この旅行は、実質3日間の旅行だ。

4連休のうち3日間を旅行に使うことができるのだから非常に贅沢と言えるだろう。そして3日目は旅行の最終日なので、何をすべきかでとても迷った。当初の計画では、アブダビまで遠征するプランもあり、代替案は、サイードに教えてもらったアトランティスというテーマパークにあるプールに行くことだった。しかし、2つともかなりハードな旅程になることは想像できたうえに、前日寝たのが2時近かったため朝8時に起きた時点ではかなり疲れており、計画変更をした。

まず、再び1時間ほど眠ってから軽く朝食を食べ、ホテルにあるプールサイドでくつろいだ。現在宿泊しているコプソーンホテルを選んだ理由のひとつに、素晴らしいプール設備があるということがあったので、それを思い切り楽しんだ。

ドバイのような暑いところでプールに入ることは、最高の贅沢のひとつで、アラブ人た女性も体全身が隠れる水着を着て泳いでいた。プールで泳いだ後にリクライニングのチェアに寝転がり、暖かいを通り越して熱気が支配する町の風景を眺めると、いかにも休暇に来たのだなあと思えて来て、体全体がリラックスモードに入る。しばしそんな気分を楽しんだ後は部屋に戻って荷造りを行った。今回の滞在では、日本食材をはじめとして、電化製品やレジャー品なども買うことができ、スーツケースがほぼいっぱいになった。物資調達旅行という意味でも大成功だろう。

もうこの時点で12時をまわっていたので、チェックアウトを済ませてまた近くの日本食バイキングの店へと向かった。今日は昨日より時間が早かったためか、たくさんのお客さんで賑わっていた。しかし・・・寿司が無い!昨日はたくさん並んでいたはずの握り寿司がなかったので問い詰めてみると、板前さんが握ってくれることに。今日も、握りたての寿司や天ぷらなどを心行くまで堪能することができた。

気付いたのだが、別にドバイに来ているからといって、アラブ料理を食べなければならないということはない。せっかく近くにこんなに安くて美味しい日本食を見つけたのだから、連続して利用しない手はない!しかしこれで、こちらに来てからは、日本食3回、海鮮1回、アラブ料理1回となり、2回に1回は日本食を食べている計算になる。やはり、これもルワンダに普段いるということが大きく影響しているのだろう。日本から旅行していたならば、絶対にこんなことはしない。

ここからは、完全に日常モード(日本)で過ごした。

もはや完全に庭と化したデイラ・シティ・センターへと向かい、ダイソーで少し買い物をした後、イギリスではよくお世話になったCOSTAカフェに入って旅行記を書いたり読書をしたりした。普段日本でしていたような時間の過ごし方ができることをかなり贅沢に感じつつ、モール内では歩きながらポケモンGOを楽しんだ。どうやら、ドバイは日本に比べるとずっとポケモンGO人口は少なそうだが、それでもたまにジムの色は変わっていた。

だんだんとドバイの日常に慣れて来ると、自分が半日後にはここから出発することが信じられなくなる。できることならルワンダではなくここに住みたいとも思ってしまうような快適さ・・・たしかに外は暑いが、湿気がそれほど多くないので、時間さえ選べばどうしようもないということはない。15時30分を過ぎたところで、最後の観光に出るため、オールドドバイへと向かった。

 

オールドドバイについては、ドバイについて特集された旅番組を見た父母から、かなり良さそうなところだと聞いており、楽しみにしていた。まずはドバイに2本走っているメトロの、これまでは乗っていなかったグリーンラインで海(クリーク)の近くまで向かった。そこからは灼熱の日差しが照り付ける中を歩き、出発地点であるドバイ博物館へと向かった。

概して「博物館」というものには、それほど期待していないのだが、ここは展示が充実しており、1時間以上滞在した。特に、ドバイが1950年代から今に至るまでいかに発展してきたのかについてうまく描かれており、戦略的に発展してきたドバイの歴史が理解することができた。そのほかにも、蝋人形を使って当時の様子を再現したものや、砂漠にいる動物に関する展示が面白かった。

しかし、ここからがかなり期待を裏切る結果となった。

まず、その近くにあったドバイの伝統的なアートギャラリーや貨幣博物館などがある区画は、どういうわけか営業している店舗がほとんどなく、全く人気が無かった。まあ、暑すぎるからそれも当然か・・・このあたりからいよいよ汗が体中から吹き出し初め、体が水を求めた。ハンカチは一瞬で汗を吸い込み、たちまち異臭を放ち始め、服も汗でびっしょりと重くなった。あまりにも強く照り付ける陽射しに、サングラスだけでなく日傘も必要なのではないかと思い始めたが、様々な布を売っている市場に入ると、日蔭も多くなり助かった。

