久しぶりに会った知人は、興奮のあまり、常になく饒舌でした。
話によると、高さ十メートルを超える防潮堤を津波が駆け上がり、垂直に立ち、さらにのけぞるように海側に倒れこむところに、次の津波がやってきて衝突し、海水が空中に飛散して、大量の霧が発生したそうです。やがて霧が晴れかかって、丘の上に避難していた知人達がその下に見たものは、見たことを後悔させるような光景でした。津波の一つひとつは次第に規模を大きくし、防潮堤を超え、ついには破壊し、轟音を立てて押し寄せてきました。家も車も〝生きもの“も、押し合いへし合い流れてきました。
私はその田老の町を、三十年ほど前に訪れたことがあります。展示場で、昔の津波被害の惨憺たる記録をパネル等で見ました。今ネットで調べると、明治三陸大津波(1896年)で1859人、昭和三陸地震(1933年)で911人の方達が亡くなりました。
展示場を出て、海岸へ行きました。真新しい、長大な防潮堤が延びていました。上に登ってはみたものの、高所恐怖症の私は、這いつくばったままです。
さっさと降りてきて、砂浜にいた漁師さんと話をしました。
津波の前には海が引くこと、ものを持って逃げた人は助からなかったこと、船は沖に出るべきこと、等を聞きました。
「りっぱな防潮堤ですね」と私が言うと、「大津波には二度もやられておるから、大概は賢くなるわさ」とのことでした。
私は、決して漁師さん個人を非難するつもりはありませんが、この言葉を思い出すと、暗澹たる気持ちになるのです。ここのところ、似たような言葉を様々な媒体で観たり聴いたりしているからです。
この教訓を生かして……。二度とこのようなことがないように……。英知を結集して……。
私達は、何度も教訓を得ながら、それを生かすことが出来ませんでした。大概賢くなってもよさそうなものですが。
教訓を得ながらも生かせなかったということを教訓にするしか、私達に術はないのでしょうか?>
話によると、高さ十メートルを超える防潮堤を津波が駆け上がり、垂直に立ち、さらにのけぞるように海側に倒れこむところに、次の津波がやってきて衝突し、海水が空中に飛散して、大量の霧が発生したそうです。やがて霧が晴れかかって、丘の上に避難していた知人達がその下に見たものは、見たことを後悔させるような光景でした。津波の一つひとつは次第に規模を大きくし、防潮堤を超え、ついには破壊し、轟音を立てて押し寄せてきました。家も車も〝生きもの“も、押し合いへし合い流れてきました。
私はその田老の町を、三十年ほど前に訪れたことがあります。展示場で、昔の津波被害の惨憺たる記録をパネル等で見ました。今ネットで調べると、明治三陸大津波(1896年)で1859人、昭和三陸地震(1933年)で911人の方達が亡くなりました。
展示場を出て、海岸へ行きました。真新しい、長大な防潮堤が延びていました。上に登ってはみたものの、高所恐怖症の私は、這いつくばったままです。
さっさと降りてきて、砂浜にいた漁師さんと話をしました。
津波の前には海が引くこと、ものを持って逃げた人は助からなかったこと、船は沖に出るべきこと、等を聞きました。
「りっぱな防潮堤ですね」と私が言うと、「大津波には二度もやられておるから、大概は賢くなるわさ」とのことでした。
私は、決して漁師さん個人を非難するつもりはありませんが、この言葉を思い出すと、暗澹たる気持ちになるのです。ここのところ、似たような言葉を様々な媒体で観たり聴いたりしているからです。
この教訓を生かして……。二度とこのようなことがないように……。英知を結集して……。
私達は、何度も教訓を得ながら、それを生かすことが出来ませんでした。大概賢くなってもよさそうなものですが。
教訓を得ながらも生かせなかったということを教訓にするしか、私達に術はないのでしょうか?>