「おじさんより上手くたたけるぜ」
私の、この啖呵を聞いて、今まで渋い顔をして拒み続けてきた長老は、むっとした様子で、私を上目づかいににらみつけました。
「ほうお。それじゃあ、やってみるかえ」
私は、しめしめ、上手くいったわい、と内心ほくそえみました。長い間の折衝がようやく功を奏しました。
 二十五年前の夏、私は友人と二人で、勇躍青森に乗り込みました。ねぶた祭りに参加しようという魂胆でした。祭りの直前にそのビデオを見て興奮し、電車に飛び乗った私でした。宿の予約もしていません。青森市内に泊まれるところは一軒もありません。友人と二人、徹夜の覚悟をしました。しかし、祭りの混乱に乗じて、準備会場のにわかボランティアになりすまし、大広間の片隅にねぐらを確保できました。
 そうなると後は祭りが気になってしかたありません。さっそく衣装一式をそろえました。浴衣に鈴をたくさんつけて、いつでも「はねと」として飛び出せるように準備ができました。
 ところで、私には東京を出るときに抱いていたたくらみがありました。
 太鼓をたたいてやろう、と心に決めていました。
 確かに、巨大な、あたりを蹂躙するような山車は、世界にも類のないものでしょう。
 しかし、ビデオを見たり、実際に参加された方ならお分かりと思いますが、山車の後ろに並んだ大太鼓の大音響もまた圧倒的です。私はビデオを見たとき、この大太鼓にしびれてしまい、音量をいっぱいにして聞き惚れてしまったのでした。そして、祭りの世話役である長老のところに行って、どうか太鼓をたたかせてくれと頼み込んだのです。
 
 祭りが始まりました。
 私たちは、たちまち「はねと」たちの、ラッセラー、という歓声と太鼓の連打の渦に飲み込まれてしまいました。
 もちろん私は太鼓をたたいています。友人は横笛を吹きながら私の後に続きます。
 太鼓の撥は、一メートル半ほどもありましょうか、あしの茎を乾かして作ったもののようで、鞭のようによくしなり地の底から沸きあがるような素敵な音を出しますが、しなるぶんだけ打点が遅れます。私は大きなことを言ったくせに、必死で左右の鼓手についていくのでせいいっぱいでした。
 中央通りの端まで来て休憩です。
 私は、ガードレールに友人と並んで腰掛けて、金属のシャーレに似たいれものに、日本酒を汲んでは飲みながら、一息ついていました。
 そのときでした、友人がつぶやいたのは。
「また見た」
「なにを?」私は訊きかえしました。
「あれ」
「なに? どれ?」
友人は無表情に夜空の一角をさしていました。私は彼の指さすほうを眺めやりました。
 
 私はまさに仰天しました。大型のUFOが二機、わずかに傾きながら、ゆっくりと降りてくるではありませんか。
 その瞬間からの五分間、私は目がいたくなるほど凝視をつづけ、UFOを観察しました。その内容を以下にご報告しましょう。
 二つの物体の位置は、仰角約二十度、高度五百メートルぐらい。ともに西方に十五度ほど傾いている。形状は凸レンズ型で、両機は完全に合同であり、五十メートルほど間隔を置いて、同じ姿勢をとっている。ゆがみがまったくみられず、いかにもアーティフィシャルである。厚みと径の比は約一対四。対称面が明確に平面をなしており、面の両側はきっちりと互いの鏡映像になっている。恐るべき巨大さで、一機が直径六十メートルぐらいか。その重量感は圧倒的で、よくぞ空に浮いていられるものだ、という感慨がしきりである。色は銀白。塗装前のぶ厚いアルミ合金といった印象。微かに発光しており、薄暗い蛍光灯といった感じである。光度は二等星程度。よく見ると、物体の表面に、古い映画を見ると現れる雨が走っているのが分かる。但し、雨の方向は対称面に直交はせず、物体を取り巻くようにして斜めにバツ印を描くように走っている。斜め上から斜め下へか、その逆向きかはよく分からなかった。水平面と約十度をなす方向で西にゆっくりと降下を続けて、しばらく後に、六階建てのビルの陰に隠れた。われわれは走ってそのビルを迂回し、姿を追跡しようとしたが見失った。