アラブ系の国では多いことだが、ショッピングをする際、ショッピングモールなどを除いては、特定の種類の店が集まって一つのスーク(市場)を形成している。例えば、オールドドバイの博物館近くには、布製品を扱うtextileスークというものがあり、100以上の店が集まっている。ここは半分ほどの店が土産物屋も兼ねており、店の前には男性が立って、カタコトの日本語も駆使してなんとか店の中に引き入れようとしてくる。中にはかなり手を強引に引っ張って来る者もいたので、あからさまに嫌な顔をすると離れていった。しかし、こんなに客引きが激しいようでは、ゆっくりと楽しみながら観光もできないので、少なくとも自分のような日本人には向かないと思う。とりあえず、スークの評価は0点、いやマイナス45点くらいだ。昨日までの新しいドバイの評価が高かっただけに、この落胆具合は大きい。

気を取り直して、川の対岸にあるゴールドスークとスパイススークを見に行くことにした。

ここでは、「アブラ」と呼ばれる渡し船に乗るのだが、これ自体はなかなか良かった。ちょうど夕刻に差し掛かっており、町全体があの独特のオレンジ色に照らされ始める時間帯だ。夕日を受け、高層ビルが、モスクが、オレンジ色に染まっている。その中で木製の渡し船はゆっくりと進んでいく。乗客もほとんどが現地住民で、料金も1ダラムと激安だ。このやりとりだけは何十年も変わることなく行われてきたものなのだろう。とても風情があり、アラブ人の中にも写真を撮っている人がいた。

しかし、観光を突き詰めれば、タイのように、海へと注ぐ川沿いを巡る観光船を運航するのも面白いと思った。川の両側には発展しつつあるドバイと、モスクやスークに象徴される伝統的なドバイが並んでいる。一時間に一本程度の運航にして、冷房を完備すればかなりの需要があるのではないか。ドバイはたしかにショッピングの地としては最高だが、若干街並みを中心にした観光という要素が抜けている気がする。観光客の中には必ず自分のようにスークの人間の鬱陶しさを嫌う一方、街並みは見たいという人も多いと思うので需要はあるはずだ。もし、そこそこの船を一隻買うことができれば、アラブ人を一人雇って今すぐに自分が始めたいビジネスだと思った。

船から降りてしばらくあると、香辛料が売っているスパイスマーケットとなる。

個人的には、自分の目でどんな香辛料があるのかをじっくりと見たかったが、鬱陶しい男たちに詰め寄られてそれも叶わなかったので半ば投げやりになってポケモンGOを起動させた。しかし、ポケモンGOは、電池の消費が激しいこと以外はかなり使えるゲームだと思う。このように観光地でつまらなさを感じた途端、その世界から別れて別の世界に入ることができるからだ。気付くと目の前に敵の色に染まったジムがあったので、30分ほど時間をかけて自分の色に変えておいた。

次に向かったのは、金製品を扱っている金市場。

ドバイの金市場は世界的にも昔から有名なようで、ここには世界中から人々が集まってきていた。

店先のショーウインドーには、きらびやかな金やプラチナ、そして銀製品が所狭しと並んでいて、ある豪華なペンダントの値段を見ると130万円ほどした。これは、自分のような庶民には全く手の出るような場所ではない!と思ったが、試しに一つの店に入ってみたところ、古びたポロシャツにロールアップしたGパンの男に構ってくる店員はおらず、明らかに無視されていた。しかし、むしろこれくらいの方が良い。鬱陶しい連中が寄ってこないので、安心して商品をチェックすることができ、よくよく見ると金が少量だけ使われたUAEの国旗のバッジなどもあった。たしかに、ペンダントに比べれば安かったが、それでももし買ったとしたら持ち金全て使ってしまうほどのものだった。

まとめると、オールドドバイは、博物館と渡し船を除いてなかなか楽しむのが難しい場所だと言える。市場へ寄った後に、土産物や日用品が売っている100~500円均一のような店に入ったが、そこは店員の干渉もなく、安心して1000円分ほどの買い物をした。その辺りは昔からあるようなホテルや商店が軒を連ねており、古きアラブの雰囲気を味わうことはできた。町は喧騒で出来ており、道端ではアラブ服を着た男性がタバコを吸いながら座り込んで話している。これぞ本物のアラブだ。

 

おそらくドバイは2つに分かれているのだと思う。

未だに古き時代からの商業の仕組みや町の造りが機能しているオールドドバイ。そして、出稼ぎ移民が作り上げ、一部のアラブ人と多くの外国人のために、出稼ぎ移民達が働くニュードバイ。この2つは決して交わることはない。古びたアラブ服の男性が見上げるブルジュ・ハリファは、僕たち観光客がパソコンの画面から見つめるブルジュ・ハリファよりも、遠い存在なのかもしれない。

この時点で、残り滞在時間は3時間。

さあ、どうやってこのドバイ休暇を締めくくろうか、と考えていた時にマッサージのことを思い出した。時間があればやろうと思っていたが、他のことを優先させてきたために後回しになってしまったのだ。インターネットで検索してみると、デイラ・シティ・センターの近くにも何件かあることがわかり、スカイプを使って電話をかけてみた。しかし、どういうわけか電波が弱くて何を言っているのかほとんど聞こえない。実はこちらに来てから一度だけ実家の母にかけてみたが、同じようにほとんど聞こえなかった。ルワンダだと全く問題無くスカイプできるのに、一体何故ドバイでできないのだろうか・・・全く不思議である。

