中学校や高校は、今日から新学期のところが多かった。

早稲田大学でもいよいよ授業が開始されて、キャンパスや図書館は学生でいっぱになる。

毎年春は、4年生が去って、新入生が入って来るそんな季節だ。


この変わらぬ営みを、キャンパスは見守り続ける。

彼らもここで充実した大学生活を過ごし、外の世界へと旅立っていく。




僕ももし同じところで教師の仕事を続けていれば新学期の授業準備に追われていただろう。

新しい教科書、新しいクラス。

新しい仕事が5月からなので今はその準備の一環として勉強に励んでいるが、

学校が始まるのを見たり聞いたりして、自分も教えたい!!と思う。

新学期の教室に英語で挨拶をして、面白い話をして、笑顔で英語を教える

ああ、なんて楽しいんだろう。

僕にとって英語の授業をすることはとても楽しく幸せなことだった。

こんなに楽しいことばかりしていて、お金をもらって良いのだろうか、とも思った。

じゃあ、なんで続けない?

なんで教師を辞めてしまったんだ?




いや、続けることはできた。

そうしたら、自分の心はもっと穏やかで、生活も安定しているだろう。

去年1年教えて慣れているので、問題なく仕事も進み、海外旅行にもたくさん行けるのだろう。


ただ、その生活を続けたら、心の中でもやもやとくすぶる火の種を無理矢理消さなければならない。

ずっと、心のどこかにある海外に出たい、もっと挑戦をしたい、という衝動を見て見ぬふりをして、

自分を誤魔化しながら生きていかなければならないのだ。

それでもだんだんと慣れて、生活は安定し、結婚して家庭もできるかもしれない。

ただ、10年後か、20年後かいつかわからないが、僕ははっと気付くだろう。


「ああ、これが俺の人生なのだ」と。


あの時確かに心のどこかでまだ燃えていた火は、もはや灰となってしまい、再び燃えることはない。

このまま、残りの人生を逃げ切るために生きていくのだということに気付くだろう。


そんなのは嫌だ。

結果としてそういった生き方に戻るのであっても、自分が挑戦したという事実だけは

ちっぽけな誇りでも、自分を納得させるための道具でも良いから、持っていたい。



とにかく今は、アフリカ赴任に向けての勉強を頑張ります。