今年も終わりに近づいたということで、毎年恒例の振り返りをしてみたいと思います。
まず、2018年はイタリアのローマで年明けを迎えました。今までほ、とんど日本で寿司と蕎麦を食いながら紅白を見るという月並みな年越しの仕方をしていただけに、町中で盛大に花火が上がるのを両親と一緒に見るというのは最高に興奮する経験で、今年は良い1年になると確信しました。
そして、2018年の前半はルワンダで過ごしました。仕事を責任もって行うのはもちろんですが、労働者の権利である有給休暇を残さないように、計画を立ててアフリカの様々な国を旅行しました。
2月、タイ、タンザニア。3月、マダガスカル、南アフリカ。4月エチオピア。5月ガーナ。そして、6月に帰国。
正直、人生の中で一番頻繁に旅行した半年だったのではないかと思います。
その時感じたのは、一人で旅行するにしても、現地で案内をしてくれる人がいるといないのとでは、旅行の楽しさに雲泥の差があるということでした。ただ目の前にある光景を何となく流して「あ、なんか綺麗だな~」と感じる旅行よりも、それらの光景の持つ意味や背景について現地の人や現地で暮らしている日本人に語ってもらった方がはるかに楽しいのです。
この思いが、今の自分の観光ビジネスをやりたいという目標の原動力になっているのかもしれません。
ただ、2016年から続いた2年間の任期最後の半年は、日本に早く帰りたいという思いとの戦いでもあり、毎日の一番の楽しみは、カレンダーに×をつけて、一日が終わり、時間が前に進むのを実感することでした。あとOO日で日本に帰れるんだ、だから頑張ろう!と思って日々を過ごしていました。
ルワンダで多くの学びや気付きがあり、ルワンダならではの楽しみがあることも事実ですが、やはり生活や文化レベルが日本とは全く違うため、2年近くたつと日本に帰りたいという思いは日々大きくなってきました。やはり、本質的に海外暮らし向きではないのかもしれません。日本ほど良い国は他にないと思っています。
そして6月に帰国。
ちょうど親友が結婚したため、その結婚式に間に合うように帰国し、無事に出席することができました。
しかし、それと同時に、親しくしていた後輩が病気で亡くなったという報せを受けました。
全くそんなことになっていたとは知らなかっただけに非常にショックでした。こんな短期間の間に生きることの光と影を見るなど、帰国前は想像すらしていませんでした。深夜眠れず、一時滞在していた東京のホテル近くにある隅田川の、黒く巨大な流れを眺め、自分が生きることの意味をひたすら考え続けていました。
その亡くなった彼は生前英語教師で、大学院で共に英語教育について熱く語った後輩でした。彼は僕なんかよりも遙かに優秀な教師で、教えているのも超一流校と呼べる高校でした。そして、何より英語を教えることを愛していた。それに関しては僕も負けているつもりはなかったけれど、本当に、英語を教えることが楽しくて仕方がなかったということは前に会った時も語ってくれていました。
その時、僕は再び教師として英語教育の場に戻ってみたいと思いました。
正直、ルワンダに居る時は高給を手にし、日本に帰っても給料が良くて海外出張が多い安定した一流企業に就職したいと思っていました。そして、そういった方面で就職活動をするつもりでした。しかし、亡くなった彼が本当に英語教育を愛していたということを思い出し、金や地位よりも、自分の心や夢に対して素直に生きるべきなのではないかと考え始めました。
結婚した親友から、新たな事業を始めようとしているという話を聞いたのは、ちょうどその頃でした。
それは、観光関連のビジネスで、ちょうど僕がアフリカ諸国への旅行を通して感じていた思いと合致するものがあり、非常に大きな興味を抱きました。彼とは、出会った当初からずっと一緒に何か事業をやりたいと思っていました。だから、それらの想いに素直に従って「公務員」や「一流企業の社員」などというエリート路線から敢えて退場し、我が道を行くべきか、それとも安定を求め、異性ウケも良い道を守っていくべきか非常に悩みました。
7月、8月・・・実家のある岐阜のネットカフェに引きこもり、漫画を読みふけりつつ、Youtubeを見つつ、ゆっくりと考えました。
そんな時に出会ったのがあの「宇宙兄弟」でした。自分の夢を信じ、人に笑われても挑戦を続ける姿勢に、大きく感動し、夢を持ち続けることの大切さを改めて感じました。思い返せば6年前、大学新卒で就職した会社を1年で辞めた時も、「宇宙兄弟」に背中を押されたのです。
僕はもともと団体行動や人と同じことをするのが苦手で、人に合わせて自分のしたいことを犠牲にするくらいなら、中途半端な友人などいららず、本を読んでいた方が良い!というスタンスを持っていました。もし一流企業に就職したとしても、会社の中でのしがらみを意識したり、丸くなることを求められ、自分がしたいことや本当にやりたいことを実現できる機会はあまり訪れないでしょう。そういったことを、自分を騙しだまし一生続けていっても良いのか?!と自分自身に問いかけました。もう29歳、今決断しなければ今後決断できる機会など一生訪れないだろうことにも気づきました。
ちょうどその時、都内にある私立高校が臨時で教員を募集していることを知り、自分の運を占うためにも、上京して受けてみようと思いました。ここで採用されたら自分の夢に正直に生きていこうと思っていました。
結果は採用。
ルワンダに居る時には想像さえもしていなかった、教師の道に戻るということを自ら選択したのです。
それと同時に、友人とともに事業を始める準備も少しずつ進めていきました。9月に再度上京して2年ぶりの東京暮らしが始まりました。優れた鉄道網、整備された道路、豊富な物資、そして溢れる娯楽・・・東京は町として完成度が高く、非常に美しいと感じました。今、自分が日本で生きていられることがこれほど幸せなことなのか、と日々噛みしめました。そしてその思いは今も全く薄れていません。
9月は頭と体を教師に戻すことに全力を注ぎ、10月から少しずつ観光などの勉強もはじめ、11月には資格試験も受験しました。
その間にも趣味のサイクリングを再開し、熱海へのサイクリングをはじめとして、東京の各地を訪れました。日本の道路を再び走れることに大きな喜びを感じ、ルワンダで溜まっていた趣味不足の鬱憤を一気に晴らすことができました。
そして12月。少しでも上のステージで活躍するための努力を日々続け、それが具体的な成果に結びつきつつあります。平成最後の、という言葉が世間で蔓延る中で、「平成」という言葉の持つ意味についても考えました。
僕は平成元年生まれ。つまり、「自分のこれまでの人生=平成」ということになります。そして、平成が終わる年にちょうど30歳を迎えます。これまで、本当にいろんなことがありました。大学受験の失敗、就職の失敗、恋愛の失敗・・・それと同時に、多くの成功もありました。そして、平成最後のこの1年は、更なる挑戦と飛躍への土台を築き上げることができたと思います。
来年、30歳として迎える1年は、自分にとってどんな1年になるでしょうか。新たな舞台では、当然多くの困難が待ち受けており、喜びよりも試練の方が多くなることは想像に難くありません。しかし、それも全部受け入れようと思っています。なぜなら、自分で決断したことだから。
金銭的に困窮しても、体力的にキツくても、自分で決めた道を進んでいることに勝る喜びはないと思っています。そして、それは誰しもが享受できる喜びではありません。
さて、明日から実家に帰り少しゆっくりしてきます。自分の決めた道を進んでいるという大きな喜びを享受する傍ら、家族との時間を過ごすというかけがえのない喜びを噛みしめながら。やはり、家族あっての自分です。
今年もいろいろとお世話になりました。皆様も、よい年末年始をお過ごしください。