仕方がないので、もう一か八かでデイラ・シティ・センターの中に入っている高級ホテルPullman Hotelに飛び込みで行ってみることにした。全く下調べなしの無謀な試みではあるが、何せもう残された時間が少ない。冷房の効いたモールの中を歩いて、やっと反対側にあるホテルにたどり着き、フロントに聞いてみると、7階にマッサージを受けられる施設があるとのこと。そして行ってみると、今すぐなら一人分だけ空いているという!おお、なんという奇跡だろうか。まあダメ元で、マッサージがなければバーで適当に飲んで帰ろうと思っていたのだが、マッサージがあるうえに、ちょうど一人分だけ空いているとは・・・

値段は60分1万2,500円。

今まで、このような高級マッサージは受けたことがなかったが、ハードに歩いて疲れた上に、元々テニスで背中の右側を痛めており、マッサージが刺激になり、治りが早くなれば、とも考えていたところだ。

実際受けてみるとマッサージの質はすごぶる良かった。広々とした高級感漂う部屋で、男性の経験豊富なマッサージ師が時間をかけて全身のマッサージを行ってくれた。途中は眠りたくなるほど気持ちが良く、終わった時は明らかに体が軽くなっているのが感じられた。そして、不思議なことにあれだけ根深かった背中の痛みも軽減している(実際、この後ほとんど治った)。

そのままホテルのバーへと移動し、最後の食事は大好物のフィッシュアンドチップスで締めくくった。これがまたとても美味しく、今までで食べたフィッシュアンドチップスの中でも3本の指に入る美味しさだった。衣はカリっとしていて、中は魚の柔らかさや質感が失われることなくフレッシュに残っている。ポテトも脂っこすぎることなく、サクっとしている。ビールは、最初ここに来た時と同じステラを注文した。一日中歩き回って汗を掻いたので非常に美味しく感じられ、料金は高かったがとても充実した夕食になった。

世界一高いタワー、世界一大きなモール、ドバイ水族館、砂漠ツアー、ポケモンGO、スーツケースと段ボール箱いっぱいの買い物、プールサイドでのリラックス、オールドドバイ、そして美味しい食事・・・ドバイにいたのが3日間とは思えないほどの充実ぶりだった。これだけたくさんのものを一度に、自由気ままに楽しめるのは一人旅の魅力なのだろう。これらの思い出が詰まったドバイとも、もうすぐお別れだ。更に一つ良いことを挙げるとすれば、ホテルが空港から非常に近いということだ。行き帰りはどうしても大きなスーツケースを運ぶ必要があるためタクシーが好ましいが、空港の近くのホテルだとタクシー代も最小限で済ますことができる。今回も空港までわずか600円ほど。

夜の空港に着いて非常に驚いたのは、ルワンダ行きの便のカウンターには、大勢の黒人が大量の荷物を抱えて行列を作っていたということだ。荷物には行先がマジックで書かれており、ガボンやカメルーンといった西アフリカの国々のものも目立った。これらの人々は休暇と買い出しを兼ねてドバイにやって来て、ルワンダで乗り継いで祖国へと帰っていく。ルワンダ航空の「アフリカのハブになる」という戦略は、見事に機能していることになる。チケットカウンターのお姉さんに聞いてみると、ルワンダが最終目的地の人は20%以下で、乗り継ぎでの利用が多いのだという。

しかし西アフリカの、フランス語で会話するような連中は、一様に態度が悪かった。平気でカートを人の足にぶつけてきたり、横入りしたり、大声でしゃべったり、カートに大量の荷物を無理に詰め込んで崩したり・・・

ここで思った。ルワンダ人とは、何て良い人達なのだろうと。今まで他のアフリカ人に接する機会が少なかったからなのか、ルワンダ人の良さや落ち着きを実感する機会はそれほど多くなかった、というかあまり他と比べようがなかったが、ここに来てそれがはっきりとわかった。本当に赴任したのがルワンダで良かった。

飛行機は1時発の予定だったが、ぐずぐずしていて結局出発したのは2時になった。

しかし、どういうわけか途中で挽回し、ルワンダには20分遅れほどで到着することができた。まさか、元からこの遅れの分を含んだ時間設定になっているのでは?と疑わざるを得ない。飛行機の中を見渡してみたところ、見事に黒人ばかりで、アジア人はおろか白人も1、2人しかいなかった。ルワンダは7月1日から4日まで、言わばゴールデンウィークとも呼べる休みがあるので、けっこう白人がこの休みを利用してドバイあたりに行くのではないかと予想していたのだが、予想は見事に外れたことになる。やはり、彼らはもっと長い「バカンス」が好きで、こういった弾丸旅行にはあまり興味がないのだろう。

寝て、起きてを繰り返してルワンダに帰ると、家に帰って来たと感じた。

そういえばここに来て、もう1年の月日が流れたことになる。最初は見知らぬ土地だったルワンダが、だんだんとHOMEと呼べる場所に変わりつつあるのを、寝ぼけた頭で感じていた。