タイトル通り私は境界性パーソナリティ障害です。


今日は何故私がこの病気になってしまったのか…というお話しを少しだけお話しさせてください。


私がパーソナリティ障害になったわけ…

それはズバリ幼少期の家庭環境の悪さです。

(パーソナリティ障害あるあるですよね笑)


先生がうちの母に病気の説明をしてくださった時にもハッキリと母の前で断言していました笑

(以前にかかっていた病院の紹介状にも劣悪な家庭環境で育ち…と書いてあって思わず笑ってしまいました笑 ちなみにうちの病院は今だに紙のカルテで患者は自分のカルテを読むことができます)


我が家は私が小学生の一年生の頃に両親が離婚しました。そして兄は母に引き取られ、私は父に引き取られました(普通は逆だと思うんですが…)


父はギャンブル依存症でした。なのでもちろん極貧生活の日々でした。

その日に食べる物にも困るくらいでした。


ある日食べる物がなくて食パンを買いに家にある一円玉とか五円玉をかき集めてスーパーに出掛けました。

でも途中でバカな私はそのお金の入った袋を落としてお金をばらまいてしまい父に激怒され、泣きながらお金をかき集めたこともありました…(このときに初めて生きていかなくてはいけない意味を失いました…それは大人になった今でも私の心の奥底にあります)


でもそれはまだいいんです。私が1番イヤだったのが父が夜になると出かけることでした。

このまま帰ってこないんじゃないか…

私は捨てられるんじゃないか?

そんな不安がいっぱいになって、父が出かけてしまった日はパジャマ姿のまま町内中を泣きながら探し回っていました。(何故かラジオを片手に…今考えるとおかしいですよね笑)


小学校ではもちろん苛められていました。

ある日イタズラ電話をかけてこられて、電話を切るさいに死んでしまえ!と言われ、その時初めてああ自分で死ぬこともできるのか…と思ったことを今でも覚えています。(気づくの遅いですよね笑)


私には両親が別れる前から小学生3年生から4年生ぐらいまでの記憶が一切ありません。いくら思い出そうとしてもどうしても思い出せないんです。

先生が言うにはなにか辛いことがありすぎて自分自身で記憶に蓋をしているんだそうです。

だから絶対に思い出そうとしないように!と釘を刺されています。

でも思い出そうとしちゃうんですよね~笑

一体なにがあったのかと。気になって仕方ない笑


当時、ご近所の方も私に同情してくれていたのか、いつでも遊びにおいでと言ってくれていました。

ただその時のバカな私はその言葉に甘えてしまい本当に遊びに行ってしまっては相手の方が迷惑そうにしている事に気づくとそそくさと帰るということを繰り返していました。

いつの間にか遊びにおいでと言われても行ってはいけないということを覚えました。


父と一緒に暮らしていた頃、父方の祖父も一緒に暮らしていました。(中学からは父の元から離れ母と兄と暮らしていました)

祖父は私のことが嫌いだったみたいで一緒に暮らしていても話しかけられたりすることは一切ありませんでした。完全に透明人間扱いです。

町で出会っても目を合わせることもない、もちろん話しかけられることもない。

子供の頃の私は祖父は外では知らない人のふりをしなくてはいけない人となっていました。

(でも一回だけ祖父に声をかけられたことがあります。それは私が祖父のオロナミンCをこっそりと一本拝借してしまった時のこと…この泥棒猫が!!と言われたことです笑)


こんな感じの私の小学生時代のお話しでした。

中学生からは母に引き取られ、そこからまた地獄の日々が始まりました…


中学生時代のお話しはまた機会があれば書きたいと思います。


今日もここまで読んでくださりありがとうございます!