この歌はみなさんよくご存知ですよね?
♪げんこつ山の狸さん
おっぱい飲んで
ねんねして
抱っこしておんぶしてまた明日~♪
というシンプルな子守唄です。
第一子を授かって、2ヶ月ほど経った頃でした。
私は初めてのお産があまりうまくいかず、
緊急帝王切開となったせいか、体調も戻っていませんでした。
一ヶ月検診で病院に行く時に靴を履いた以外、
ほとんど外にも出ていなかったのです。
臨月から始まった同居。
おしゅうとさん、おしゅうとめさん、未婚の義弟、みんな初めてのお孫ちゃん。
近隣500mは誰もいない超カントリーサイドでの
初めての育児に私は緊張しっぱなし。
今考えると、軽く産後うつみたいにもなっていたような気がします。
小さな泣く生き物を前に、途方にくれていました。
私はどうすればいいの?
この生命に対して、総責任者は私のようなんだけど、
どう育てればいいの?
なにをしたらいいの?
分からないことだらけでした。
肩に力が入って、緊張して、息を潜めて見つめていました。
そうだ、子守唄だ。
ゆりかごの歌やぞうさん、カラスの子など
思いつくまま歌ってやり過ごしていました。
そしてふと気がついたのは、
「げんこつ山の狸さん」って…
今の私の生活そのまんまじゃないか!!
ということでした。
まさしく、「おっぱい飲んで」、「ねんねして」、「だっこして」「おんぶして」、
それが「また明日」もなんですよ。
ああー、こんなところに育児の心構えが伝わっているんだ。
そうなんだ、昔から子育てって、
「また明日」もおっぱいとねんねとだっことおんぶなんだー。
それは初めてのお母さんにとっては、一体いつまで続くの?
と思うんだけど、
それは「また明日」もなのね、と。
なにか悟りに近い?ような、すがすがしい諦めでした。
そうか、そうだったのか、歌になっているくらいなら、もう仕方ない。
諦めて、明日もおっぱいとねんねと抱っことおんぶで暮らそう。
何かしようとするから焦るんだ。
何かしなくちゃと思うから悩むんだ。
おっぱいとねんねと抱っことおんぶして、
また明日を迎えればそれでいいんだ。
思いつめることもないんだ。
だってしょうがないじゃない、歌にもなっているくらいなんだから!
なんだか救われたような気持ちになったことを覚えています。
その後、第二子第三子第四子と
どんどこ子どもに恵まれた私ですが、
あの時何かが変わった思いは今でも鮮明です。
あの「あきらめ」は私の心に新しい光が差したようなひらめきでした。
重くて辛くて責任感に押しつぶされそうな子育てが、
ちょっと軽くて楽しい、無責任なものに
変わった瞬間だったのかもしれません。
くだらないと言えばくだらないのですが、
私は今でも「げんこつ山の狸さん」を歌うたびに
あの時の気持ちを思い出すのです。