最近、ルワンダに新しく赴任したこともあり、多くの飲み会に誘われる。
本当に様々な人に良くしていただいて、ありがたい。
昨日も、料理が得意な先輩の方が、部屋に招いてパーティーを開催してくださったり、
JICAの方が歓迎会を開催してくださったり、盛りだくさんだ。
その中で気付いたのは、飲み会などの「終わらせ方」の難しさだ。
当然、飲み会というのは、尊敬されるべき個人の貴重な時間を頂いて開催するわけであり、
どこまで相手の時間を頂くかということは問題となる。
飲み会は大抵夜に開催されるが、個人個人によって寝る時間、その日の疲れ具合、体調など
多くの条件が異なっている。
毎日10時30分に寝る人にとっては、11時まで飲み会に参加するのは苦痛だろうし、
疲れている人は、眠くなり早く帰りたいと思うだろう。
でも、なかなか大人数の飲み会だと、「帰りたい」ということを言い出せないのが世の常だ。
それは、他の人達の雰囲気を壊したくないという気遣いがあるというのもまた事実である。
また、人間は終わりが決まっていたほうが安心できる生き物だ。
大学の授業は90分と決まっているし、たいていの会社では終業時間が決まっているし、
映画は放映時間が決まっているし、マラソンは距離が決まっている。
そう、いつになったら終わるかわからないものに対して人間はある種の不快感や
恐怖感をおぼえるのだと思う。
これは、飲み会についても言える。
飲み会が楽しみなのは事実だが、僕のように家でいくつもしたいことがある人は、
いったいいつになったら終わるのだろう?という不安と共に出掛けることもある。
そこで僕は考えた。
一体、どうすれば、みんなが快適に参加する飲み会が実現するのかと。
そのカギは、幹事や主催者にあると思う。(もしくは参加者の中で一番偉い人)
主催者の役割で重要なのは、もちろん予約や準備、また会を楽しくするための発言など、
非常に幅が広い。
だが、一番最後にして一番重要な仕事は、その飲み会を終わらせることだと思う。
みなが、「時間を拘束された」というネガティブな気持ちを持たずに、
心地よく帰るためには、しっかりとした区切りが必要だ。
それが出来るのは、主催者、もしくは一番偉くて発言力のある人しかいない。
そういった人は、会が始まってから、2~3時間ほど経ったところで、
「そろそろお開きにしましょうか?」
と提案するか、もしくは 18時ー21時 などと終わりの時間を書いておくのが良いと思う。
僕は院生時代によくゼミのメンバーを集めて飲み会をしたのだが、
あらかじめ電車の時間を調べておくように言っておき、帰りやすい雰囲気を作ったり、
10時くらいになったところで、「そろそろこのへんで」と言っていた。
事実、参加者に「ちょっと足りないくらいかなあ」と思わせたほうが、
また来たいと思ってもらえるし、「豊永さんの宅飲みは拘束された感じがない」
と思ってもらえ、人物評価が上がることにもつながるのだ。
こういう理由で、国内で飲み会に参加するときも、「席2時間制」などの飲み屋だと喜んだものだ。
最後に断っておくが、僕が今回、様々な歓迎会を開いてくださった皆様に不満があるわけではない。
むしろ、感謝の気持ちが大きい。
彼らは彼らで、退出は参加者の自由意志に任せるという寛容な考えを持っており、
拘束しようなどとは微塵も思っていないに違いない。
特に、宅飲みを企画してくださった先輩は、僕が去る時にも快く送り出してくださった。
ただ、こういった自宅以外の場所で開催する際はお会計などがあるから、主催者は
しかるべく「最後の仕事」を果たすべきだとは思う。
ただ、上に書いたのは、あくまでも全体論の話で、
もし自分が飲み会を企画するならば、或いは飲み会の企画についてアドバイスを求められればそう答えるという話だ。
今回、いくつかの飲み会に参加することで、
「飲み会の主催者の一番重要にして、最後の仕事はいかに飲み会を終わらせるか」
