あれから、何ヶ月経っただろう?
7月23日に母が亡くなった。2月の終わり頃に遠くの特養で骨折して、その後内科の病気で入退院を繰り返すようになった。骨折の手術の後、度々肺炎で熱が出るようになったからだ。
2月の骨折の入院の時、青年後見人の女性弁護士は、母が施設で怪我をして入院した事を報せに来た時に、向こうから「入院が長引くようなら、地元の病院に転院させましょう」と言っていた。ところが、この転院が、妹の反対で難航した。自分の思い通りに遠くの特養に入所させる事に成功したのに、特養の空きがなかなか出来ない地元に戻るのに、妹が恐れを抱いていた所為だ。
骨折の手術の後、面会した時には、寝てばかりいて、起こしても会話の出来るような状態ではなく心配したのだが、3月の肺炎での入院の時には、話も出来たし、母は思いの外、元気そうで安心した。この時、妹の車で面会に行ったのだが、帰りの車中で母の地元の転院の話を始めると、妹はいきなり逆上した。
「車でも2時間以上掛かるし、電車とバスの乗り継ぎだと、3時間近く掛かる。これから母の容態が悪くなったらどうするの?」と私が言うと、妹は「せっかく特養に入れたのに、地元の受け入れ施設がない限り、私は転院させない。」の一点張りだった。
私は、「病気が良くなったら、元の特養に戻れば良いんじゃないのか?」と言うと、「地元の病院を退院した後、地元のほかの施設は特養のように母の年金だけではやり繰り出来ない。グループホームとかに入れるお金は出せないよ」と妹は言った。私が面倒を見ていた時は、母は元気に歩けて、小規模多機能のディサービスに毎日通い、週1日のショートステイで、元気に自宅で暮らしていた。もちろん母の年金だけで賄えていた。今更ながら、私は言わずにはいられず
「あのね。あんたはどうして家族に何も話さず、勝手に包括に相談に行ってこういうことにしちゃったの?」と私は言った。
「包括がお母さんを連れて行った時は、まるで私を犯罪者扱いだったんだよ」
すると妹は驚くべき事を言い放った「だってあんたは犯罪者じゃない。ネグレクトは立派な虐待だよ!」
私はあまりのことに言葉を失ったが、ようやく「ネグレクトってどう言うこと?」
「ゴミ屋敷はネグレクトでしょ」
「それは実家の事でしょ!お母さんと一緒に暮らしていたアパートでは普通だったよ。あんた見てないのに何てこと言うの?」
父が倒れてから、私は実家に猫達を置いて、父と母が住んでいたアパートで、最初は24時間体制で、小規模多機能ホームで毎日の日中を母が過ごせるようになるまで、付きっ切りで介護をしていた。小規模多機能で、日中手が離れても、朝8時半から4時までの事で、実家の方は猫達が汚し放題で、ゴミ屋敷化して行ってしまったのだ。