自分に対する気づきを得るのに際し、やはり最も有効的な手段は、他者との対話なのである。
会話の最中に、相手に対して、話を伝えやすくしようとか、面白みを加えようといった工夫を意識することで、突如として曖昧模糊とした自分の思いを端的に示す表現が浮かんでくることがある。
OSの表現、宗教とは自らの魂をファストフード的オペレーションに載せて自らの魂や存在を意味あるものと結びつける存在なのでは?との仮説などは全て他者との会話の中から生まれ出たワードであり、アイデアである。
人生に意味が欲しい、であったり、それらのワードもまさに会話から得られた単語である。
かつて、25,26歳の哲学の時期にmixiに記したが、考えに考え抜いたり、悩み続けたりしているとき、また、常に頭の片隅に置きながら咀嚼の努力を行おうとしている時期には、ふと自らの魂を成仏させる、スッキリと整理させる言葉が湧いて出てくる時がある。
今一度、哲学の時期に入ろうと思う。