私は観察しながらも、大声でまわりの人びとにUFOだ、UFOだ、と叫び続けました。低いざわめきとため息の輪が私の周囲に広がっていきました。ずいぶんたくさんの人が見たと思います。

 翌朝、私は、まず新聞社に電話しました。
円盤の目撃情報はなかったかどうか聞きましたが、そういう報告はないとのことでした。次に気象台です。前日夜は快晴でした。雲ひとつなかったし、気球も飛ばしてないとのことでした。最後に自衛隊三沢基地に電話をして、レーダーに異常な物体が映っていなかったかどうか調べてもらいました。異常なし。高度が低いと映らないことがありますが、といわれました。
 なぜあんな巨大なものが捉えられなかったのでしょう。あんなにたくさんの人が見たのになぜ誰も報告しなかったのでしょうか。私は狐につままれたような気持ちで東京に帰ってきたのでした。

それから何ヶ月も、なんだかしょっちゅう空を見上げて暮らしていたような記憶があります。UFOに魅入られてしまっていたのでしょうか。
そんなある日の晩に、何気なくテレビをみていたときのことでした。
その番組は、招かれた科学者、評論家、漫画家、タレント等が、出場した視聴者の不思議体験を読み解くという内容でした。
ある人は恐ろしげに、ある人は大胆快活に、またある人は自慢げに自らの体験を開陳していきます。私はだんだんとその内容に引き込まれていきました。
ところが何人目かに変な人が出てきたのです。
「あのう、えーっと、あのう」くちごもったままです。
「どうぞ遠慮せずにおっしゃってください。どんなことでしょう」司会者は困った顔で促します。
「あのう、やっぱりよします」
「いやいや、ここまで来て心変わりですか。こまりましたねえ。どうしてなんですか?」司会者は呆れ顔です。
「あのう、このことは、何度か知り合いの人たちに話したことがあるんですが、そのたびに笑われてきたんです。またきっと笑われる」
 司会者はにっこりして答えました。
「ご心配なく。そんなことあるもんですか。先生方皆さん紳士ですから」
そのことばに、少しは安心したのか、その男の人は、ポツリポツリと語り始めました。
その人は、UFOを見たそうです。それも、とても近くで見たのだそうです。
「頭の真上まできました」
「それで?」
「あのう、そのとき」
「そのとき、どうしたんですか?」
「やっぱりやめます」
「ここまできてやめるはないですよ。さあ、勇気を出して。きかせてくださいよ」
司会者に促されて、その人は胸を張ってこういいました。
「祭り太鼓の音が聴こえたんです」
一人を除いて、会場につめかけた人々みんなが笑ったと思います。
「あっ、笑った。やっぱり笑った」
その人は、悲しい顔をして抗議しました。そして、司会者やゲストたちがなだめても、もう口をきかなくなりました。因みに、私の気づいた限りで、笑わずにその人の顔をじっと見ていた唯一の人は、漫画家の故手塚治虫氏でした。

私も笑うどころではなかった。
ねぶたの晩のことが鮮やかに思い出されました。
青森の空を震るわせた、あの太鼓の大音響が、耳の奥によみがえってきました。
 UFOは,あの音に誘われて降りてきたに違いありません。映画「未知との遭遇」でも、交信には音楽が用いられていました。いい線を行っていたといえます。ただ、実際には、音階やメロディーよりも、振動数やリズムが意味を持つのでしょうか。
 誰か、あるいはどこかの研究機関が、空に向かって音を発する実験をすればいいのにと思います。まわりは大迷惑でしょうが。太鼓を打つお祭りは全国にたくさんあるでしょうから、そのときスカイウォッチングをしたらどうでしょう。
 最後に一言。これは、私のきわめて個人的な印象だとおことわりしてのはなしです。
 UFOを見たとき、その傾き加減から、なにやら、巨人が闇の中から首を出して、怪訝そうに傾けているような感じがしたのです。降下する様子が、いかにもおずおずと、足音を忍ばせるかのように、しかし、好奇心には打ち勝てないとでもいうようでした。
私はUFOに生命のにおいをかぎつけたのです。あれらは、二機ではなく二匹だったのかもしれません。