ということに気付けたのは大きな収穫であろう。
本当に様々な人に良くしていただいて、ありがたい。
昨日も、料理が得意な先輩の方が、部屋に招いてパーティーを開催してくださったり、
JICAの方が歓迎会を開催してくださったり、盛りだくさんだ。
その中で気付いたのは、飲み会などの「終わらせ方」の難しさだ。
当然、飲み会というのは、尊敬されるべき個人の貴重な時間を頂いて開催するわけであり、
どこまで相手の時間を頂くかということは問題となる。
飲み会は大抵夜に開催されるが、個人個人によって寝る時間、その日の疲れ具合、体調など
多くの条件が異なっている。
毎日10時30分に寝る人にとっては、11時まで飲み会に参加するのは苦痛だろうし、
疲れている人は、眠くなり早く帰りたいと思うだろう。
でも、なかなか大人数の飲み会だと、「帰りたい」ということを言い出せないのが世の常だ。
それは、他の人達の雰囲気を壊したくないという気遣いがあるというのもまた事実である。
また、人間は終わりが決まっていたほうが安心できる生き物だ。
大学の授業は90分と決まっているし、たいていの会社では終業時間が決まっているし、
映画は放映時間が決まっているし、マラソンは距離が決まっている。
そう、いつになったら終わるかわからないものに対して人間はある種の不快感や
恐怖感をおぼえるのだと思う。
これは、飲み会についても言える。
飲み会が楽しみなのは事実だが、僕のように家でいくつもしたいことがある人は、
いったいいつになったら終わるのだろう?という不安と共に出掛けることもある。
そこで僕は考えた。
一体、どうすれば、みんなが快適に参加する飲み会が実現するのかと。
そのカギは、幹事や主催者にあると思う。(もしくは参加者の中で一番偉い人)
主催者の役割で重要なのは、もちろん予約や準備、また会を楽しくするための発言など、
非常に幅が広い。
だが、一番最後にして一番重要な仕事は、その飲み会を終わらせることだと思う。
みなが、「時間を拘束された」というネガティブな気持ちを持たずに、
心地よく帰るためには、しっかりとした区切りが必要だ。
それが出来るのは、主催者、もしくは一番偉くて発言力のある人しかいない。
そういった人は、会が始まってから、2~3時間ほど経ったところで、
「そろそろお開きにしましょうか?」
と提案するか、もしくは 18時ー21時 などと終わりの時間を書いておくのが良いと思う。
僕は院生時代によくゼミのメンバーを集めて飲み会をしたのだが、
あらかじめ電車の時間を調べておくように言っておき、帰りやすい雰囲気を作ったり、
10時くらいになったところで、「そろそろこのへんで」と言っていた。
事実、参加者に「ちょっと足りないくらいかなあ」と思わせたほうが、
また来たいと思ってもらえるし、「豊永さんの宅飲みは拘束された感じがない」
と思ってもらえ、人物評価が上がることにもつながるのだ。
こういう理由で、国内で飲み会に参加するときも、「席2時間制」などの飲み屋だと喜んだものだ。
最後に断っておくが、僕が今回、様々な歓迎会を開いてくださった皆様に不満があるわけではない。
むしろ、感謝の気持ちが大きい。
彼らは彼らで、退出は参加者の自由意志に任せるという寛容な考えを持っており、
拘束しようなどとは微塵も思っていないに違いない。
特に、宅飲みを企画してくださった先輩は、僕が去る時にも快く送り出してくださった。
ただ、こういった自宅以外の場所で開催する際はお会計などがあるから、主催者は
しかるべく「最後の仕事」を果たすべきだとは思う。
ただ、上に書いたのは、あくまでも全体論の話で、
もし自分が飲み会を企画するならば、或いは飲み会の企画についてアドバイスを求められればそう答えるという話だ。
今回、いくつかの飲み会に参加することで、
「飲み会の主催者の一番重要にして、最後の仕事はいかに飲み会を終わらせるか」
ということに気付けたのは大きな収穫であろう。