じ、試しにご神体の石を蹴り飛ばし小便をかけて、数日しても何事も起こらないのを見て霊験の不存在を確信し、実証主義的な態度を身に着けたというからネ。日本大八洲の神々はおおらか故、あのバカ学僧どもにも大したバチは当たらないかも知らん。しかし、いい年こいた大人が確定的な悪意でも持って墓石をチョしたら何が起こるか、知れたものではない、ヨ」「さあ、イワキに行くゾ~」

日照、日雲一行は再び両国の警察の護衛付きで、大渋滞を起こしている日本国の道路の路側帯をリムジンに乗って悠々と通行しながら公国本土に帰って行った…(続く)