大垣北高を卒業して約10年の節目を迎える2018年の8月11日、第58回卒業生の同窓会が開催された。ちょうどルワンダから帰国後のタイミングだったので、参加することにした、というか、僕にとってはこうした同窓会に参加することはある意味当然のことである。あんなに濃い青春を過ごした懐かしい面子と会えるのだから当然他のみんなも参加するでしょ?と思っていたが、実際同窓会に参加していたのはクラスでも8人だ。そのうち2人はこの同窓会を企画した生徒会執行部の人間だったから、実質フラットな状態から参加したのは6人。更にその中の4名は「3か月に1度くらいは集まって飲む」らしい。彼らはほかのメンバーも参加するから、という理由で参加を決めたとのことだった。ということはだ。もし、クラスの中に生徒会メンバーがおらず、そのグループが参加を取りやめていたらなんと、40人以上いたクラスの中から10年後の同窓会に参加しているのはたった2人という事態になりかねなかった。

 

 高校の同窓会ほど気軽に参加できるものはない、と思っていたが、どうやらそう思っていたのは僕だけのようだった。当時の人間関係、見た目、職業など、一つでも不安な要素があれば、参加をためらってしまうのかもしれない。高校当時は、全員が同じ高校生という身分であり、部活に入っている、恋人がいる、家が金持ち、などの差こそあれども、僕たちは極めて同質な集団だった。しかし、大学生、社会人、30歳と時を経るごとに僕たちの現在の状態や社会的身分は刻々と変化し、同質な集団だったあのころとは全く違ったものになってしまっている。そこに負い目を感じて、恥をかいたりイタイ奴だと思われるくらいならば参加しないでおこう、と無難を決め込む人がいても何ら不思議ではないし、同情できる。

 

 ただ、それでも僕個人としては、同窓会に来れる状態にあったのに来なかった奴に「バカヤロー」と言いたい。一度しかない人生で、一度しかない高校時代を過ごした仲間は、お前ら以外にいないのだ。気に入るも気に入らないも、僕たちは偶然によって同じ学級に集まり、気の遠くなるような濃い時間を共にした者同士ではないか。あの頃があるからこそ、今どのような状態にあるのか、そしてどんなことを考えているのかが気になるのだ。将来の人脈構築につながるから、とか、何か役に立つ情報収集をしようだとか、そういった打算的な理由では全くない!むしろ、そういった考えなしに、いろいろと馬鹿話をしたり盛り上がったりできるからこその同窓生なのではないか?だって、他にそんな無条件でただ集まって、語りたくなるような人間関係なんてそうそうないじゃないか。でも、どうなのだろうか。世の中の大人、30歳とは、卒業して10年経った高校の同窓会をそんなに簡単に切ってしまうものなのだろうか。それともこの僕の考えが古くて世の中の主流から外れているのだろうか・・・いずれにせよ、もし次回同窓会が企画されることになったら、その営業を他人に任せるのではなく、僕自らがやり、一人でも多くのクラスメートをあの場に呼び出したいと思った。