この国で生活し初めて8か月目。
この前、友人とスカイプをしていた時の話の流れで、ふと気付いたことがある。
それは、この国は日本と比べて選択できるものの数が大幅に少ないが、
逆に選択できないからこそ、幅広い経験ができるということだ。
例えば、本を例に取って話そう。
日本の書店、例えば新宿紀伊国屋などの大型書店を思い浮かべてほしい。
とりあえず書店に入れば、自分の好きな小説家または、自分がいつも読んでいる雑誌のコーナーに行くという人が多いのではないだろうか?
僕の場合は東野圭吾や伊坂幸太郎といったミステリー小説が好きなので、そういった作家の本を中心に物色していた。
一方、雑誌となれば趣味の自転車(競輪ではない)や競馬雑誌を手に取ることが多かった。
好きな作家はたくさん本を出しており、趣味の雑誌も種類が豊富にそろっているため、
とてつもなく広い選択肢があるにも関わらず、ごくごく一部しか見ていなかった。
こういう人はけっこういるのではないだろうか。
一方、大使館の中にも過去の館員が置いていった本が陳列されている。
ルワンダは小規模公館で、かつ歴史も浅いのである本の数も知れている。
だいたい100か200くらいだと思う。
当然、東野圭吾や伊坂幸太郎の本はほとんどないし、あったとしても既に読んでしまったものばかりだ。
となると、それら以外の作家の本も進んで読んでみるようになる、というか暇つぶしのためにも読まざるを得ない。
こちらに来てからだいたい30冊くらいは読んだが、実際にそれらの本が日本の書店に並んでいたとしても、進んで手に取ることはなかっただろう。
辻村深月の「冷たい校舎の時間は止まる」は、まさに人間の心の奥底をえぐったように描いていて、読んでいて常に心が震えていた。
熊谷達也の「邂逅の森」では、秋田の山奥に住むマタギの生活や風俗文化などに触れることができ、同じ日本人が生きて来た歴史を垣間見ることができた。
その他にも、東京の街をテーマにした「ドラママチ」や「ニュータウンに黄昏れて」、大坂国という架空の国があたかも実在しているかのように描いた「トヨトミプリンセス」に、スカイプでの遠距離恋愛の心境を描いた「オンライン」まで、様々な本を読んだ。
本を読むことは、読者との一対一の対話だ。
ただ読み進めるだけではなく、その時に自分が感じたことを深く考え、著者に問いかけてみる。もちろん、答えは返ってこないが、考える事自体が面白い。
薄っぺらい会話しか展開されない大人数の飲み会などより、よほど本を読んでいた方が「話した気」になり、充実感が得られる。
話を元に戻すと、今僕が本を通して様々な経験ができているのは、選択肢が少ないが故だ。
つまり、選択肢が少ないということは、嘆くべき事態ではない。
「こういうものだ」と割り切って、限られた対象達と向き合えば、きっと深くて幅広い経験を与えてくれるはずだ。
これは、人間関係でも言えることだと思う。
そもそも、大使館や日本人コミュニティの人数が少ないので、日本にいたらプライベートでは関わらないだろう人達とも話す機会がある。
そういった場面で意外な一面を知ったり、学びがあったりするというわけだ。
日本では、既存のネットワークがあるから、敢えてそのコンフォートゾーンを飛び越えようとしない傾向にある人も多いだろう。
自分も、どちらかというとそんな人間の一人だった。
しかし、ここではレセプションやテニス会、食事会などで普段敢えて手に取らない本のように、日本だと敢えて関わらない人達とも深めに関わる。
だから、逆説的だが、選択肢が少ないゆえに、経験の幅が広がっている。
これからも、この環境を利用して、様々な経験をしていきたいと思う。